倒した氏族の祖神も、また祟り神として祀る日本人の質☆

古代日本の歴史は、ながらく失われたままである。
縄文時代のはじまりは、一万五千年前といわれ、
弥生時代のはじまりも、近年、放射性炭素年代測定法の
新しい測定結果が提示されて、以前いわれていたものより
五百年もさかのぼる、紀元前十世紀からという説が検討されている。


(「姫神の来歴」高山喜久子)


わたしは日本の歴史には本当に弱くて、
(日本史をとっていなかったのもある)
いろいろ本などを読んでもわからないことだらけなのですが、
上記を参考にしても、長い歴史のなかで、
いろいろな氏族が覇権争いや、領地争いなどをして
滅ぼされた氏族や、裏切られた氏族なども、多々あったのだろうとは
想像します。


「日本書記」や「古事記」の正当性うんぬんは、いつも議論の対象ですし、
真実はわからないことが多いなかで、
わたしが強く感じたことは、
日本人の、倒した氏族の祖神も、また怖れ祟り神として
祀るという資質でした。


これは、大自然を祟り神として祀る資質と共通するものだと
思うのです。


特にヤマト統一に向かっては、いろいろな画策が
なされたと想像するけれども、
その結果として、滅ぼした相手をも怖れ、また憐み、
怒りによって害をなさないように鎮め、祀り、
それによって、相手のもっていた力をも、自分のうちに
習合してしまおうとする。
そして、滅ぼした氏神の祖神も何らかの形で残してゆく。


それが、現在も続く神社の祭神の複雑さと難解さに
繋がっているのではないかな?
と思います。


大化の改新」以降、中臣家の祭祀における変革と権力の独占、
のちの藤原家の栄華にも繋がるという部分は
特に否定的に見る研究者も多いようですが、
その中でも一定の成果を上げてきているのが、
神道の祭祀であり、神社の機能の継続なのではないかなと
思うようになりました。


それは、伊瀬神宮を頂点とする神社の機能の核になっている
部分の結果であるということなのかな?
と思います。


それは、祟りを鎮める=清める=穏やかにする


という機能なのではないか?と思うのですが、
どうでしょうか?
倒された氏族の祖神もまた、敵である倒した氏族を許し、
守ってゆくという懐の深さが、大自然の質を背景にした日本の神々の
豊かな質なのではないかと思うのです。



◆シャンティフレア 北鎌倉◆
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