昨日読み返して癒された、過去のいただいた感想アップします♪5

いつもお世話になっております。今回もありがとうございました!
感想、4つ全部を繋げて書いてしまったのですが、大丈夫でしょうか。
ギリギリ提出ですみません。
以下、よろしくお願いいたします。


≪冬プロジェクト≫後半。フルマラソンコースで参加させていただきました(笑)。ありがとうございました!

4つのトランスミッション当日に、毎回とても憂鬱になり(特に2次元ナディ前は酷かった)、その時浮かび上がってきた感情・思考によって、それぞれのテーマごとに、私の中で宇宙の恩寵の流れに乗ることに抵抗しているエネルギーがよく分かりました。

聖母マリア
始まる直前から、蛇を踏みつけている可愛いマリアさまの絵についてぼんやり考えていて、5月の初開催の時にはよく分からなかったけど、これって(聖母マリアの剣)本当に凄いことだよな〜と改めて思いました。5月以降、そう出来ない自分を思い知る日々でしたので。でも学校で、そういう私すら肯定してくれるエネルギーを受けて、自分の魂(の旅)に誇り(愛)を持とうという気が湧いてきました。高みは果てなく、己の未熟さの醜い姿にめげそうになりますが、今この宇宙の一員として旅する機会をいただいた幸福な魂として、自分の旅に愛と誇りと冒険心を持つこと。高みの存在(マスターや女神達)は私ではなく、マネすることも仲間であるかのような振りをすることも空しい。私は私の旅をすることが真の喜びであり、この未熟さを育てていく体験をする機会をいただいている素晴らしさを「本当に受け取ろう」と思いました。ブログに2次元ナディのための命綱でもある『どんな自分も肯定してくれる愛としての、「聖母マリア」のエネルギー』とありましたが、本当にそうでした(疑っていたわけではありません:笑)。

☆浮かんだインスピレーション☆
放っておいても、地球の流れに逆らうことを望まない限り、全て清らかなる方向へ進んでいる。地球の進度以上に進もうとしない。今の自分を楽しんでいい。今の自分を楽しまない限り、喜びのエネルギーは日常生活に生まれない。今の自分を否定すると、楽しみへの道が断たれる。自分をあるがまま客観視し、なおかつ心安らかに在る。謙虚さ(悪しき人間としての自覚)を持ちながら、現状において楽しんで良いということ。

心が騒いで、どうすれば良いのか分からなくなったら、落ち着くまで何もしない。心に平和を取り戻すことに集中する。平和の中で強さが育つ。混乱の中では何も育たない。平和に全身全霊を傾ける。混乱をコントロールするのではなく、静けさと落ち着きが戻るまでひたすら待つこと。それを志向すること。

感情が暴れているなら、思う存分暴れさせる(内的に)。いずれ疲れて静まる。聖母の腕の中、手のひらの上で暴れ、不安で泣き、しかしその愛に包まれている。傷ついた少年を常に絶えることなく包んでいる愛がある。この愛を育てる。思考は高次にも低次にも到達し得る。ゆえに、あるがままの自分に嫌悪を抱くこともできるし、逆にあるがままの自分を愛することもできる。

子供達は世界に対する深い信頼の中で生きている。だからエネルギーが尽きることなく飛び回る。泣いても、ちょっとした愛に触れた瞬間すぐに笑い出す。

≪2次元ナディ≫
朝から、今までの人生が全て、自力であるいは男性性のみで上昇しようとしていた試みであったこと、それは聖母マリアのように自らの暗闇と対峙してしっかり抑制できなかったからであることを強く感じ、いきなり聖母マリアのようになれるはずはないのですが、ただ私の場合、1ミリも自分の暗闇に踏みとどまることができなかったその挫折感に苛まれました。やがて夕方頃になって、暗闇に踏みとどまれずに苦闘に走り、その苦闘の全てが失敗したからこそ(その経験ゆえに)、その道が間違いであることを自由意思において認めることができたのだと心から納得し、エントリーメールに改めて向き合う気になり、しっかり読みこみ、開始を待ちました(朝に読んだ時は及び腰で、拒否感・抵抗感を持っていました)。

☆開始してすぐ浮かんだインスピレーション☆
苦しみ・地獄を愛していることへの気づき。その愛の裏にある闇を見ることが始まりになる。全ての地獄の裏にある闇。地獄(苦しみ)を作りたがっている欲望の正体を見る。それこそが、あなたの真の苦しみ。苦しみ(地獄的状況)を作り出すことで、負の欲望を満たしている真の苦しみを受けとめた時、状況に光がもたらされる。

人生の苦しみの体験の奥に、体験(下降)することすら怖くてできない苦しみがあるのだということ。その苦しみを解放しない限り、あなたは地獄を愛し続け、出口のない苦しみに迷い続けることになる。人生の苦しみの原因は、そのさらに奥にある苦しみが原因だと、そこにしか解決の糸口がないのだと気づいた時、人は自力で上昇する不可能をさとり、宇宙に降伏し、こうべをたれ、2次元への道を進む決意を固める。


☆これまでの人生は、2次元に下降せずに上昇できないかと、あの手この手で足掻いていたようなものだった。苦しみを感じないですますことはできないかと…☆

しかしそこに確かに苦しみがあり、あなたがそれを受けとめるのを拒否するのであれば、代わりに誰かが受けとめなければならない。高次の女神たちが、四大元素たちが受けとめる。その事実をしっかり受け止めて、咀嚼しなさい。ずーっとそうやって守られて生きてきたのだ。


☆このインスピレーションがズシッと心に響いて、泣けてきました。そこで、「自分の中の2次元に下降する準備はすでに整えられた(サポートをいただいた)気がします。他にやるべきことももはや思い浮かばず、今まで他の方々に受けとめていただいていた私の闇を自分で受けとめ、癒していくことを始めます」とノートに書きました。何となく、宣言するような気持ちで。


そこで一段落ついたような気がしたので、細かな雑用をこなしたり、ナディ直前に入浴したのでドライヤーで髪を乾かしたり(って、どうでもいいことですが)していたら、ふと目に入った水晶が素晴らしく輝いていて目をひかれたんです。それから連想して、水晶にエネルギーを浄化してもらったり、クリスタルヒーリングなど鉱物界の存在に痛みを癒してもらったり、シャワーを浴びれば水に物質的・エネルギー的な汚れを流して(受けとめて)もらったりと、顕在意識で気づくだけでも四大元素に日々支えてもらって生きていることをしみじみ感じました。私の理解を超えたところで、3次元が2次元に支えられて存在していることがストンと入ってきたのですが、(奉仕精神のみではないながらも)何故受けとめてくれるのだろう?と考えてしまいました。マラカイトという石なんて人の痛みを吸い込むだけで、自らを癒すことは一切しません。何故そんな在り方ができるのか…?☆

偉大なディーバ達の働き。自然は人間を癒す。人間が2次元から働きかけることで、その循環の輪が完成する。その時、自然に隠された秘密が見えてくる。癒されるだけ、利用するだけでは、輪は完成しない。

ふむ〜と思いながら、石を見ているうちに10時半になりました。指導は終わり、という空気を何となく感じつつも、逡巡(さっき宣言したくせに)。あと30分。どうしよう、向き合ってみるか。。。今なら確実にマスター達の導きの中で下降できるんだから・・とずっとストレスとなってきた状況にもう一度向き合うことにしました。そして、その地獄的状況に執着してきた(望んで苦しんでいた)原因である真の苦しみに現在の自分の器の範囲内で下降することが出来たと思います。11時のヒーリングでは何となく意識がぼやけていてそのまま眠ってしまうかと思ったのですが、0時直前に意識がスッキリして、そして今回初めて向き合った苦しみゆえにこのまま地獄にとどまっていたい気持ちと、幻想から目覚めるという意志とが葛藤し始め、眠れなくなりました(笑)。翌朝、レイキを流して黙想しているうちに、地獄を手放す覚悟が決まりました。

≪観音≫
この日は、2次元ナディで気づいた苦しみゆえのエゴがどのような形で私の思考や感情を支配しているかに色々気づかされました(それは今も続いています)。自分としては何ら恥じるところがないと思っていた思考が「うわ〜、これこそがエゴだったんだ…」と気づくことの繰り返しでした。

私の地獄の一つが、「許せない」ということの苦しみです。勿論無理に許す必要はありません。私の中の愛が育って「愛ゆえに、許す必要すらなくなる許し」が起こるまで、「許せない」状況を手放すべきなのに、執着して苦しみ続けているのです。何故執着するのかを辿れば真の苦しみに下降できますが、この時点ではそれができず、何故許せないのかばかり考えていました。≪観音≫直前に、エントリーメールから刺激を受けて、ふと「私が全ての人の真実を知ったら、全ての人を許すだろう」と思いました。

誰かの行動を非難していたけど、よくよく事情を聞いたら納得した、なんてことは日常でもよくありますよね。その人の全てを知ることができれば、許せないことなど無くなる。また同様に自分を許せないことも地獄ですが、私が私の真実を全て知ったら、私を許すだろうと思いました。自己嫌悪も罪悪感もなく、ただ愛すだろうと。でも、私は私の全てを知りません。だから無条件に愛せない。しかし!≪観音≫は、私が知らない私、私がまだ対峙することのできない闇、苦しみの原因も全て知り、理解し、その上でそれゆえに「何もする必要はない。受け取りなさい」と促してくれる存在なんだ!と思った時に、≪観音≫がいてくれることが本当に嬉しくて、心強くて、再開催にして初めて、その存在に心が震えました。


学校が始まって、今回は本当に「何もしない」気持ちで穏やかに過ごさせていただきました…が出来ない部分もありました。とはいえ前回は「何もしない」の意味がどうしても分からないぐらいだったので、やっぱり変わってきていることを実感します。ありがたいです。自分の家の庭木を通して植物界との関係で色々悩んでいたので、それについても導きをいただきつつ、でもまだ答が出ていないので、学び中という感じです。自然界との交流そのものがまだ始まったばかりという感じです。

翌日、朝方の4時に頭痛で目を覚ましました。頭をグルグル渦巻いているエネルギーを感じながら、私は不要な信念とか思い込みが多そうなので、浄化だな〜嬉しいな〜と思いつつも、痛くてうまく眠れませんでした。そのまま午前中一杯は痛かったような。

≪レディ・ナダ≫
朝、とある事柄が急に浮上し、それに付随する感情に悩まされ、それについてさんざん考えた末に、PCを起動してエントリーメールを読みました。内容が難解だ〜と唸っていたのですが、読後しばらく時間が経ったら、そのとある事柄に関連して起こった私の感情や思考こそ、メールにあった『わたしたちが「頑張る」ことによって達成される秘儀ではなく、わたしたちが「流れに身を委ねる」ことによって達成される秘儀です。』の「流れに身を委ねる」ことに抵抗するエゴの表出だと分かって、「なるほど〜。そうか〜。手放そう!」と思いました。その後ブログの『メリーメリークリスマス☆♪☆♪☆』の記事を読ませていただきましたが、「えぇ〜!史衣さんも参加者の皆さんも今、そんな状態なの〜?」という感じで、一瞬、うまく受け取れていないのでは?と思いましたが、史衣さんがここまでおっしゃられているのだから、そうなのだろうと思って、「来年はそんなに楽しみなのか〜♪」と少し心が軽くなりました。それでさらにしばらくしたら、来年新たに生まれてくる、変わっていく自分の母体である私ということがスッと理解できたんです。「しっかりしよう!」って(笑)。

ビックリしました。自分に起こったことに一瞬ポカンとしたような感覚の後、「何これ、凄い!」と思いました。
そして、苦闘せずにはいられなかった(まだ過去形にしきれない部分もあります)私が、これから自分の暗闇と少しずつ対峙していく中で良き母体で在り続けるために、≪聖母マリア≫と≪観音≫が強力にサポートしてくれること、というより私自身がそのサポートを強く必要としていることを感じ、≪冬プロジェクト≫の恩恵を知ったのでした。

知識としては、インナーチャイルドの母になることの必要性、傷ついた男性性を癒すのは私の女性性だと分かっていましたが、この日、自分の中に目覚めた新たな意識、自分自身の母であるという母性(?)は、今までの私には想像できなかった感覚です。無事に生まれさせるために、どんどん変わっていかせるために、自由意思の世界で私にそれが出来るのは、私の母体である私だけなのだと。

というわけで、≪レディ・ナダ≫開始後は、全てはうまくいっている安らぎに浸ろうと思ったのですが、深い呼吸を繰り返しても様々な想念が浮かんで、なかなか安らげず(笑)。女神学校の最中ですらそうなのですから、これからの日々、完璧な母体になれると思わず、自分のペース・器の範囲内で一歩一歩進んでいこうと思いました。私は私の母体であると同時に、私も地球の一部として、≪レディ・ナダ≫に包まれているのですから、心配する必要は何もありません。

浮かんできた様々なエゴについて考えた後、何となく来年の星の運行について記載のある手帳を開いて、1月から順番に星の動きを見ていきました。知識がないので、星の動きが何を意味するのか実際のところは分からないのですが、天王星海王星といった長いスパンで星座を移動する星が動くことに「何か起こりそうだ〜」とわくわくビクビクしたり、来年はクリスマスと新月が重なってるんだな〜と思ったり、今年も星の動きはダイナミックでしたが、来年も凄そうだなと。そしてその影響で様々な事が起こるだろうけれど、何が起ころうとも真実を知っていくための恩恵なのだと思って、手帳を閉じました。


翌々日から早速、良き母体になるために必要なことに気づくべく、状況が起こっています。私はすぐに怖れと不安に囚われるのですけれど、シュタイナーが『オカルト生理学』で語っていたことが思い浮かびました。人間が個であると同時に内的世界に分離・孤立しないために、自分の感覚器官などによる像としての外界だけでなく、直接外界に触れる必要があるとシュタイナーは語ります。それは、『一定の仕方で直接外界に関わっているようでなければなりません。このことは血液が肺の中を流れ、外なる空気に触れることで可能となります。その際には外気中の酸素によって血液が新鮮になります。
何にも妨害されないような仕方で、空気中の酸素が人間自我の道具である血液と結びつくのです。(略)人間は、外界の素材を変化させることなく、直接内なる法則や働きの中に取り入れることによって、自己閉鎖的にならずに、外界と完全に結びつくのです。』 なのだそうです。深呼吸を繰り返すと、心が落ち着きますよね。緊張している時は無意識に大きく息を吸って、吐いて、何とか落ち着こうとします。人間は酸素を通して外界と直接関わるというのならば、この場合、呼吸によって外界と直接関わることで、人間は安心する(落ち着く)ということになります。それは何を意味するのか。内的世界は私の自我が作り上げた世界です。そこは、怖れなどの地獄のエッセンスが沢山存在する場所です。そして普段は、その投影としてしか外界を捉えることができていません。だから地上(外界)が地獄にしか見えない。しかし、真実は違う。全てはうまくいっているのが真実。全ては恩寵であり、愛であるのが真実。私は酸素を通して、外界の真実に直接触れることで、安心するのではないかなと。「酸素を沢山吸わなくちゃ」と思いました(半分冗談、半分本気です:笑)。そしてその酸素を作り出しているのは植物界であるということ。深く感じ入ります。

今回も素晴らしい機会をありがとうございました!言葉では言い表すことのできない、凄い機会でした。高次の存在、史衣さん、ご参加の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。ありがとうございました!来年が楽しみです〜(笑)