金星の女神学校≪レディナダ&ターラ≫感想です☆

先日ドラマを観ていて、印象に残ったエピソードがありました。中学校の先生が主人公なのですが、この先生の教師としてのあり方を変えるきっかけとなった生徒の話です。その女子生徒は先生が担任をしていた二年後に、原因不明の突然死で亡くなってしまいます。そしてその子の日記を読み、当時その生徒が苦しんでいたことを初めて知ります。

当時のある日、決められた班ごとの掃除当番の日、その女子生徒のグループは不良な子や、カウンセリングに通う子、複雑な家庭で悩みを持つ子などが集まっていて、そんな中彼女は特に問題といえるものはない普通の子でした。みんな掃除をさぼったり、適当にしかやらない中、その女子生徒だけが真面目に掃除をします。「早く掃除終わらして帰ろうよ」と言っても「適当でいいんだよっ、やってるだけましなんだから」と言われて彼女は思います「そうだよね、私もそう思う。でも私はさぼったり、いい加減にできない。私にはみんなみたいに問題なんでないから、恵まれているから。先生達は事情のある子にエネルギーを注がないといけないんだし、私も気遣ってほしいなんて言えない、がんばらないと…」

そしてまたある日の掃除当番、みんな帰ってしまい、その女子生徒だけが掃除をしています。「どうして私は帰らないんだろう、だって、自分がそれを許してくれないから…」と思っていると、ふと「帰っていいよ」という心の声がきこえます。「やった!自分が許してくれた、私も帰ろう、これで私もみんなと同じになれる」そう思って帰ろうとした時、先生が現れ、結局先生と2人、掃除をすることになります。「私が逃げようとすると決まって先生は現れる。いつも気にかけてくれる訳じゃないのに、こんな時は優しくしてくれて、私の逃げ道を無効にしてしまう。私は自分を許せなくなる…」

そこで日記は終わっています。先生は、その辺りからその子の雰囲気が変わったな…今思えばその頃から、その子は自分を諦めてしまったからだと考えます。そして、忙しい毎日、どうしても手のかかる子に時間も力も注ぐことになってしまい、それは、手のかからない子の心の摩耗によって支えられている部分が大きいことに気づかされます。その女子生徒がそうやって自分をすり減らした結果、突然死に至った、とは繋げていないけれど、そんなふうにもとれる内容でした。

私はその女子生徒の気持ち、とても良くわかるなと思いながらみていました。私も、はたから見てわかりやすく問題を抱えているような人を、誤解を恐れず言うならば、羨ましいとさえ思うことがよくあったから。もちろん、それは私の勝手な思いです。ただ、それを理由に辛い、とか苦しい、とか言うことが許されるような気がしたら。わかりやすい理由もないのに辛いなんて甘えてるんだろうな、と思ったし、実際そう言われることも多かった自分の状態に罪悪感を抱いていました。だから私は多くを望んだり、受け取ったりすることをどうしても自分に許すことができずにいた、という部分が大きいと思います。これはドラマで、フィクションですけど、こういうことを問題としてとりあげてくれたことで、少し救われた気持ちになりました。


また、以前知り合いと話をしていた時のことも思い出しました。なぜスピリチュアルなワークとかヒーリングを受けたりするのか、と聞かれたことがありました。それは、苦しみを癒したいから(今はそれだけではないんですけども)なんだけれど、それを言うことができませんでした。私の中で辛い、とか苦しいとか言うことを恥ずかしいという気持ちがあったからでした。これを聞いてきた人は、前はヒーリング等を受けていたけれど、今は全くそういうことはないし、そういうものに頼っているうちはダメだ、みたいな感じがあったので、私も言いづらかったのでした。(スピリチュアルなことって人それぞれ役目であったり、学びであったりあると思うので、大事なのは関わり方で、受けるから、受けないから、良い悪いではないと思っています)そのすぐ後でした、6次元ナディのバージョンアップ編があったのは。その時の、ラファエルのガイダンスで「癒されないままパワーを受け取ることは悲劇にしかならない。もし苦しまなかったら、そして癒しを求めなかったら私(ラファエル)は癒すことができません。そういう意味で苦しみは恵みなのです。苦しみは敗北でも、恥でもないのです。」そういう内容があって、苦しいとか辛いと思っている自分をダメだ、と思う必要はないんだ、ということをそこで初めて感じた気がします。


私は小さい頃からずっと不安感が強くて、疎外感や違和感が常につきまとって生きづらさを抱えていました。自分を支えてくれるものが何もない状態、足元がいつもぐらんぐらんに不安定で、なんならいつ底が抜けるかわからない恐怖も抱えながら過ごすような状態です。自分がそんな状態だから、どうしても人に依存しやすいし、人からちょっと嫌な事を言われたりすると、激しく落ち込んでしまいます。それは外側から見ればわからないし、理解しがたいことだし、そうなると苦しいと感じている自分が悪いんだという方向へいってしまっていました。今は自分と向き合う中で、どうしてそういう苦しみがあったのか、見えてきた部分がいろいろあります。(女神やナディ等のワークによるものがとても大きいです)両親との関係であったり、以前、ヴィーナスファンデーションのテーマでもあった宇宙の孤児としての部分、分離感の強さといったことがあると思います。

自分の内側に基盤を築くことが、周囲に振り回されない超然や自立をもたらすことはこれまでのワークで学んできていますが、積み重ねてきた罪悪感や分離感は根が深く、なかなか大変だなぁと感じています。現在シェキーナーの最中ですので、ここでまた新たな癒しを得られたら、と思っています。

ありがとうございました。


感想ありがとうございます。
たぶん、○○さんのように、わかりずらい苦しみを抱えていらっしゃるかたの苦しみほど、実は解決が困難で、苦しみも深いのだと、改めてわたしも自覚しました。
わたしは、不完全ですし、まだまだ未熟ですけれど、○○さんと、今まで少しづつお話させていただいてきて、まだまだ不十分ですけれど、○○さんの苦しみ理解させていただいています。
だから、甘えているなんて、絶対思わないし、応援したいと思っております。

さて、本当に一人一人の人生って違っているし、似ていると思っても、全然違っていたり、孤独感と感じることが、どうしても多いと思います。
でも、わたしも最近やっと、「孤独感」や、「苦しみ」も、やっぱりギフト(天界からの贈り物)なんじゃないかと思えるようになってきました。
それがあるからこそ、高次と繋がろうと思えたり、同じく孤独感や苦しみに在る人を思いやれる。自然に。
わたしなんて、たぶん幸せ幸せで、なんにもなかったら、人のことなんて全然思い遣れないタイプだったのだろうな〜と感じることが多いのです、苦笑。
そして、だからこそ、生まれるときに、「人に対して少しでも思い遣りの心を学びたい」、そう希望して今があるのかな?とも、やっと思えたりして。

たくさん、自分に優しい気持ちを持ってください。
それが、どうしても出来なくなってしまうくらい苦しくなったなら、ヒーリングを受けたり、許可を出して、気持ちに寄り添ってくれそうな人に相談してもいいんじゃないかと思います。
やっぱり、助けられて、支えられて、自分が存在するのだと感じられることは、祝福の一つだと思うし、それは遠慮しなくてもいいんじゃないかなと思います。

そして、自分の苦しみを否定した人に対しての、わだかまりがあるようなら、それも素直にあるレベルで、誰かに打ち明けてもいいんじゃないかと思います。
それも、自分の気持ちに寄り添ってくれそうな優しい人を選んで、そして、わだかまりを持つ人を大切な人と思うのなら、その本人にぶつけてみるのも、実は愛の解決策に導かれたりします。

そしてそして、意外と見ていてくれる人もいるのだと思います。
本当に優しい人ほど、気易く、悩みに踏み込んでこないだけで、遠くからそっと見守ってくれている人はいるんじゃないかとも思いますよ。
優しい思い遣りを持っている人は、自分では気づかなくても、注目されていたりするし、それこそ、天界の天使やマスターたちは、間違いなく注目してくれていますから☆
(追伸、四大元素の精霊たちや、妖精たちもです♪)

ありがとうございました☆