全ての女性性に内在する高次由来の愛「5次元ナディ」の再神聖化☆4(自分自身の弱さと誤ちに対しての慈悲と赦し)


男性性に対しての慈悲と赦しの事例を確認したあと、今度は、自分自身の弱さに対しての慈悲と赦しの事例について、見てゆきたいと思います。


「この例は、ルイ十四世時代のフランスの修道院の尼僧の場合である。
彼女は、厳格で冷淡で、他人の弱点を容赦なく非難した。
聖書のことばを、文字通りに解釈し、その掟にそむくものを軽蔑した。」

この女性が転生し、今生で、結婚した後の状況が、この前世の尼僧であったときの狭量のカルマのバランスとして、彼女の弱さとして現れてきます。


「彼(彼女の夫)は、冷淡で愛情に乏しかったので彼女は、愛情に飢えた。
第二次世界大戦が起こり、彼女の夫は海外に出征した。
それからは、猛烈に淋しい時期が始まった。
この緊張があまりに大きく耐えがたかったので、彼女は、盛り場に行き、そこで酒をあおって、ふしだらな生活にふけった。
彼女は、コップに一、二杯の酒を呑めば、社会的抑圧から解放されるのを発見した。
こうしていったん酒の味をおぼえると、やめることができなかった。
酒の上のらんちき騒ぎは、ますます長引いていった。
時々、彼女は、夜も昼もぶっ続けに三週間も呑み、その間、たまたま好きになった兵隊や、水兵や航空兵や、海兵隊員と寝床を共にした。
夫とは離婚してしまった。

一見この堕落は、彼女の本来のパーソナリティの欠陥に由来しているように思われた。
だが、この欠陥は、また生殖腺の故障という肉体的欠陥からもきていた。
この肉体的機能障害は、他人に対する彼女の非難や、彼女の愛に欠けた心情の直接的カルマの結果であった。
他人のなかに、彼女が無情に非難した弱点が、彼女自身の弱点になったのである。

このような方法で、彼女は、過ちや弱さの内的必要性や、また誤ちを犯したものを、さらに罪に陥らせる飢えや、官能の満足のなかに慰めを見出すことを余儀なくさせる弱さや、淋しさを身をもって味わされたのである。
嘲笑う者と同様、人を非難する者も、自らのうちに、その非難の罪を償うのである。」


この事例も、このあとどうなったのかは、書かれていないのですが、 「赦し」のテーマを含んでいると思います。
スピリチュアルな世界でも、宗教的な世界でも、世間一般でも、人々の弱さを情け容赦なく断罪するような姿勢の人は、多々見られます。
まるで、自分は、正義の権化のように、苦笑。
わたしも個人的に、そのような人に出会うことがありますが、そのようなときには、この人は、まだ自分の弱さを実感させられるような学びが、まだ未経験の魂なのだなと思うようにしています。
やはり、経験しないことは、いくら説明しても、理解できないものなのです。
それが、その批判の根拠が、世間一般に、正しいことであればあるほど。
だから、それらの人の言い分(批判や非難)も仕方のないことなのです。
(これは、自分が過去生で、情け容赦なく断罪していた記憶もあるので、また別の意味で理解できるわけです、苦笑)


でも、だからこそ、「慈悲」を自分のものとするために、敢えて「弱さ」を経験する人生もあるのだと思います。
そして、その経験を通して、自分の弱さを赦すことによって、他人の弱さを赦すハートを創り上げてゆくのです。
わたしは、個人的に、「弱さ」の経験無くして、「慈悲」を持ち得ることはないと思っています。
もし、自己の弱さに苦しむ経験無くして、他人に、慈悲深くあろうという姿勢を取っている人は、それは程度の差こそあれ、偽善と欺瞞を含んでいることが多いからです。

そのような偽善と欺瞞は、弱さに苦しむ人を、真に救うことは、残念ながらありません。
それは、苦しんでいる人を、助けるという姿勢を見せながら、実は、その苦しんでいる人に相対することによって、優越感を持って、エゴを満足させているケースが多いからです。
それは、本当に苦しんだ経験のある人なら、敏感に見分けることが出来ると思います。


だからこそ、女性性は、弱さを持つのでしょう。
弱者の経験を通して、「慈悲」を自分のものとするために。


多くの間違いを犯すのも、同様です。
間違ったことのない人は、間違うことによって苦しむ人に共感することはできないからです。

一見、そう見えない人が、高いレベルに達していたり、いかにも立派そう見える人が実は、まだまだ未熟な、外面とは反対の魂の下劣な内面を宿していることが、多々あります。
間違えるからこそ、真の謙虚さを学ぶことができるからです。


そして、まさに自分の「弱さ」を経験しているときにこそ必要なのが、まず自分自身に対しての「慈悲」です。
これも、弱さを経験している人にしか、わからないのですが、そういうときこそ、高次の助け無くして、自己に対して「慈悲」を持つことは、非常に困難です。

これが、有名な「山上の垂訓」の
’苦しむものは、幸いなり’の真の意味でしょう。


でも、決して、高次の愛は、わたしたちに、ずっと苦しみ続けろとは言っていないのです。
「救済」は、必ず訪れるし、高次から贈られる「慈悲」は、すでに地球上を包み込んでいるのです。

5次元ナディの女性性の再神聖化のエネルギーは、だからこそ、天上の音を、再び思い出すために」ヴァージョンで、女性性のカルマ解除を完成させているわけですし♪


マグダレンホーリーグレイル(マグダラのマリアが、5次元ナディのチャネルガイダンスで語っている意味は、それです。

月に隠された計画としての感情としての水、地球の海のなかに、わたしたちが、喜んで沈んだことを、わたしたちは、これからは、祝福として感じます。
わたしたちの痛みの感情や経験を、祝福と感じるのです。

なぜなら、それを引き受けることが出来たということが、わたしたちの愛の強さの証だからです。」


このチャネル(言葉)の背後にあるエネルギーは、本当に強力です☆

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