W杯で、男性性を考える☆


≪パラス・アテナ≫
http://shanti-flare.ocnk.net/product/51



≪シェキーナー(白山菊理姫)≫



「南米・南欧勢のような「本能的な積み上げ型のサッカー」をしていると、ある種の運命的に「スター選手」的な存在が生まれます。

オランダやドイツの選手が、どれだけ凄くてもサッカーファン以外になかなか「顔と名前」が浸透しないのに対して、ブラジルのネイマールとアルゼンチンのメッシのような存在には、「純粋な機能性」を超えた「スター性」が宿る・・・ところがあって、これは非常に不思議な感じがします。たまに本能が暴走しすぎて相手選手に噛み付いてしまって退場どころか数ヶ月プレー禁止・・・っていう選手まで出てきますが。

そういう「スター」的な選手のあり方と、「マシーン」的な選手のあり方については既に述べてきたわけですが、その「スター」の中でも2つの類型として、「イケメンではないスター」=メッシと、「イケメンなスター」=ネイマール・・・という「扱い」の背後にある文化的違いっていうのがあるように思うんですよね。(それが、最終的にこの連載のゴールである日本サッカーと日本経済の今後の勝ち方・・・につながってくるんですよ)」
(倉本圭造「イケメンじゃないスター=メッシvsイケメンなスター=ネイマール」)
http://www.huffingtonpost.jp/keizo-kuramoto/post_7922_b_5542069.html?utm_hp_ref=mostpopular


この倉本さんというかたの記事を興味深く読みました。


スペイン語圏(スペインと、ブラジル以外の南米・中米諸国)とポルトガル語圏(ポルトガル・ブラジル)には、「個々人の男」に対する社会的文脈によるエンパワーメントの形が大きく違うように私はずっと前から感じているんですよね。

これはおそらく、彼らの歴史の中に染みだしている「イスラム圏だった時代(注スペイン語圏)」の影響が色濃く残っているんじゃないかと私は考えているんですが。

その結果として、スペイン語圏から出てくるスターっていうのは、言ってみれば「フーテンの寅さん」型で、「男の集団的願望と共鳴して存在を許されている」感じなんですよね。

一方で、ポルトガル語圏から出てくるスターは、もうちょっと「ジャニーズ・アイドル」的で、「男の集団的願望」的なものが寸断された社会において、女性の願いも大きく入って来た中での社会現象として生まれるスターって感じなんですよ。要するに「イケメン性」が高い。」


「確かにスペインチーム全盛期には、一人ひとりがボールを預かった時に凄く「安定感」がありました。

たとえ一瞬しかボールに触らなくても、

「お手前にお預けもうす」
「承りもうした。おまかせあれ。つぎはそなたにお預けもうす」
「お預かりつかまつった。おまかせあれ。」

的な「折り目正しい」感じがあったんですよね。一人ひとりが流動的な状況の中での「仮の存在」扱いではなくて、ある種の「一家の主」的な扱いの文化があった。」


「つまり、フェミニズムの論客さんが「ホモソーシャル」と呼ぶような男社会の相互擁護メカニズムが確実にあって、チームメイト一人ひとりの「一家を成す権利」的なものを、アプリオリ(生まれつき、生来的に)に認めるような安定感があったんですよ。

そこに俯瞰的な視点での機能性の要求や、男間における「序列性」といった要素が希薄で、一人ひとりの「本能的安定感」が共有されていて、「お互いの領分」に対する尊重意識がある。


「で、そういう「一個一個のイエ」が確実なものとして存在した上で、その世界の「スター」という風になると、ジャニーズ的に「イケメン」というよりは、マラドーナ的な「フーテンの寅さん風男のあこがれ」の投影に近くなってくるんですよ。

だから「男社会」の和を乱す「イケメン性」は薄い。スペイン黄金時代の中心選手だったイニエスタという選手が日本に来た時に山手線に乗っている写真がネットを検索したら出てきますけど、世界最高の天才的サッカー選手なのに山手線に乗ってるのが違和感なさすぎてビビる・・・というぐらいでした。」


「それに対して新教系の国は「俯瞰で見た作戦」からの「トップダウン的な個の機能性」ベースに動いているわけなんですが、一方でポルトガルやフランス、イタリアといった国とスペイン語圏のサッカーを比べると、彼らは「一人ひとりの男」の「安定性」を「キリストの存在感」によって文化的に削られてるんですよね。

本当の意味で「家の主」であれる存在はキリストだけだ・・・っていう「削り」が効いてくるのがキリスト教の機能そのものだと言っていいぐらいなんですが、その結果として、「一人ひとりの安定性」はスペイン語圏ほどない・・・・が、その結果として、「個々人の安定性の欠如」を象徴的な形での「ジャニーズ的なスター選手」を作り出すことでそれを埋めている・・・感じになることが多い。そういう選手が出て来て「一本化」できたら強くなるが、出てこない年は弱い・・・という感じ。」


「だから、メッシは「男社会」のみんなの願いの具現化・・・という形でガッチリ組み込まれた「フーテンの寅さん型スター」なのに対して、クリスチャーノ・ロナウドネイマールは「男社会」からは切断された「個」として、男社会から分離した女性の願いも吸い込んで商業的に成立している「社会現象」としての「ジャニーズ的スター」なんですよね。」


「要するにスペイン語圏のサッカーは「内弁慶的」になりがちで、「ウチ」の密度感の中ではどこまでも強く出られるが、「その外側」の要素が絡んでくると力が出しづらくなる構造になっているわけですね。

時代の流れと合致して黄金時代を謳歌したスペイン代表も、今回の大会ではグローバリズム液状化した世界に飲み込まれてしまって、一人ひとりの選手の「イエ」感が薄くなり、「収まらない」状態のまま最後まで行ってしまいました。」

オタクという言葉は、「仲間の男」に対して「お宅ではどうなんですか」と呼びかけることから始まっているそうですが、その「お宅」という言い方の中にある、「相手には相手の"一家"的な独立的存在があるという承認文化」が、昔の日本にはあったんですよね(そしてオタクさんたちはいまだにその時代の文化を生きているんだとも言える)。

つまり日本は明らかに昔は、「スペイン」的な形で、全ての男に生来的な「一家の主」的なものを認める形でやっていたわけですが、それが歴史の流れの中で解体され、スペイン以外の南欧にはとりあえずはある「一神教ベースの個の尊重文化」も無いから行くところまで行っちゃって、今は「イケてる存在の男」と「イケてない存在の男」を過剰に分断して差異化する形でなんとか「全体の連動性」を保つ文化になってしまっている


結果としてただ生きているだけで色んな怨念をまき散らす状況になっているし、サッカーでも「個の安定性」がなくてどこにもボールの「収めどころ」がない・・・って感じになっちゃってるんですけど。

これから先、日本における「男社会の内輪の擁護システム」はさらに崩壊していくことは避けられないわけですけど、その先に「一部のスターとそれ以外のカス男たち」みたいな扱いの格差付けがさらに暴走するような文化になったら、それは男にとっても女性にとってもかなり暮らしにくい社会になっちゃうんですよね。

女性から見ると、「男」を「超イイ男」と「ダメ男」に分断する方向で過激なことを言えば言うほど自分は「イイ女」的ポジションを簡単に得られるんですけど、それは実は結果としてうまく自分が納得できるカップリングを人生の中で得られない女性が大量生産されるってことでもあるんですよ。

で、本当にそれは「ダメ男」だったのか・・・・みんながうまくその男の魅力を「発揮」できるように持っていってやれさえすれば、「ある女性」にとって「魅力的な伴侶」になりえた「男(の原材料)」だったんじゃないのか・・・っていうところの「社会的配慮を生み出すワザ」は、「男社会」をぶっ壊す爽快感とは別に「用意する周到さ」をみんなで持ちたいものです。」


「「古い男社会の抑圧を無化する」ためだけの「男社会の無理な格差付け、断絶化」が暴走するようになると、結局「古い男社会」を捨てるわけにもいかなくなるわけですから。「古い男社会の抑圧」を批判するときには、それが担っていた「目配りの力」を何らかの形で補正することがやはり「責任」として必要なわけですね。

「その責任」までちゃんと見ようとしてくれるんだったら、「男社会の抑圧」なんて大抵の男が明日にでも捨ててしまいたいと思ってるんですよ。いやほんとに。」


「経済のダイナミズムがもたらす貧富の格差が多少はあっても、「モテの格差」がある程度安定的に解消されていれば、それなりにみんな幸せに暮らせますからね。

そしたらやっと、女性対する暴言をコリもせず吐き続ける下品な保守党政治家なんかは、広い範囲の「男の総意」として「あんなヤツはカスだよね」って抹殺することが可能になるわけです。

そういう意味でも、過去4年間の世界のサッカー界がスペインサッカーを徹底的に研究し、模倣し、地形をポリゴンに取り込んでゲーム世界に再構築するように新教的な俯瞰的戦術の中に入れ込んで来たようなプロセスが、「優勝国」のサッカー文化を起点にこれから4年間世界中で続くことになるわけですから、ジャニーズ型イケメンスター・ネイマールはスペイン的「寅さん」たちが率いる南米諸国のライバルを抑え、北部ヨーロッパ諸国のサッカーを抑え、開催国を優勝に導けるか?は実に注目に値しますね!」



「モテ格差」、とか、「スター選手」と「イケメン性」
「男社会」の和を乱す「イケメン性」とか
男間における「序列性」とか、一人ひとりの「本能的安定感」とか、
「スター」的な選手のあり方と、「マシーン」的な選手のあり方とか、
とても興味深い視点でした。


わたしたちの中の男性性の価値観について
考えるにも、すごく参考になると思ったので、
参照させていただきました。

そして、
わたしの実体験にも、まさに当てはまっていたので、
それについては、これから書いてゆこうと思っています。
が、
上手く書けるかな〜?
難しいテーマなので、もし書けなかったら、
ごめんなさい!!!