大国主(オオクニヌシ)という「母殺し」せずに成長をとげた神様☆


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ユングによれば男性は、
大人への成長の過程で、
その呑み込む太母の力と対決してそれを克服する、彼の言うところの
「母殺し」を遂げねばならず、それができねば心理的にはいつまでも大人になれずに、
ユングが「永遠の少年」と呼んだ状態のままでいることになる。
ギリシア神話アドニスはまさしく、このユングの言う「永遠の少年」そのもののような存在と
認めることができる。


そして、太母の力から男性が自我を自立させようとするときに、
その心理的母離れを妨げ離れさせまいとする太母の拘束力は、
彼にまるであらゆるものを呑み込む恐ろしい怪物の凄まじい力のように
感じられるので、ユングは、それを「呑み込む母親」と呼んだ。


(「大国主の神話」吉田敦彦)


ここでは、男性と書かれていますが、
女性も社会進出している現代では、女性のなかの男性性も含む、
男性=男性性と捉えたほうが、よいでしょうね。


そして、吉田氏は、西洋文化に比べて、
日本の文化は、
「母殺し」が出来ない男性の文化であると述べています。


もちろん、そのために真に自立できない男性や女性が多いということも
あるのですが、
それに対してのある理想的なモデルとして、「大国主」を
あげているのです。


そのことについての詳細は、また取り上げるとして、
この記事では、その結果、わたしたち日本人に与えられている可能性について
転記してみたいと思います。

つまり、この(大国主の)神話から、
われわれは、ユングが男性の一人前の大人への成長をするために
必須であると主張した心理的な「母殺し」を遂げることが、
日本人には、可能でないだけでなく、実は不可欠でもないことを
学びとれる。


そして、古来より現在まで、日本において
ユングの言う「母殺し」が不在であり続けてきたこと、
そして、それにもかかわらず優れた文化であり続けてきた、
そのことこそがまさに日本文化の比類のない独自性であり、
それによって一時は、「グローバル時代」とまで言われた現在の世界において
そのグローバリゼーションに対する貴重なアンチテーゼとして、
測り知れぬほど大きな価値を発揮できる可能性が、
日本文化にあることを、はっきりと了解できるのではないか、
と思われる。


(「大国主の神話」吉田敦彦)


続きは、また書きます♪