パーソナリティ(自我)統合と、「ミカエルロータスシステムワーク(第五チャクラ開花)」ワーク☆3


昨夜の満月で「ミカエルロータスシステムワーク(第五チャクラ開花)」ワーク終了しましたが、フォローも含めて、さらに続けて、別のケースも分かりやすいように転記してみます。


「このような性格上のむらは、全ての人にあることで、輪廻論者の心理学に照らしてみるならば一層よく理解されるのである。

あるきわめて誠実で善良な青年は、たとえば世界平和や普遍的社会主義に深い関心を持っているかもしれない。
こういう人は、誰かが、議論が白熱したときなどに、彼の性質は、根っから残酷なのだと言おうものならカンカンに怒るだろう。
彼は、この非難をぜんぜん信用せずに、むしろ彼を非難するものを軽蔑するであろう。

しかし、何ヶ月か後に、尋常ならざる環境に置かれることによって、彼は、自分では気づかなかったある残忍性が、実は彼の性質のなかに実際にあるということ、それは、他人を支配したいという衝動や、意に添わぬ他者の信念は、すべて抑圧しようという断固たる努力に現れていることに気づく。

この思いがけぬ自己認識は、彼をぞっとさせる。
彼は、一般の人に対する慈悲と理想主義が、特殊な人に対する非道な敵意と共存していることを理解することができない。
彼は、自分はもしかしたら、あいつが言うように根っから残酷な人間なのかもしれない、自分の理想主義的計画は、ことごとく自己欺瞞的偽善行為なのであるか、と疑うようになる。

こうした発見は、心理的に発達した人々の間では、普通のことであっても、まだまだ厄介なものである。
このために自信が動揺し、自らの誠実さを疑い、極端な場合は、努力が麻痺してしまう。

しかし、このような内省の苦悩は、人の成長に有用な段階であることは、もちろんである。
性格のむらは、霊魂の過去のさまざまな経験によるのであることがわかれば、不安は消えさる。

こうしたことのありようが呑み込めるならば、心の中の分裂も平然と眺められるようになり、そのでこぼこを平たくすることが、我々の力で出来ることを、静かに悟るようになる。
事実、人生の苦しい経験は、こうした平均化をもたらすために意図されていることは、確かだ。」



以上、とてもわかりやすい解説だと思うので、抜粋しました。

上記抜粋の「そのでこぼこを平たくすることが、我々の力で出来ることを、静かに悟るようになる。」の部分だけは、少し違うと感じています。


自分の力だけでできることは、限界があると、わたしは個人的に考えています。
そこには、他者からの働きかけ、そして、高次からの自己肯定の愛(無条件の愛)が与えられていることが、必須であると、経験上思うからです。

そして、上記のような経験をすることが、「自己否定」ではなくて、「謙虚さ」と「柔和さ」に変化すること、つまり大きな意味で、「他者への愛と共感」に繋がってゆかなければ、真に健全な成長としての意味がないと思います。

自分自身の力だけで、乗り越えようとすることは、時にさらなるプライドと過信を強化する結果にしかならない場合があるということを、いろいろなケースで見てきているからです。

でも、その準備が出来るタイミングは、人それぞれのタイミングです。
だからこそ、自分のなかを見つめる行為が、自分と他者への愛へと繋げられるタイミングでしか、批判や否定には意味がないので、「人の話を傾聴するとき、内面を完全に静かにして、全ての同意、ことに全ての否定的な判断(批判、拒絶)を、思考に於いても、感情に於いても、断念する。」訓練を行うことが祝福になるのです。

自分に対しての思い込みを外すために「熟慮」を必要とし、ふいに起こる自己の暗部にも安全に対応できる余裕を持つために、「自分の人生を整備」する。それらすべてのサポート。
それらが、「ミカエルロータスシステムワーク(第五チャクラ開花)」ワークにおいて、ミカエルが、わたしたちに教え、導いていること☆


若さや、美や、富や、知的能力や、官能の満足などによって、自己満足しているパーソナリティ(自我)は、自己の内部にこれらの悪徳をもっていることに気づかないのである。
しかしながら、その支えになっている外的安定性が揺らいで崩れると、パーソナリティ(自我)は、自己の内部に深く隠れていた邪悪なものが現れてくるのに気づき、それをつぐなうことを矯正した運命に従うようになる。」


そのときを、安全に、より平和に向かい入れられるように、準備させてくれるのが、「大天使ミカエルの愛」というわけです☆

ということで、2012年締めくくりのワークが、みなさんを2013年を、平和と安全の内に守ってくださいますように、深く願っております☆
ありがとうございました☆