両親が互いに尊敬し思い遣り愛情で繋がっていることの大切さ☆ヴィーナスファンデーション内容説明2

「マイ・ライフ」という映画をご存じでしょうか?


この映画のなかで、主人公は、末期がんに侵されながら、残してゆかなければならない我が子のために、父親としての愛情を息子に伝えられるように、父親として自分自身の生い立ちと、残して逝かねばならない息子への成長過程で伝えたい、自分の経験からのメッセージをビデオに残してゆきます。
そのビデオ作成の過程のなかで、予期せず、自分が両親に感じていた疎外感と、距離を同時に埋めてゆくことにもなります。

そのビデオのなかで、息子の母親である妻を、心から愛していたこと、そして、おまえ(息子)の父親になれたことを、とても誇りに思っていると伝えるのです。そして、自分の息子として生れてくれた感謝と、愛情を素直な言葉で伝えます。

この場合、残された子供は、父親を亡くした状態で、成長してゆくわけですが、自分が父親に深く愛されていたこと、そして、父と母が深く愛し合って自分が生まれたこと、本当に悲しいけれど、自分を、この世に残して自分が逝かなければならなかった父親の葛藤などを、ちゃんと理解して、自分に誇りをもって生きてゆけるでしょう。
そんな内容の映画なのです。

この映画を見て、両親が自分の近くに居るということ以上に、愛によって、自分がこの世に生を受けたと、両親から愛を持って伝えられること、両親から無条件に愛されていることを感じられること、そして、何より両親が深く愛し合っているということが、なによりも、子供の成長と、子供が愛を学んでゆく、 「大人になったときに、愛する人に出会い、また愛を紡いで親になってゆく」上で、とても重要なことなのだなと思いました。



自分の生育上の経験では、とても両親が仲が悪かったように思います。
もしかしたら、仲が悪いというよりは、心が通じ合っていなかったのかもしれません。
父は、自分の母親(祖母)から自立できていず、母は、そんな父から精神的なサポートと、経済的サポートを安心して得ることができなかったようでした。
そして、なによりも、女性として愛されているという自信を、母は父から得ることができていなかったように思います。
その復讐として、父親に常に悪態をついていたし、わたしたちにもその不満をぶつけていました。
子供のころ、両親がどうしたら、仲良くなれるのだろうと、そのためには、自分はいい子でいなければらないと強迫的に思っていたようにも思います。
だから、正直に言って、わたしは家庭の温かさを、両親からは、学ぶことが残念ながらできませんでした。
だから、結婚に対しての幸せなイメージというものが、今でも掴み切れていないところがあります。


でも、これは、わたしの魂が選んだ試練なのでしょう。
だからこそ、結婚や愛、男性性と女性性と統合と、女性性の開花と男性性の開花について深く考え、インナーチャイルドの癒しに取り組み、その過程で、自分にできるサポートを共感を持って、提供することが、というか、そういう高次からのチャネルの役割りを得ているのだろうとも思います。


わたしの周囲で、幸せな結婚をし、夫婦でお互いを労わりあい、尊重し合い、助けあい、愛し合いながら、楽しんで幸せな子育てをエンジョイしているな〜と思う人たちは、やはりそういう両親の元で育っているケースが、多いです。


自分自身の課題として、両親の不和を選んだとしても、わたしたちは、自覚し、乗り越え、癒され、両親の過ちを繰り返さずに、幸せになることが、最終的な課題のクリアなのだろうと思います。


そのためには、やはり、わたしたちの中のインナ―チャイルドに、深く愛し合う両親の元で育まれたかのような、それに匹敵する、高次のヒーリングサポートを、届けてあげる必要がやっぱり、あるのだと思います。


わたしは、このブログを開始した、2008年から、特にサナト・クマラと深く交わってきたわけですが、その理由こそが、わたしの生い立ちの秘密に係わっていたのです。
なぜなら、サナト・クマラは、高次の最も神聖な父と母の原理を体現しているマスターであるからです。
サナト・クマラは、一般的に男性性原理のマスターですが、またその女性性原理もマスターした存在としては、別名として、レディ・ヴィーナス・クマラとも呼ばれます。
それゆえに、高次の最も神聖な父と母の原理。
深く愛しあい、仲の良い、そのお互いへの愛が溢れて、子供に愛情の尊さと満足を与えられるようなエネルギーを、宇宙から発信しているのです。

そういう意味では、一番「ヴィーナスファンデーション」らしい、ヴィーナスファンデーションが、今回の「深い夫婦愛から生まれた子供としての愛の癒しのヴィーナスファンデーション」になるのかもしれません。

感動の夫婦愛では、「シンデレラマン」もお薦めです!