大天使ウリエルの季節ですね☆

今日は、午後からずっと雷がゴロゴロ。
ウリエルの季節が、(いつの間にか)こんなにやってきている!!って、ちょっとハッとしました。
というか、やっと、ちゃんと身体のなかに何かが入れてきたのかな、苦笑。
あっここに居るな!という感じが、随分してきました。(本当に良かったです、涙)

昨日からヴィーナスファンデーションウィークも始まっていますし、この1週間でまた違ってくる予感があります☆


さて、この前の記事の内容の続きになりますが、要は、わたしの遠い昔のレイキの伝授の際の気持ち悪さの体験は、いわゆる好転反応だったわけです。
たくさんの癒されなければならない傷を抱えていればいるほど、その傷が深刻に身体レベルに積み重なっていればいるほど、良きエネルギーに対しても、どうしても好転反応は強く出てしまうのですから。


わたしが、伝授してもらったヒーラーさんは、まだヒーラーさんとしての日が浅かったのですね。年齢はかなり上でしたけれど、ヒーラーさんとしては、新米さんの部類だったと思うのです。
だから、わたしの好転反応に対応することが出来なかった。
実力のあるヒーラーさんだったら、好転反応の出ている内容を霊視して、スピリチュアルガイダンスを得て、対応できたことでしょう。


物事には、なんでも陰陽があるな〜と思うのですが、たぶんレイキを素晴らしいと思い、霊的な万能感と高揚感を得た陰の部分には、おそらく「自己存在における自信の欠如」があったのだと思うのです。
だから、わたしの「気持ち悪い」という訴えが、彼女のその陰となる存在の自信(もっといえば霊的アイデンティティ的な自信)の欠如の部分を刺激して、自己否定されているように感じて、「あなたがおかしい」という答えになって、返ってきてしまったのだと思います。本当に残念なことですが。


「霊的なアイデンティティの自信」というのは、アチューメントや、レイキで得られるものではないのだと思うのです。

それこそ、神と神前相撲を取ったヤコブのように、真剣に神と相対して、必死に取り組んで初めて得られるもの。
ヤコブが、神から「信」を得るために、神の代理の大天使として、ヤコブと夜中中格闘したのは、ウリエルだと言われています。(ある説では、ミカエルのようですが。)


このように神から試される苦しみとは、わたしたちの魂の歩みには必ずあって、そして、その相手のウリエルが、「雷とカルマ」を司る大天使であり、それが「真夏の大天使」であるということには、深い意味があるのだろうと思います。


眩しい太陽の光と一体化して、自分を見失わないように。


雷は、澱んだ大気を、清浄します。


真夏の強い太陽の光の叡智を、冬の大地のなかで、じっくりと熟成させて初めて、その叡智は、わたしたちのものになると、ウリエルは、教えているのですから☆

わたしも、今年の夏は、去年とは、違った意味で、また忘れられない夏になりそうです、汗。
(わたしも、ちょっとウリエルと格闘したような感じはあったかもしれませんので、苦笑)


追記☆
ドラクロアのこの作品も、確かわたしの覚え違いでなければ、ドラクロアの晩年の病気を患い失意ときに描いた最後(かそれに近い)の作品であったように思います。
彼自身が、神前相撲を神ととっているような心境のなかで描いたものなのだと思います。
そういう苦難の中でも、この大きな作品を仕上げました。



Ferdinand Victor Eugène Delacroix (1798 – 1863)


以前のこの絵の記事は、こちらです。
http://d.hatena.ne.jp/birth-of-venus/20090404/1238843999