2つのヨオド☆

せっかくなので、というか大切なことなので、(特に次の金星の女神学校にとって大切のようなので)、2つのヨオドについてもさらに詳しく考察をかけてみたいと思います。(内容は、この記事の前の続きです♪)



ひとつは、火星を神の指にして、木星金星、冥王星クインカンクス(150度)にしたヨオド。オポジション(180度)として水星も係わっているもの。


そして、もうひとつは、木星金星を神の指にして、火星、土星クインカンクス(150度)にしたヨオドです。



木星(近づきつつある金星)のサビアンサインは、
魚座7度「岩の上に横たわっている十字架」

冥王星は、
山羊座5度「カヌーを漕ぎ戦争の踊りを踊っているインディアン」

水星は、
水瓶座6度「ミステリー劇の演技者」

土星は、
天秤座4度「キャンプファイアーを囲んでいるグループ」


冥王星土星については、以前も解説したことのあるサインですね。


火星は、前の記事に書いた、
獅子座5度「絶壁の端にある岩の塊」です。


まず、「絶壁の端にある岩の塊」の先に、「岩の上に横たわっている十字架」と、「カヌーを漕ぎ戦争の踊りを踊っているインディアン」という二つの行き先があると解釈してみましょう。そして、その中庸に、「ミステリー劇の演技者」と考えてみます。この「ミステリー劇の演技者」は、「絶壁の端にある岩の塊」の真の姿でもあるかもしれません。



「岩の上に横たわっている十字架」は、まず「岩」繋がりがありますね。このサインは、魚座のサインでもあることから、真実の救済という意味があるような気がします。かたや、「カヌーを漕ぎ戦争の踊りを踊っているインディアン」は、以前解説しましたが、行き過ぎた(もしくは偽善の)コントロール(戦い)の欲求といえるかもしれません。
頑張り過ぎている男性性の行き先は、そのどちらかなのかもしれません。
そして、「ミステリー劇の演技者」は、つまりは、演じているんだということかもしれません。「絶壁の端にある岩の塊」を演じているということです。これは、どういうことかというと、こんなに頑張っている、無理しているのは、愛されるためなんだということです。自然な本当の自分の姿ではないのだということなのかもしれません。
しかも、その演技は、ミステリー劇なので、先行きのストーリーは、文字通りミステリー(不明確)なのです。

その不明確さが、真実の救済に辿りつくのか、行き過ぎたコントロール、つまりオブセッション(強迫観念)に行くのか、どっちなのかわからないミステリー(恐怖)劇なのだと思います。




今度は、もうひとつのヨウドを考えてみます。
「岩の上に横たわっている十字架」が、「絶壁の端にある岩の塊」と、「キャンプファイアーを囲んでいるグループ」を紡いでいると解釈してみます。
「絶壁の端にある岩の塊」という経験と、「キャンプファイアーを囲んでいるグループ」という経験の両方があって、初めて真実の救済に辿りつくのだと考えてみるのです。
愛されるために、ギリギリの無茶をするという火星のせつなさと、、「キャンプファイアーを囲んでいるグループ」という、魂の深いところで、誰かと繋がっていると感じられるという経験、両方が、男性性の「魂の真の救い」には、必要なんだというメッセージです。


一つ目のヨオドの、「絶壁の端にある岩の塊」は、火星=頑張って無理する男性性。「岩の上に横たわっている十字架」は、木星と金星=高い霊性道徳心と、救いとなる愛情。「カヌーを漕ぎ戦争の踊りを踊っているインディアン」は、冥王星=強迫観念にもなりえる破壊。


二つ目のヨオドの。「岩の上に横たわっている十字架」は、木星と金星=高い霊性道徳心と、救いとなる愛情。「キャンプファイアーを囲んでいるグループ」は、土星=真実に嘘の無い状態で、自分以外の誰かと魂の深いレベルで繋がっていると感じられること。「絶壁の端にある岩の塊」は、火星=愛されるために無茶をしてしまう男性性のせつなさ。


こんな風に解釈してみると、更に深く(男性性というものが)見えてくるものが、ありませんかね?☆