昨日読み返して癒された、過去のいただいた感想アップします♪8


2次元ナディ
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いつもお世話になっております。

ご提出が期限を過ぎてしまい大変申し訳ございません。
2次元ナディのレポートをご提出します。

まず、特別設定で23日に受けられるようにしていただきありがとうございました。
ナディ当日、祝日でお休みだったので、私は大掃除のために散らかった本を片づけていました。その中に、ねこぢるという漫画家さんのマンガがありました。
このマンガは、私が中学生の時に買ったものです。
好きなミュージシャンが「ねこぢるさんが好きだ。おもしろい。」と言っていたので、私もそのミュージシャンの方の気持ちがわかりたくて、ねこぢるさんのマンガを全部そろえたのです。


そして、マンガを読んでみると、かわいいねこの絵とは裏腹にとても残酷な内容でした。
狂った人たちがたくさん出てきて、とにかくいっぱい登場人物が死にます。


ただただ繰り返される理不尽な大量殺人にびっくりでしたが、好きなミュージシャンの気持ちを理解したいし、つながっていたいからずっと手元においておき、ときどき読んでいました。


そのマンガも、もう私には必要ないかなと、つまり、同じものを持っているということで好きなミュージシャンとつながっていると思わなくてもいい、自立できたよねと思い、手放すことにしました。


ねこぢるさんのマンガの魅力というのは、「びっくりするくらい理不尽に暴力的だ」ということなのではないかと思います。


私は最初びっくりしましたが、それは、ねこぢるさん以外のマンガでこんなに暴力的な描写がたくさんあったり、狂った人が出てくるものを見たことがなかったからです。
え?こんなに暴力的でも出版できるんだと思ったのですが、世間では一般的に「これくらい暴力的だと出版できない」と考えるものです。
子どもはある意味残酷なことも平気だったりしますが、大人になると残酷なことはできなくなります。だから、大人の感性になっている私はねこぢるさんのマンガを見てこんなに残酷なことを表現してもいいのかとびっくりしたのです。
ねこぢるさんのマンガを読んで「おもしろい」という人がいる。
この事は、人間の心は残酷なものを見て楽しいという気持ちがあるということを意味しているのだと思います。凄惨な事件のニュースが、メディアを賑わすというのも、ニュースを見ている人の心の中に残酷さを見たい、おもしろいと思っているところがあるからなのではないかと思います。

私は、ねこぢるさんは本当に自由に表現できる方だなと思いました。



そんなねこぢるさんも、98年に亡くなって今はご主人がねこぢるさんのマンガをかきつづけていらっしゃいますが、そのことを考えるとなんだかすごく…孤独というかなんて辛いことなんだろうと思い、心が苦しくなってきました(ご夫婦の関係は信頼しあった関係でした)。

ご主人も漫画家でいらっしゃいますが、今までどんな作品を出されてきたのか調べたことがなく、なんだか無性に知りたくなってきました。

そこで、インターネットで調べてみると、ご主人の出された作品はすごく暗いものばかりということがわかりました。

たとえば、「四丁目の夕日」という作品は、ストーリーのあらすじを見るだけで、私には読めない、「ねこぢるさんのマンガより怖い」と思うリアルな怖さを感じました。
そこには、社会や人への不信を刺激されるものがあります。
現実の世界でも起きそうな、貧乏や仕事の過酷さや人生の運のついてなさが凝縮されていて、もしかしたら自分もこうなるかもしれないという恐怖を呼び起こさせるのです。
みんな、人生いろいろあるでしょうが、この「地獄を味わいたくない」という恐怖から何かとがんばっているという人も多いのではないでしょうか。
私は確実にそうです。
あらすじを見ただけで人生の暗さというものにどっぷりとはまりました。

この作品は読んだら後悔するのかなと思いました。しかしながら、アマゾンの書評を見ると、みんな前向きというか、読んだことによって逆に辛さから楽になったという感想ばかりが書いてあったのです。
この作品をみんな「素晴らしい」と評し、読んでよかった、読んでみたことによって闇と対峙し浮上したということが書かれてあります。
闇を知ることで光を見ているのです。そう思いました。
恐怖に駆られて避けて妄想が膨らむより、読んでその闇を経験することが叡智となる。
じゃあ、それって闇じゃないじゃない?闇って何なのかなと思いました。


私にとっては、それは、闇が怖くて何も感じないようにし、麻痺した人間(ロボットのような人間)として、人間らしい人生を生きていないことが闇なのではないかなと思います
私は闇が怖くて麻痺してしまい、逆に地獄体験まっしぐらな時がありました。
自分の感情が無い時が一番地獄でした


他のマンガですが、ちょうど工場労働者の描写があって、ベルトコンベアーの流れに沿ってひたすら部品を組み立てるという作業をずっとこなし、入りたての新人がふと工場全員の顔を見て、「自分もこんな風になるのではないか」と怯えるんです。何に怯えるかというと、何もかもを諦めたような顔になってしまい、みんながモノみたいに見えたからです。
自分もみんなみたいに、いつかモノみたいになってしまうのだろうか。
そこで芽生える感情、これをしっかりと感じきることが闇を克服することなんですよね。
ここでこの感情をわからないように巧妙に隠すと、分離していくのです。
その場面を発見し、私はそういう地獄にいたのか〜とわかりました。


勇気を持って自分の意思で下降するとは、自分の真実の目で物事を見て、自分の感情を麻痺させること無く共感し、感じることを抑圧せずに表現するということをどのような場面でもすることだと思います

今回、ねこぢるさんから出発して、ねこぢるさんが連載していた月刊マンガ雑誌などに関連のあるマンガなどを追うなど、マンガを通して自分が人生で怖いと思っていることとの対面について考えました。

ねこぢるさんとは関係ないけれど、「リリィ・シュシュのすべて」という映画が、上映されてから10周年がたった記念で映画館でまた上映されていたのですが、10年経ってまだ支持されているのは、この映画が描く闇を、みんなほっとけないからだろうと思います。

それって、自分の意思での下降なのでしょうか。
このような、表現されたものを見て、感情的に物事を体験するということでも、元素霊を救えるといいなと思います。

ではでは、2次元ナディのレポートは以上です。
金星の女神学校《レディ・ナダ》のレポートもまたご提出しますが、そちらでも、2次元ナディの学びがありました。

冬のプロジェクトの大きな恵みをありがとうございます。
史衣さん、高次の存在たち、みなさん感謝いたします。