鸕野讚良(うののさらら)皇女の卓越した能力と、自身の「嫉妬と羨望」が抱える深い闇★1


≪シェキナー白山菊理姫
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時代の重要なポイントには、卓越した能力を持つ人物が
表れて、歴史を導きます。


鸕野讚良(うののさらら)皇女、すなわち、
のちの「持統天皇」も、間違いなくその一人です。


そして、これはわたしの個人的な見解ですけれど、
伊勢神宮」、そして、天照大神を理解するには、
持統天皇」を理解することが必要なのではないかな?
と思うに至っています。


壬申の乱の少し前には、「大化の改新」が起こり、
そして、その激動の主役である中大兄皇子が、
鸕野讚良(うののさらら)皇女の父親です。


母親は、「大化の改新」で討たれた蘇我入鹿のいとこの
蘇我倉山田石川麻呂の娘である遠智娘。


そして、天下を揺るがす陰謀が企てられる緊張感のなか、
鸕野讚良(うののさらら)皇女は、遠智娘の胎に宿り、
まさに「大化の改新」の実行の年に、生まれたといわれています。



こうして鸕野讚良皇女は、大化元年(645)に生まれた。
奇しくも、この年は、蘇我入鹿誅殺(ちゅうさつ)という大クーデターのあった年で、
いうまでもなく彼女の父、中大兄がその盟主であった。


クーデターの行われたのは、6月12日。
この時、彼女がすでに誕生していたか否かは、不明であるが、
この年の誕生というのことは皇女の人間形成の上に、
この事変が、重大な影響を及ぼしていることを暗示する。


つまりクーデターをひかえていた中大兄は、
それを実行に移すまでの時間、異常な精神の緊張と高揚の裡に過ごしていたに
相違ないからである。
相手は、当代切っての覇者である。
それを倒すからには、敵にまさる精神・肉体両面の強さが要求される。
更には、神の加護、運命の加担も祈られる。


このように考えれば、
鸕野讚良皇女の未生の生命は、
母の胎内に萌す以前にさえも、すでに父方からも大きな影響を
受けていたと思われる。
ましてや母の裡に萌して以後は、深刻な影響を蒙っていたに相違ない。


夫の状態は、妻に反映せずにはいないからである。
そうしてこの懐妊されて以後の生命、即ち胎児は、次には直接、
母の胎内から外界の刺激に反応する。


東洋の哲学において胎児は、けっして零歳ではない。
未生の生命は、母の胎内に在って、自身を取り巻くものすべてを
内外を問わず吸収し、それに反応している。


持統天皇にみる世にも稀な強烈な個性の淵源の第一に考えられるものは、
その父のある一時期に集中された精神力、肉体的力の影響である。
全身全霊を挙げての強敵誅殺、その異常な事態の反映を、
胎児が浴びないはずはないのである。



吉野裕子持統天皇」)