母親になったときに、≪アフロディーテ≫が、満たされ、癒されていないと。


ギリギリですが、もう一つ開催前に書いておくテーマがあるようなので、書きます。


昨日、外で食事しているときに、隣のテーブルに親子3人がいました。
父親、母親、娘の三人でした。


見ていて、すぐにわかったのが、母親である女性の≪アフロディーテ≫が、酷く傷ついているようだ、ということでした。


娘さんが、とても綺麗なのです。
すらっとスタイルがよく、顔もかなりの美人さん。
小学3年生くらいでしょうか?

それに対して、お母さんは、少しだけ地味な感じ。
お父さんが、外人みたいな彫の深い顔立ちなので、娘さんは、中間をとって、程よい優しい上品な顔立ちになったのでしょう。


お母さんは、何かいじけているような雰囲気で、会話の中でも、娘さんの何もかもが気に要らないという感じでした。
お父さんも、奥さんのご機嫌を取らないと、面倒なことになるからでしょうか。
ひたすら、ご機嫌斜めな奥さんのご機嫌を取っています。

娘さんも、意地悪なこと言われたり、されたりしながらも、お母さんのご機嫌を取ろうと必死です。
お父さんは、そんな娘さんに対して、何のフォローもなし。
たぶん、フォローすると、より面倒なことになるからでしょう。


自分のなかの≪アフロディーテ≫が、満たされず、癒されない状態で、母親になると、娘さんの≪アフロディーテ≫に対して、嫉妬心を持ってしまう典型のパターンが、隣のテーブルで、展開されていました。


家族のなかで、自分が一番注目を浴びていないと、怒りを感じる傷ついた≪アフロディーテ≫が、その母親のなかで、まだまだ、まだまだ全然、まだまだわたしは、愛情に満たされていないと、ひたすら主張し続けていました。

たぶん、この母親は、自分が娘さんにしていることを、意識的にはしていないと思います。
たぶん、無意識の怒りに動かされていて、自分の怒りを、正当なものと考えて、自分の言動が、娘さんの(むしろ本当は彼女の美しさであるところを)欠点として、あげつらい否定するような結果となってしまっていることに、全く自覚的ではないのでしょう。
だから、娘さんだって、自分と同じように、さらにその成長期としてもより、愛情や注目を必要としているのだということに、思い至れないのでしょう。


この年齢の娘さん、しかも、こんなに可愛いのに、彼女は無条件に家族に愛されるという経験を欠いて人生をこれから送ることになるのでしょう。
もちろん、それも含めて、彼女の魂が選んだことでしょうけれども。


でも、本当に幸せな理想的な状態、家庭、家族の在り方は、娘さんにとってはもちろんのこと、この母親である女性にとっても、内面の≪アフロディーテ≫が満たされて、癒されて、母親として、娘さんの≪アフロディーテ≫を慈しむことが出来るようになっているということであるでしょう。


母親となって、子供を愛さない女性はいません。
けれど、それが出来ない。

それは、きっと、どこかで、さらにこの女性(母親)を、傷つけていることでしょう。


たぶん、≪アフロディーテ≫が癒されている恩恵は、母親になったときに、自分の子供を、心底慈しむことが出来る、母性の満足と女性性の真の誇りのために、あるような気がするのです☆


それは、もしも母親になる機会がない場合でも、周囲の人への慈しみの感情に自分が満たされるという喜びを得ることを可能にしてくれます。

それは、高次の愛の質を知ることができるという恩寵であることでしょうと、思うのです☆


それでは、今夜の≪アフロディーテ≫。
よろしくお願いいたします♪