9月9日は、3年連続≪サラスバティ 瀬織津姫≫開催します☆


今年は、9月9日の江の島の龍宮祭の式典に参列してこようと思っています。
(去年は、欠席しました。)

で、実は、9月9日は、今まで毎年、≪サラスバティ瀬織津姫≫開催しているのです。
蠍座火星のこともあり、やはり、火を鎮めるには、水の力もお借りしようということで、今年も≪サラスバティ瀬織津姫≫開催したいと思います。

今年はすでに雨が、つい先日降りましたが、去年までは、残暑のカラカラ照りが、≪サラスバティ瀬織津姫≫開催のタイミングで、雨が降り、龍のパワーを、改めて感じていました。


特に今回の、≪サラスバティ瀬織津姫≫は、いじめの傷や、発生の原因となっている怒り、性的な傷、女性も男性も自分の怒りで、自分や他人を傷つけるために、性を用いるときがあります。
それは、とても悲しいこと、そして、どんなにそのとき楽しんでいる風であっても、やはり自分を傷付ける行為です。
(人にそのように批判される必要はないですが、自分を大切していない行為として。)
性的な力を使って異性をコントロールしたことのあることに対する嫌悪、堕胎の傷と罪悪感、幼いときの性的虐待

最近、村上春樹さんの「1Q84」を読み返したりしているのですが、この本にも、上記のテーマが色濃く流れています。


特に、このような怒りを癒すには、「透明になる」というエネルギーを必要とします。
わたしが、エネルギーワークのグリッドを、そのときのままず〜っとそのままに保っているのが、一つだけあって、それは、≪観音、クァンイン≫のグリッドなのです。
特別に意識してそうしているわけではないのですが、何かあるのでしょうね。
わたしにとっても、エネルギー全般にとっても。
≪サラスバティ瀬織津姫≫と≪観音≫のエネルギーは、とても近しい関係にあると思っています。
それは、やはり、水のエネルギーということでしょうか?
流し、清める、「透明になる」水のエネルギーです。
水は、流れ続ける限り、透明になってゆけます。
その恩恵、わたしは、いつも必要としているからかもしれません。
(なにしろ、いろいろやらかしてきたので、苦笑)


去年の≪サラスバティ瀬織津姫≫は、「差別や不平等」に関しての怒りにフォーカスして開催しました。
もちろん、今年もその効果も継続します。
今恵まれていると思う人は、それを守ろうと必死になるし、守るだけに特権を必要とする。
日の当たらない不運に見舞われた人は、挫折感や、敗北感を味わう。そして怒りを覚える。
そういうことの徒然に、「生きることは、辛い」「生まれてきたくなかった」と感じるようになる。


最近の事件として、騒がれていた有名女優さんの子女がかかわるいじめは、同級生男子に頼んでレイプさせようとしたもの。
そして、噂では、ある美少女コンテストの受賞者の同級生が、その被害者だったとか。
「美」のテーマ、「自己価値」のテーマ、「愛されたい、注目されたい」、「自分と比較しての嫉妬」のテーマ。
まだまだ幼い中学生が起こした事件。そして、大人たちがもみ消したもの。
思春期の≪アフロディーテ≫のテーマ。
いろいろ意見はあると思うのですが、わたしは、加害者も、被害者も同様に、可哀そうに思う。
両者に痛みを感じます。
大人が起こす事件とは異なり、まだまだ子供で、まだまだ将来が見えない、分別もつかない少女たちの間で起こった何らかの軋轢、でもとても悪質。

最近「母がしんどい、母が重い娘が急増中」というテーマの記事を読みました。
このテーマの本や、小説が今増えているそうです。
昔からあったテーマだと思うけれど、自覚できるほどに、娘たちが自分の気持ちに気づけるようになってきたのか?
「実は、母娘の関係を描いた作品は、近年とみに増えている。たとえば、村山由佳の『放蕩記』(集英社)は、長年にわたる母と娘の確執を描いた作品だし、直木賞を受賞した辻村深月の『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社)では、過干渉な母と娘の関係性が重要なテーマとして登場。また、佐野洋子のエッセイ『シズコさん』(新潮社)では、“母親を好きになったことがない”というストレートな心情が綴られている。」(記事より抜粋)

「いま、なぜ母娘ものが増えているのか。その理由のひとつには男女雇用機会均等法以降、母親が娘に対し、社会的な期待を抱くようになったことが挙げられるだろう。もっといい学校に、もっといい企業に―昔ならば息子にだけ注がれていた期待という名のプレッシャーが、いまは娘にも同様に襲いかかっているのだ。しかし、それだけではない。女性には社会的な安定を望む一方、結婚や出産という“女としての期待”もプラスされてしまう。社会学者の上野千鶴子は、これを『文學界』9月号の連載で“娘の「二重負担」”と呼んでいる。

 さらに、前出の『母が重くてたまらない』では、「息子に対しては、かけがえのなさを強調して庇護欲求を刺激するが、娘に対しては、罪悪感を適度に刺激することで「母を支え続けなければならない」という義務感を植えつける」という指摘がなされている。母を負担に感じる娘の場合、摂食障害やうつといった精神的症状が表れる事例が多いといわれるのは、こうした重圧も原因に考えられるかもしれない。

 母性という幻想の名のもとに繰り広げられる、母による無自覚な娘への過度な押しつけ。信田は、「母からの無神経な侵入や支配に対して必要なことは、とにかく逃げるか拒絶することだ」と書いている。『母がしんどい』でも、著者は苦しみながらも母(そして母子関係の裏ボスでもある父)と距離を置き、“自分で自分の味方をする”ことで、安定を手にしようと懸命に努力する姿が描かれている。

 大事なのは、「母がしんどい、重たい」「実はすごく嫌い」と思う感情に、「私って不義理なのかな」というような罪悪感を抱かないことだ。蓋をして我慢しようとせずに、まずは同じ悩みを抱えているケースを知り、冷静になって関係を見つめてみてほしいと思う。」

と記事は、結ばれています。
母親との問題、そして、 ヴィーナスファンデーションヒーリングvol.4【虐待対応】(身体レベルの安心感、肉体の境界線の痛みのための癒し)でも扱っていますが、母子の、境界線侵害は、のちのち深い深層レベルでの大きな怒りの原因にもなります。

そんな部分も、上記の事件を見る限りにおいても、今現在多くの人に浮上している「怒り」の原因の大きな部分を占めているのではないかと思います。

「境界線侵害」は、親にされても、パートナーにされても、大きな潜在的な怒りの元になります。
また、抑圧する傾向も大きいので、(拒否に罪悪感を感じたりしやすいので、)普段は、我慢の対象になるからです。
「全内的統合ワーク(影の部分を見るワーク)」でも、必ず通過するのが、お母さんとの問題に隠された怒りです。
「怒り」を感じると、お母さんへの裏切り行為になる&一度その怒りに気づいてしまうと、対処できないんじゃないかという恐れ、(これは母親から自立できていない人に多いのですが、)、これも高次の恩寵、特に≪サラスバティ 瀬織津姫≫の恩寵を受け取りながら、統合ワークを進めてゆくと、必ず変化がでてきます。
お母さんから自由になれるし、なっていいし、なったほうが、本当の親孝行だと理解するようになるのです。

なんとなく長々と書いてしまいましたが、以上のような問題、怒りを、水の清いエネルギーで、流し、穢れを清め、「透明さ」を湛えたオーラへと変化させるために、≪サラスバティ 瀬織津姫≫、9月9日(日)に開催したいと思います。
9月9日当日の江の島、龍宮祭に参列した際のエネルギーも加えてゆきたいと思っております。
そうそう、今年の9月9日は、大安です。

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