外宮、豊受大神の出自☆
外宮の豊受大神のご鎮座については、『止由気宮儀式帳』(804年)の記事が
もっとも古い。
それには大要次のように記されている。
『天照大神が雄略天皇の夢枕に立っておしえられた。
それは自分は、高天原に在ったときに求めていた宮処に鎮まることができた。
「しかれどもわれひとところのみませばいとくるし」
そのうえに大御食も安らかに食べられないから丹波の国比治の真奈井(まない)に
鎮座の穀神、豊受大神を丹波の国から迎えてほしい』というお告げであった。
そこで天皇は夢からさめ、さっそく豊受大神を丹波の国から迎え、
度会の山田原に立派な宮をつくって祭らせられた。
(「隠された神々」吉野裕子)
また丹波比治の真奈井に鎮座する豊受大神の出自を、『丹波国風土記』は
次のように述べている。
「丹波国丹波郡の西北、比治の里の比治山の頂に真奈井という井戸があった。
この井戸に天女八人が降りて水浴している中に、里の老夫婦がその中の一人の
衣装をかくした。
他の七人は天に帰ったが衣装をかくされた天女は万病を癒す霊酒をつくり、
そのために老夫婦は裕福になったが、それと同時に天女を邪魔者扱いして追出した。
追われた天女は竹野郡奈具の村に至り、奈具の社に留まることになったが、
この天女が豊受大神である。
(「隠された神々」吉野裕子)
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