マグダレンホーリーグレイルの感想です4☆

なんだか
マグダラのマリアの距離が縮まったような
そんな気がします。


今までセオリツ姫(マグダラのマリア)の神社にいっても、
主祭神には何も感じなくて相殿のタケミナカタさまや住吉さまで号泣したりエネルギーを感じたりしていまして、
マグダラのマリアのチャネル本を読んでも、
キリストが十字架から降ろされて聖母マリアに抱かれている場面で号泣するなど、
マグダラのマリアに焦点があっていませんでした。
でももう統合するときなのでしょうね。

表と裏、表裏一体、線を引いたり分ける事の意味もないですよね。

感情の問題は昨年暮れからの最大のテーマでしたので、サポートいただけることは心強いです。
ありがとうございます。



感想ありがとうございます♪

なんとなくわかります。
マグダラのマリアは、自分のなかに、そのエッセンスを認めるのが、ちょっぴり困難というか、ハードルが高い部分がありますよね。

たとえば、聖母マリアのような存在は、受け入れやすい。
けれど、マグダラのマリアは、性的な魅力のようなエッセンスも含まれるので、苦しみを受け入れるような部分もあって、難しいのかもしれません。

でも、わたしは、聖母マリアも受け入れるの難しかったな〜、母性というのも、わたしの中で受け入れがたかった部分でしたから。
その部分を求められるのが嫌だったから。

でも、母性を受け入れ、性的な意味での女性性も受けられたら、なんとなく自分のなかで、すごく安心感が湧いてきたのは、不思議な驚きでした。

何か感想に呼応するような形で書いてしまったけれど、きっとご理解いただけるのではと思っています。
ありがとうございました☆