セラピーセッション感想&お便り6


2008/11/23 スクールの修了レポートです☆

このスクールで何度も繰り返し言われてきた事で重要なそして実感してきた事は癒しはテクニックではなく癒しを行う者がどれだけ感情の浄化に取り組できたかであるという事です。


スクールを受ける前は何かが見えたり聞こえたり感じられたりという経験がない事を不安材料にあげていたのですが、スクールを終える頃にはその特異性で誰かと比べる必要はないことが理解できて自分のありのままでいいんだという事、自分の特徴を知り成長過程である今の自分にも自信を持てるようになったのは大きかったです。


人が癒されるという事はセラピストが日々の出来事を通してその時の感情とどう向き合い、どう浄化してきたかが鍵であるという事を教えて頂いたのは実際私が今までやりたかった事であり、今後の私の生き方の基本になったと思っています。


今までこの出来事は自分にとってどういう意味を持つのかという視点で考えていなかったので、ただ出来事だけに振り回されてしまった感じがあり、自分を哀れんでみたり、悲しかったりとても大変だったのですが、その空回りでさえ、自分にとっての学びだったのだなと、それで大変だった人の気持ちが分かる経験を積んだという自分への贈り物になったのだと肯定的に捉える事が出来ました。


意外と難しいと感じたのが自分も含めて人を評価しないで受け止める事でした。
カウンセリングをしていく中で私の中では感想のつもりが評価していると指摘されたりして、人の気持ちにどう共感していったり、表現したらいいのか考えさせられました。


人が感じている同じ重さだけ受け止める事で人は癒されるという事が実践を通して自分でも貴重な体験ができました。


それはどれだけ自分を受け止められているかという事につながるということ、自分に厳しいという事は人をそれだけ評価してしまうということなんだという事を理解しましたし、人は自分の鏡という視点を持つ重要性も分かりました。


私には人が頼まないところまで気持ちを汲んであげてしまいがちでそれは良い面もある反面その人の学びにならなかったり、かえって一種の不快感ももたらすものだという事を自覚したのは、本当に良かったと思います。


それは同じ学ぶ仲間がいて私の感想に対する正直な気持ちを、聞いて初めてわかった事で貴重な意見を頂けたと思っています。


人に優しくする行為のウラには人から感謝されたいという気持ち、又は自分を認めてもらいたいという願望が隠れていたり、その人をコントロールしたいという事だったり依存したい事だったり、好かれたい事だったり色々な感情があるものなのですね。


行為の奥に潜んでいる自分の真意はどれなのかという事をどれだけ丁寧に見てきているかにかかってくるのだとここで思い知りました。


スクールの最中でも沢山の出来事が起こってきてそれは私にとってどういう事なのか、今、どんな感情が沸き起こりどんなテーマに向き合っているのかとより深くまで探る事ができその事自体実践であり大きな学びになりました。


癒しの行為の中でも音を扱うという事について、まず物理学的なアプローチから始まったのには少々驚きました。
しかし物にはすべて振動があり、そしてその源の音がいかに有効であり、それを扱う事にはどれだけの責任があるかも実証されている事と絡めてお話頂き、理解するのにとても役立ったと思います。


ですから音を扱う時にはその宇宙の基音に意識を合わせる必要性をしっかり肝に銘じておきたいと思っています。


最後にこの長い期間共に学んで沢山の貴重な体験をさせていただいたり意見を頂いた仲間に感謝したいと思っています。


お陰で自分の個性を知る機会を持てましたし、またお互いのカラーを知る事でより具体的なイメージを持つ事が出来ました。


勿論カウンセリングや音叉実践の時には沢山助けていただきました。
本当に有り難うございました。


これも何かのご縁あっての事と思っています。
今後も末永くよろしくお願いいたします。


またこの機会を作っていただき、色々ご指導頂いた史衣さんには本当にお世話になりました。有り難うございました。


なかなか時間を作れなくて私一人のために時間を割いて頂く事が多くなり済みませんでした。


今後も自分の生き方を通して学んでいく上で色々なご指導やご指摘を受けるかと思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします。