人の痛みや苦しみに対しての共感☆
「’強くなることじたいは、悪いことじゃないわね。もちろん。
でも今にして思えば、
わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、
弱い人々について理解しようとしなかった、
幸運であることに慣れすぎていて、
たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。
健康であることに慣れすぎていて、
たまたま健康ではない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。
わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、
立ちすくんでいたりする人たちを見ると、
それは本人の努力が足りないだけだと考えた。
不平をよく口にする人たちを、
基本的には怠けものだと考えた。
当時のわたしの人生観は確固として実際的なものではあったけれど、
温かい心の広がりを欠いていた。
そしてそれについて注意してくれるような人は、
まわりに一人もいなかった。’
’とにかく一流のピアニストになりたいという思いで頭がいっぱいで、
まわり道や寄り道をすることなんて考えもしなかった。
自分になにが欠けているのか、
その空白に気がついたときにはもはや手遅れだった。’」
(村上春樹「スプートニクの恋人」)
≪イシス≫、そしてその前の≪シェキナー白山菊理姫≫のワーク後、
感じるのは、「人の痛みや苦しみに対しての共感」というエネルギーを
これら女神群の愛から得ようとしていたのだということ。
そして、それが、わたし自身のバラバラになった欠片を集め、癒すことでもあった。
なぜなら、それこそ、わたしの魂の憧憬であったからです。
でも、これは、きっとわたしだけではなく、すべてのものの憧憬なのでしょうね。
「自分の熱烈な望みが叶うのは、
人間と動物と、植物への
愛と理解を獲得して
あらゆる喜びが、
自分の喜びであり、
あらゆる苦痛が、
自分の苦痛であると感じることが
出来た場合だけであるということを、
知っているだろうか.....」
(アルバート・アインシュタイン)