≪アフロディーテ≫で、事前に書こうと思っていたことの内容☆


エントリーを終えて、≪アフロディーテ≫を、今回受け取るかた対象に、フォローとして明日のワーク前にこちらに書いておくように言われた内容を書きます♪
ガイダンスメールに書くには、長すぎるので、こちらに書くようにという指示でした。
また、他のみなさんにも参考になるということです。



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書こうとしていたのは、「注目されたい、多くの人に承認されたい」という自然の欲求が満たされている女性とは、どういう女性なのかという視点から、記事を書こうとしていたのです。


「四十代前半の小柄な女性だった。
髪を後ろでぎゅっとまとめ、白いブラウスの上にキャメルのカシミア・セーターを着ていた。
鼻のかたちがすらりとして品がよく、大儀そうにトーストにバターを塗る仕種には、何かしら人の心を惹きつけるものがあった。
他人から注目されることに慣れている女性だけが身につけることのできる種類の身のこなしだった。
村上春樹ダンス・ダンス・ダンス



こういう女性たち、わたしも、たくさん知っています。
プライベートな友人に、こういうタイプの女性が多いのです。
それでは、彼女たちが、高慢でいじわるかというと、全然そうではありません。
彼女たちは、もう注目されていることに、飢えていないので、とても余裕があり、人間関係をスマートにこなすことが、自然に身についています。
自慢もしないし、嫉妬も(とにかく表面上は)しません。
常に余裕があって、相手に対しての思い遣りを示すことができて、自分を前に押し出すということもないのです。
だから、わたしは、彼女たちを尊敬し、一緒にいて、とても楽だし、優しいし、心地よいので、一緒にいたいと自然に感じるのです。
そして、常にある種の幸福感に満たされた雰囲気を維持しています。
それは、周囲の人を、自然に幸せにするたぐいのものです。
それは、作りものではなく、長年において培われた本物の品格のようなものです。

それでは、こういう女性になったからといって、100%幸せなのかどうかというと、違うような気がします。
それも、良い例となる文章を見つけたので、それを抜粋してみます。


「彼女(妹)は、並外れた才能のある生徒だと認められていて、学校から州の優秀生徒シンポジウムに選抜された二十人の中のひとりに数えられていた。
優秀生徒シンポジウムのテストは、学区ごとに全員が受けさせられるもので、その結果によって、誰が優秀であって、誰が優秀でないかが決められる。
それについては、妹にひとつ言っておきたいことがあって、わたしがむかついているのは、けっして妹よりも、わたしがバカだってことじゃない。

それは、わたしたちの髪の毛のこと。
そのほうがずっと大事なことだしね。
生まれたときは、二人とも、ふさふさしたプロンドの髪をしていた。
でも、わたしのブロンドは、すぐに生え変わり、ねずみ色がかった茶色の髪になってしまった。
リンジーの髪は、そのままずっとブロンドのままで、ちょっと神々しい感じにまでなっていった。
家族のなかでは、彼女が唯一ブロンドのまま大きくなっていった。

それはそれとして、才能があると決められてしまった妹は、その名に恥じないように生きていくために、いつも何かに追われているような感じだった。
自分の寝室に引きこもり、むずかしい本を読むようになっていった。
もっとも内容の全部が、わかっているとは思えなかったけれど、それでも彼女は、その本をどこにでも持ってゆき、そうすることで先生や他の人たちにも、彼女のことは、ひとりにしておいてあげましょう、という風潮が生まれていった。
(アリス・シーボルトラブリー・ボーン」)


このリンジーの例でよくわかると思うのですが、注目を浴び続けるというのも、それゆえ期待されるというのも、結構大変なのです
同世代の友人の嫉妬心や、この例のように姉妹の嫉妬心まで浴びることになる。
もちろん、≪アフロディーテ≫的な欲求は、満たされているのですが、それで、みなに注目され、愛されて、満たされているばかりかというと、むしろ逆に、孤独と自分に対しての無関心を必要とするようになることが多いように思います
でも、それは≪アフロディーテ≫の欲求が満たされているから次のステップに進んでいるのであって、そうでなければ、やっぱり、そうはならないのでしょう。


だから、わたしたちが覚えておきたいのは、わたしたちにとって、嫉妬と羨望の対象である人物が、わたしたちの想像するような薔薇色の生活を送っているかといえば、そうでもないということです。


でも、≪アフロディーテ≫は、必要です!
重要なのは、≪アフロディーテ≫の欲求が満たされれば、もうそれには、こだわらなくなるのだということです。

だから、満たされていないとしたら、正直になる必要があります。
本当に満たされている人は、それを決して自慢したりしないのです。


満たされていないのに、満たされているかのように振る舞っている人が、そういう部分の自慢をするのです。
だから、自慢を聞かされて嫌だなと思うことがあったら、この人は、本当はそうじゃないんだと思って、少し優しい気持ちで、むしろ接してあげてください。
それが、真実なのです☆


わたしの友人たちが、なぜ、わたしと親しくなったかといえば、彼女たちの≪アフロディーテ≫的な部分に、わたしがあるレベルで無関心だからなのです。
本当に満たされている人は、必要以上に注目されることを、むしろ嫌う傾向があります。 
それは、今まで、そうした注目による期待や嫉妬で、かなり苦労を重ねてきているからです。


そういうレベルで、周囲の人を見ると、みな、それぞれの悩みは尽きないと知ることができ、不要に他人をうらやましがることも、おのずと減ってゆきます。


つまり、その過程こそが、エーテル体の浄化となり、「本物の美」への一歩となるようです。
それが、金星のテーマの克服となってゆく過程なわけです☆

だからこそ、前提として≪アフロディーテ≫の欲求が満たされる必要は必須でもあるのです!