(自分自身の弱さと誤ちに対しての慈悲と赦し)のカルマ解除事例の追記☆

狭量のカルマ的バランスの記事のフォローとして、こちらの事例もアップしておくようにというガイダンスがありましたので、載せてみます♪


「幼い頃、彼は非常におとなしい子供だった。
両親にぜんぜん手をかけたことがなかったが、二番目の子供が生まれたときから寝小便をするようになったのだった。
両親は、下に赤ん坊が生まれたので、その子の心に動揺が生じ、そのために人の注意を惹く優位な存在になろうと幼児の習慣に逆戻りしたのだと考えた。
赤ん坊である妹が、両親の愛情の愛情を独占しているのではないことをその子に知らせようと両親はあらゆる努力をしたが、夜尿症は、依然として続いていた。
少年が十歳のとき、両親は、エドガー・ケイシーのことを聞き、父親が子供のリーディングを取ってもらおうと決心した。
少年のライフリーディングによれば、彼の前世は、初期の清教徒時代、つまり魔女裁判の時代における福音伝道師で、魔女裁判の容疑者を腰かけに縛りつけて、池に沈める刑を積極的にしたということだった。

リーディングは、このカルマの説明とともに治癒の希望を与えた。
両親は、少年が夜眠りに入る前に、ある暗示を与えるように指示された。
そして、その暗示の内容は肉体的なものではなくて精神的なものいでなければならぬと言われた。
母親は、リーディングを受けるとまもなく、ある晩子供のベットの側に座って、子供が眠りに入るのを待った。
彼女は、次の言葉を低い短調な声で言いはじめた。
’あなたは親切で立派な人です。
あなたは、多くの人を幸福にするでしょう。
あなたは、あなたと付き合う全ての人を助けるでしょう。
あなたは、親切な立派な人です。’

同じ意味のことを、いろいろな言い方で、5分から10分、子供が眠りかけたとき繰り返した。
すると、その晩、十年ぶりで少年の寝小便のくせは、ピタリと止んだのだった。

このような素晴らしい効果をあらわした暗示は、彼がサレム時代の前世から引き続いてもっている罪の意識、それはいま腎臓の機能障害として彼自身の身体に象徴的にあらわれているのであるが、に向けられたのである。
彼は、かつて自ら手を下して、他人を’水浸し’にした。
それ故、いま自分自身に復讐していることを、ぼんやりではあるが、感じていたのである。
この子供は、現生においては、誰にも危害を加えたことがなかったが、彼の心のある層では、かつて他人に与えたむごい刑罰のしつこい思い出のために、いまだ自分の親切や人気を疑っていたのである。

母親の暗示は、彼の心のこの深層に達し、彼の罪が社会奉仕や親切によってすでに償われている、いや償うことができるのだということを保障し、その結果、これ以上の象徴的復讐の必要をなくしたのである。
子供は、それ以来、よく順応するようになった。
彼は、人から好かれ、人気者になり、よい学生になり、リーダーになっている。
生来の内向性は、みごとに矯正された。

両親の観察によれば、現在十六歳になるこの少年のもっとも著しい特徴の一つは、他人に対する稀な寛容さである。
他人のなかに見るいかなる性格上の欠点に対しても、彼は何らかの心理的な説明、何らかの弁明を見出してやるのである。
彼のかつての狭量(そのために肉体的な欠陥を生じさせた)は、積極的な寛容さへと変化したように思われる。

この均衡は、すでに非常に徹底的にとりもどせているので、肉体的カルマは、(役割りを果たしたので)当然消えるだろう。」



なんとなくですが、わたしたちのエゴというのは、まず第一に、自分の誤ちを認めるのが難しく、第二に、自分の誤ちを赦すのが難しいようだと、感じます。

だからこそ、高次の愛は、カルマに対して、自分の弱さと誤ちを認めたら、今度は、それを赦すように促すのではないかと思います。 
自分で、自分を赦すのって、自分の誤ちを認める以上に難しいからかもしれません。


6次元ナディの男性性のカルマ解除にも共通するテーマだと思います。
以前、ミカエルロータス(第五)の記事にも書きましたが、「自分の誤ちを認める=罪悪感(自己否定)」ではなく、「自分の誤ちを認める=謙虚さ」であることが、高次の意図であるということ。

そして、エゴは、自分を赦すことが難しい故に、自分の力だけではなく、他人からの助けや愛(この事例においては、両親の助けや母親が暗示を与えたこと)、高次からの恩寵が必要だということなのだろうと思います。

以前書いた関連記事は、こちらです↓
http://d.hatena.ne.jp/birth-of-venus/20121229/1356744399