秋分に向かうエネルギーを感知しようとする中で、感じるテーマは?☆


今日は、東京も雨です。でも、静かな雨ですね。
そして、やっと真夏日、脱出です。

ふと、火星が獅子座を歩んでいる秋なので、残暑が厳しい今秋なのかな〜と思ったのですが、さて、今回の台風で、涼しい秋へと切り替えなりますか、どうでしょう?


23日の秋分に向けて、どんなテーマがやってくるのだろう?と、ここ2〜3日注意深く集中していて、感じていたのは、「正しく生きる」って難しいな〜、ということ。
それで、今夏の7次元ナディのチャネルガイダンスを読み返してみて、


わたしは、あるひとつの民族を導いてきた経験からも、深く理解していますが、みなさんは、正義を守り通すということについては、非常に厳しく、弱い存在です。
みなさんは、すぐに、悪に屈してしまいます
。」


いや〜、ミカエルのおっしゃる通りですわ〜。
自分を振り返ってももちろんそうだし、一生懸命努力されているクライアントさんも、やっぱりそう。なかなか難しい。
わたしなんて、時に、こういう仕事とかやってて大丈夫かな?と思うくらいダメですね。


そもそも、何が正しいのか、非常に迷うことがあるし、慎重に確認して行動しても、あとで、果たしてこれで良かったのだろうか?と結構悩むことは多いです。

正しく生きるということが、宗教的なファンダメンタルな部分の恐怖で、強迫されるようでは、またそれも主旨が大いに違ってくるし、そういった宗教的な権威を使って、恐怖でコントロールする手段には、とても嫌悪を感じます。


というのも、わたしは、そういう宗教的な権威によって、恐怖に縛られていた期間が過去生にも長くあったからだと思いますけど。
だから、そういうのは、絶対嫌で、そうであるならば、何が正しいかなんてむしろほっとけ!って感じなのですが、最近は、ほんの少しだけ成長して、こういうお仕事をさせていただいている以上、正しくないことをして、祝福や恩寵にあづかれないようでは、わたしが自力で提供できるものなんて、ほとんど無いんだから、しっかりと職業的倫理感としてもちゃんとしていたいと思うのですが、それでもミカエルの言うように「正義を守り通すということについては、非常に厳しく、弱い存在です」ということを感じない日はないです。
感情的な浄化がまだまだだからだな〜とは思っておりますが。


ということで、秋のミカエル祭の意義を、例年以上に感じているわたしです


そして、この前の記事でも触れたのですが、なぜか衝動的に「ヒマラヤ密教」系の本を数冊発注してしまい、「シークレット・ドクトリン」からの流れみたいなものを(シュタイナーがのちに訣別した流れです)、自分なりに把握して見直すような流れに入ってしまいまして、それが、これまた予期せず、「空海密教展」にも出掛けて、その流れがちょっとした高まりを見せてしまいまして、昨日の夜などは、何かが入ったみたいで、眠れず、浮かんでくることを、自分のささやかな蔵書を、あっちこっちひっくりかえして、確認したり、このエネルギーとこのエネルギーがイコールか?(自分のエネルギーシステムの感知器をフル作動させながらの確認)、この理屈と名称の違いはなに?どこ?とか、明け方までやっておりました。
何かは、入ったみたいですが、まだ頭では、ちんぷんかんぷんです。
時々、何かの準備のように、このようなことは起こるのですが、久々でした、汗。


そしてアリス・ベイリーの著書で、少し興味深い箇所を見つけました。
「グラマー(Glamour)」に関しての箇所です。

「グラマーは、しばしば(闇の勢力)と呼ばれるものが、善意ある熱誠家を騙し欺こうとする奇異な試みと見なされてきた。多くの善良な人々は、グラマーのある面に、(直面)したとき、自分たちの訓練が闇の勢力が関心を抱くほどうまくいっており、グラマーの雲で覆い包むことによって自分たちの立派な働きを妨げようとしていると感じて喜ぶ。事実からこれほど遠いものはない。このような考え自体、現在のグラマーの一部であり、人間のプライドと満足に起因している。」

こういうことって、ちゃんと書いてあるんですね、笑。
でも、ものすごく進んだ内容とかをブログに書いていらっしゃるかたとかが、全然実際に触れてみると、こういうグラマーというものに対して、非常に無頓着なことに、いつも驚かされるのですが、しかも善良な方々とお見受けするかたが多いのですが、そういうことだったのか〜と思いました。

ちなみに、わたしがサナト・クマラと非常に密なやりとりをしていた頃、このグラマーみたいなことに対して、人一倍厳しく注意されていたので、「ものすごく進んだ内容」を書いている人などは、当然マスターたちに同じように厳しく訓練されているのだろうと思うと、(なぜか)違うことが多くてびっくりするのですよね、わたしは、苦笑。あれ?なんで?って。
そのたびに、わたしが厳しく(され)すぎるのか(つまり出来が悪いから?)と思っていたのですが、今回これを読んで、ちょっと安心したりしました、笑

みんな、油断しちゃうというか、つい、油断しがちなのですね〜。



そして、いろいろなグラマーが箇条書きにされているのですが、なぜか、これだけ別枠でした。

自己憐憫は、進歩した敏感な人間の持つ主要なグラマーの一つである。」

たぶん、特に≪注意≫なのでしょうね。



ちょっと興味深いと思ってくださったかたもいらっしゃるかもしれないので(えっ、いない?、笑)、書きだしてみますね♪


(宿命というグラマー)
これは、これに支配されている者に対して、あなたには行うべき仕事があり、語り働く宿命があると指示するグラマーである。これは事実に根拠のないプライドを育てる。

(熱誠というグラマー)
このグラマーに条件づけられている者は、光に向けての自らの熱誠に満足し、それに心を奪われ、自分が熱誠家であるという事実に安心する。このような人々は、弟子への道へとさらに前進して、霊的な野心と目標への没頭と満足をやめる必要がある。

(自信というグラマー)
これは弟子のアストラル原理と呼んでもよいグラマーである。また平易な言葉でいえば、自分の視点が絶対に正しいと見なす信念である。これもまたプライドを満足させ、自分が権威であり、絶対的なものであると信じさせる傾向がある。神学者のバックグラウンドになっているのはこのグラマーである。

(義務というグラマー)
これは責任感を過剰に重視させ、無駄な活動と重要でないものを強調させる。

(献身というグラマー)
これは、アストラル体への過剰な刺激に繋がる。このグラマーに惑わされている人々は、一つのアイディア、一人の人物、一つの権威、真理のある一つの面しか見えない。これが狂信と霊的なプライドを増大させる。


どれもこれも、霊的な道に邁進しようとするときに、壷惑的な魅力になるものですよね〜。

いや〜、ほんとに、わたしはここの部分を、クマラ(サナト・クマラ)にはスパルタされていたのですよ〜、泣。
自分がそうなるのにも注意が必要だし、クライアントさんがそうなることにも、かなり注意が必要でした。
本当に、こういう立場でお仕事させていただいているからこそ、このようなグラマーを後押ししてしまう場合が、気を付けていないと起きてしまうことも事実なので、そういう面でいつも悩んでいた(いる)かつ(クマラに)怒られていたような気がするのです。


さて、このグラマー対策、になるものが、実は秋分の日のワークになります♪
もちろん、大天使ミカエル、大々的なサポートによります!

それでは、その内容は、別記事に書きます。
(頸椎のこともあるので、ここで一休みします、笑)