傷ついた男性性の癒しを経て、傷ついた女性性の癒しなのだろうか?


この大天使ミカエルの男性性の癒しの「奇跡」のグリッドを思い出して、このときのエネルギーを振りかえってみると.....。

「男性性というのは、男性性と女性性の分割に於いて、痛みを受け持ったので、その痛みが癒されるまでは、どうしても頑なになりがち、それが、どんどん、傷の上塗りになって、自分を守るために自己防御の盾を張り巡らせがちです。そうなると、癒してくれない女性性(特に自分を癒してくれるだろう女神的存在に)無意識にでも、意識的にも怒りを溜め込みがちです。そうなるとまたその怒りが盾となって、癒しが受け取れなくなる。傷が増える分だけ、人に勝って、競争して、自分を強者として価値があるんだと、強制的に認めさせようとする。そうすれば、女神だけではなく、周囲の人も敵対してきます。力でねじ伏せられるのは、誰にとっても嫌なものだし、コントロールは、常に愛から遠い在り方だからです。

でも、この男性性止まりません、止まったら、自分のなかの敗北感や、無価値感、愛されていない飢餓感などが、自分のなかで浮き彫りになってしまうからです。」



「ガーネットと、セレスタイトタンブルのトリニティの「奇跡」のグリッドです。

セレスタイトは、天上の石、天界の石、天使の石です。このセレスタイトに大天使ミカエルのエネルギーをリンクさせたのです。

大天使ミカエルは、わたしたちが、高潔な男性性として歩むための、わたしたちの敵(おおくの場合、それはわたしたち自身であるのですが)を、その正義の剣で、切り裂きます。

わたしたちの男性性の再誕生を阻害する悪を、倒すのです。

そして、中央のガーネットは、女神の血でした。

男性性の痛みは、女神の血によって、贖われる。そして、ミカエルは、女神を守るのです。」



これは、2010年の春分の日(3月21日)に、開催したのでしたが、

「つまり、春分の日奇跡は、女神(慈愛)と、大天使ミカエル(正義)の統合だったのです。それは、女性性と男性性の統合を示唆しています。「奇跡」は、いつでも女性性と男性性の統合の結果与えられるのです。

その準備として、3月1日満月(3月は、ブルームーンだったのですが、初めの満月の夜に)に、5次元6次元同時のナディマスタートランスミッションも開催されたわけです。」

女神の血による贖い、このプロセスが、わたしたちの女性性に与えられるものなのなら、わたしたちは、それをそのようにして耐えてゆけばいいのでしょうか?

それが、≪アルテミス≫で受けとったエネルギーでした。

わたしたちが「聖域」を守護し、境界線を自分に与え、わたしたちの「神聖な血」を光によって、浄化し、強化する。

ガーネットは、「血」と関係している石です。「血」の浄化、そして「血」そのものが持つ守る(守護)というエネルギーも内包しています。そのためのコンセントレーション。

ゆえに女神の血は、(魔に)怖れられているのです。だから、魔よけになる。

そして、≪パラス・アテナ≫では、わたしたちの清められた血が、光に満ちた「タワー」となって、天界のエネルギーを降ろすものと成長し、それをミカエルの正義の剣で、地上に顕現させようとしているのです。

地上に顕現しているものを表しているのが、小さな薔薇のローズクォーツです。「愛」です。

わたしたちの女性性は、≪アルテミス≫、≪パラス・アテナ≫というプロセスによって、「強い存在」に成長しているのです。わたしたちは、もう弱者でも、依存者でも、犠牲者でもないのです。

そして、≪アフロディーテ≫、≪ヴィーナス≫、≪サロメ≫で、女性として癒され、満たされ、自信を持ち堂々としているのです。

大切なポイントは、これら、第一部の金星の女神たちのエネルギー的結実があって、初めて≪聖母マリア≫が存在するということです。

聖母マリア≫の金星の女神学校で、一番重要なポイントは、ここで、「ミカエルの剣」から「聖母マリアの剣」に引き継ぎが行われるということです。

三日月は、「聖母マリアの剣」であり、聖母マリアの足に踏みつけられている「蛇」でもあります。」

「≪パラス・アテナ≫で、建てられた現実化の「タワー」。これは、わたしたちの仙骨に眠るクンダリーニの生命の種、わたしたちの血であるガーネットから、天上へと伸びたスシュムナーエネルギー(蛇)です。

この生命エネルギーは、善でもなく悪でもないものですが、わたしたちの用い方によっては、善にも悪にもなるものです。

その「蛇」を、聖母マリアは、足で踏みつけています。つまり、そのエネルギーをしっかりと制御できている。

何によってでしょう。

それは、「深い経験と理解」によってなのです。

月(わたしたちの影となる側面)に対しての深い理解と浄化によって、月を剣として磨いたもの。それが「聖母マリアの剣」なのです。

「ミカエルの剣」は、わたしたちの暗黒なる部分、もしくは、わたしたちの周囲の悪しきものを絶対的な光によって打ち滅ぼすものです。

けれども、「聖母マリアの剣」は、むしろ暗黒なるものに向き合うことによって、深く理解し、受容することによって、暗黒なる部分に光を入れるものなのです。

それは、「ミカエルの剣」に比べて弱いものではありません。むしろより強くなければ、持ちえないもの。

それが、「聖母マリアの剣」なのです。

そして、その「聖母マリアの剣」を持ちえるために準備されてきたのが、「月の女神学校」であり、今までの「金星の女神学校」でした。

そこで、わたしたちは、自分の内なる暗黒なものに、向き合ったはずです。

蛇と地母神は、常に結びつけられてきました。

わたしたちは、地を這うものから、立って歩くものに変えられました。

クンダリーニのエネルギーを、地の支配のために、用いるのではなくて、天を目指すために使うように変えられました。

そのためにも、地を悪として、わたしたちは、地(母神)から、ミカエル(天の意思)によって引き離されなければならなかった。これは大きな痛みと分離でした。

だからこそ、女性性が、自らの持つ力を、清いものへと浄化させる。

それが、女神の血による贖いなのではないでしょうか?

わたしたちの「剣」を創り上げたなら、あとは、その剣を天に向かって静かにかざすだけでいいはずです。

剣を地に振りかざし、相手を切りつける必要はない。

なぜなら、その「剣」のエネルギーは、膨大だからです。

その「剣」の持つ清浄な波動が、自分を周囲を、相手を、直ちに清めます。

聖母マリアの受容と愛とは、そのようなものなのだと思います。

グリッドのクリスタルのさざれは、広がった月の光を受けた剣の光輪です。

そのなかに、セレスタイトもすでに含まれています。

聖母マリアが、天使の母とも呼ばれているように、聖母マリアのなかに天使も安らいでいるようです。

そして、中央のロイヤルブルーのジャスパーは、聖母マリアそのものです。
この世に存在するという深い苦悩への理解。
光と闇、両方に対する深い理解と叡智。それによる受容と愛
。」





開催中の金星の女神学校≪シェキーナー≫に、とても関係しているような気がしたので、過去の記事から抜粋してみました。

セレスタイトのタンブルの持つ意味は、深いようですね〜。
自分で書いていても、過去の記事の内容って、忘れていたりするので、汗、ああ、そうだったんだ〜と、自分のなかでも繋がったりします、苦笑。

大きな高次の導きの元に、ワークのエネルギーが贈られてきている由縁ですね、こういう繋がりを改めて見て、理解することがあるというのは....。

≪シェキーナー≫参加者のみなさまは、どうぞ、ご参考に☆