「セラフィムについて」
「セラフィムについて 」
どうしたんでしょう、笑。
少し筆が乗ってきたので、書いちゃいます、笑。
わたしが理解しているセラフィム(熾天使)のエネルギー
というのは、ですね。
たとえば、悲惨な事件とかあるでしょう、
血の海みたいなのとか、ありえない性犯罪とか。
その場所は、とてもエネルギーが低くて、
通常の光の存在は、足を踏み入れられない。
もっとも光の少ない場所です。
加害者も、被害者も、自分自身の尊厳や光を
完全に見失ってしまうかもしれない可能性の場所。
でもね、セラフィムのエネルギーは、
そういうところにこそ、存在しているのです。
わたしたちが、もう忘れて、
見えなくなった自己の内なる光や美しさ。
でも、それを讃えることを止めない、
その場でわたしたちが忘れても、
セラフィムのわたしたちの美しさを讃える歌は、
声は止められない、どんな存在も。
でね、わたしは、
人間の本質ってセラフィムなんじゃないかなと思うのです。
そういう歌を歌うために、
いろいろな経験を受け入れているそんなふうに感じるのです。
ちなみに、わたしは音叉セラピーを、
一時ですが、セラフィムになったつもりで、
させていただいているんです。
秘密ですが、笑。
そんな歌を歌いたくて...
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