大国主(オオクニヌシ)という「母殺し」せずに成長をとげた神様☆(続き)


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ユングの言う「母殺し」を経て確立した西洋人の自我は、
自身の内に価値判断の規準を明確に確立して、
その規準に外れるものを容赦なく無価値とか悪とみなして、
排除したり、抹殺しようとして激しい争いを引き起こしてしまう傾向を持つ。


しかも、その傾向が明らかに、アメリカ文化の中で、ヨーロッパにおけるよりもずっと、
純化して尖鋭で極端になっている。


そして、一時は、世界全体が目指すべき目標であるようにも
宣伝されるきらいのあったグローバリゼーションとはまさしく、
そのアメリカ文化の中で、極めて単純に信奉されている価値基準を、
世界中に一様に広め押し付けようとした動きに他ならなかった。


その上に「母殺し」を土台に持つ欧米の文化は、
その当然の結果として、
人間を含む万物の母である自然に対しても崇敬心を持たずに、
ただひたすら恣意的に利用しようとして、
極端な自然破壊を続けてきた。


それに対して我が国では、ユングの言う「母殺し」と
無縁であるまさにそのことのおかげで、
相対立したり、矛盾するものであっても、
そのどちらも排除も抹殺もされずに、
それぞれが価値を認められ居場所を与えられて、
共存し、共生することのできるグローバリゼーションとはまさに正反対の
文化が営まれてきた。


そして、そのことで私たち日本人は自然に対しても、
その働きのそれぞれを神として崇め、その恵みに感謝しながら、
人間に不可知なその神秘には畏敬の念をけっして失わずに、
共生することを続けてきたと思われるからだ。


(「大国主の神話」吉田敦彦)


グローバリゼーションが悪いということではないとは、
思っています。
ただ、グローバリゼーションは、格差を広げてゆく富の集中を
指向する性質をどうしても持つし、
今回のテロに対しての対応などは、日本の良いところが
あまり生かされていなかったのではないかなと感じる部分も
あったように思う。


わたしも、その行為や目指すところ、
たとえば自分の利益や欲望、抑えられない感情のために、
他者を犠牲にしても厭わないという傾向に対しては、嫌悪を感じる。
でも、嫌いだということと、それに対して激しい憎しみを持つというのは
ちょっと違うと感じる。
「ノー」と「ヘイト」くらい違う。


相対立したり、矛盾するものであっても、
そのどちらも排除も抹殺もされずに、
それぞれが価値を認められ居場所を与えられるというのは、
まさに、日本の神話的、文化的特色であり、
バランシングのためにも、今という国際時代に
求められている日本なのだと思います。


今回の立春の「6次元ナディ」は、
こんな感じのことを受け取ったと思っています。



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戦争や、貧困、飢饉など、
人類が直面しているほとんどの問題は、
ある一定量の愛があれば、解決することができるのです。


強欲は、分かち合いに、
競争は、協力へとその姿を変え、
人類が直面している問題を解決するために、
人々が、自ら責任をとるようになるからです。


人類が直面している危機は、
人々に協力することを教え、
その協力を通して、ハートセンターを覚醒させる
チャンスを与えてくれます。


愛の存在感が高まっている今、
人類は、グループ意識を発達させようとしていますが、
それは、多くの人達が、自分達も、
より大きな全体の一部であるということに
気付きつつあるということです。


人類が自分達の試練に対する解決策を
見出してゆく過程で、
人々は、全体のためのヴィジョンを想像し、
それを現実のものとするために協力しあい、
一国、一個人よりも、
人類全体の利益を優先した行動を、
とるようになっていくでしょう。


(サネヤ・ローマン「魂の愛」)
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