鸕野讚良(うののさらら)皇女の卓越した能力と、自身の「嫉妬と羨望」が抱える深い闇★2


≪シェキナー白山菊理姫
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続いて、鸕野讚良(うののさらら)皇女が、5歳のときに、
母方の祖父、蘇我倉山田石川麻呂と、母、遠智娘が、
蘇我日向の讒言によって、非業の死を向かえてしまいます。


祖父が、鸕野讚良(うののさらら)皇女の父である天智天皇によって
死に追いやられるのです。
そして、その悲しみによって、母、遠智娘も、建皇子を出産後病死してしまうのです。


建皇子は、唖という障害を持って生まれる。
そして、鸕野讚良(うののさらら)皇女は、姉の大田皇女と、
この弟である建皇子とともに3人で、皇祖母に引き取られるのですが、
本当の鸕野讚良皇女の受難は、ここからだったようです。


それは、彼女のなかに「嫉妬と羨望」の闇を育てる結果となったであろう、
皇祖母によっての建皇子と、姉大田皇女への偏愛でした。


特に、皇祖母は、唖である建皇子を溺愛します。
この不具の孫を憐れに思い深く愛おしみ、
自分と一つの陵に埋葬するようにも詔しているほどです。


そして、遠智娘に似て、とても優しい性格の姉大田皇女も、
皇祖母のお気に入りだったということです。
必然的に、鸕野讚良皇女は、5歳の甘えたい盛りに
愛情的に疎外されてしまうのです。

657年、12位歳で天武妃に立つまでの少女時代を、
もし鸕野が、大田・建と共に皇祖母の基で過ごしたとすれば、
それは、けっして幸福なものではなかったに相違ない。


三という数は、とかく人間関係のなかで、二対一となり易く、
大田と建が、皇祖母の偏愛の対象であるならば、
この愛の輪から一人、疎外されるのは、鸕野である。


鸕野は、その姉や弟のように、人から愛されるタイプではなく、
祖母の方もまた、「紀」に記されている通りならば、呪術に凝るとか、
先述のように偏執的な傾向の強い性格である。
建王の死後、鸕野が、皇祖母から受けた扱いは、
暖かいものではなかったと思われる。


吉野裕子持統天皇」)