第15回ナディマスタートランスミッションスタディシェアii(6次元バージョンアップ)

こんばんは。
『去年の「芦ノ湖番外編」の続きを書くに当たって☆1』があまりにいいところで終わっていたので、「えぇ〜!」とのけぞってしまいましたよ(笑)。とても興味深い記事です。楽しみ(というと不謹慎かもしれませんが)にしております。


以下、「6次元ナディ」の感想です。

先日は、「6次元ナディ」に参加させていただきまして、ありがとうございました。

この5月は、「ヴィーナスファンデーションヒーリング」→≪アバンダンティア≫ →「6次元ナディ」と受けさせていただきましたが、根底に流れていたのは、「怒りの手放し」ということだったように思います。
ヴィーナスファンデーションで手放すことを可能にするための愛を沢山受け取り、≪アバンダンティア≫再受講では、今回は≪観音≫の「求めないエネルギー」がより深く導いてくれて、怒りを動機とした欲望を手放し、何もしないで≪観音≫の手に全てを委ねる。
そして、受け取る(受け取っていることに気づく)ことがやっと分かったような気がして、小さな安心感が芽生えました。


そして史衣さんのイルカの記事。イルカを直接見たこともなく、よく知らない私ですが、何年か前にドルフィンスイムについての本を1冊読んだことがあって、「楽しそう〜」と憧れたことはあります。
その本も、水族館でイルカを飼うことやショーに反対していました。
この本を読んでイルカに興味を持ったので、会いに行きたいな〜と思った私ですが、水族館に行くことがイルカを苦しめることに加担するかのような罪悪感を持って、それきりになっています。今回、史衣さんのイルカの高次の意識と低次の意識というお話を読んで、色々なことがやっと分かりました。ありがとうございます。


数年前の私がイルカの低次の意識にしか同調することができなかったのは、私自身が自分の低次の意識にしか波長を合わせず生きていたからです。
というか、この5月の流れの中でやっと、低次の意識と自分を少し離して考えることができ始めたという段階です。
地上の苦しみへの怒り、それゆえの偽りの聖域への欲望。それ以外ありませんでした。
だから私の高次の意識は眠ったままでした。でも今までの学びのおかげで、地上をあるがまま受けとめて、「一体私は地上で何をしたいんだろう?」と真摯に思う部分が生まれました。低次の意識を克服して、高次の意識を眠りから目覚めさせたいという望みが生まれました。


私の低次の意識、特に不完全さへの怒りですが、どうしても克服できないまま、ここまできました。否認と手放しの違いが分からなかったんです。
私の中には怒りがあり、苦しみがあり、嫉妬があり、様々な低次の意識があります。確かにここにある。それを手放すと決めるのは否認じゃないのか?これを変容させるには、もっと何か癒すための愛を注ぐべきではないのか?でもそうするとずっとこの意識に停滞してしまう気もする・・・とグルグルやってました。今思うと、手放したくなかっただけです。


「6次元ナディ」の前に、シュタイナーの『マタイ福音書講義』を読んでいました。
以前に他の著作で、霊的な探求をしていると、ある時強い自己愛が溢れ出てくる段階がくる。
しかしそれに溺れてはだめで、克服しなければならないと読みました

「ほ〜、そんな段階がくるのか〜。自分が愛しくて愛しくて仕方ないとか、超幸福な感じなのかな〜」とか思っていましたが、『マタイ福音書講義』を読んで、想像と真逆の状態だと知りました。


『キリストは誘惑を、人間自我というみずからの内面の力によって乗り越えました。(略)現在の私たちが霊的に進歩しようと努力するときに必ず生じる障害は、自分の内面に沈潜することによって自己愛にふける、という悪癖です。

実際、他の誰よりも、まさに霊界へ参入しようと思う人に当てはまるのは、自分の人格について語ることを何よりも好み、自分の人格を何よりも愛し、どんなときにもこの愛すべき人格に眼を向け、そのすべてを仔細に観察しようとすることなのです。(略)どうしてそうなってしまうのでしょうか。
なぜなら、自分自身の内部から立ち現れてくる衝動に自分の本性が衝き動かされるとき、どうしたらよいのか分からなくなるからです。
どうしたらよいか分からなくなるほどに、自分自身のことがちっとも分かっていないのです。
以前であれば、注意深く生きていたので、外界での経験が容易に自分を取り戻させてくれました。
今はもっと不注意になり、もっと自分の中に沈潜しますから、自分の中のもろもろの感情が表面に現れてくるのです。どうしてなのでしょうか。ひたすら「自我」でありたいと願い、外界からまったく独立していたいと願うからなのです。(略)妨害が最高度に大きくなるのは、何にも依存したくないと思う自分の自我性に没頭するときなのです。』


電車の中で読んでいて、「これって私のことじゃん!」と大納得してしまいました。
偽りの聖域への欲望、怒りへの執着、「受け取る」ことを拒否する傲慢さ、全て自己愛にふけっていたのかと納得し、「じゃあ、本当に手放すことを選べばいいんだ」とどこかホッとしました


そして「6次元ナディ」当日。手放すことに抵抗する潜在意識の抵抗か気分的にモヤモヤして集中できない感じだったので、直前にふと思いついて、ラファエルのメッセージを音読することにしました。
そうしたら読み始めた途端、涙が溢れてきて困りました。
全然泣くところじゃないのに。
構わず泣きながら最後まで読んだら、かなり気持ちがスッキリしました

涙が出たのは、チャネルを通して伝わってきたラファエルのエネルギーゆえだと思います(よく分かりませんが)。以前、「月の女神学校vol.4」でも時間中に女神のメッセージを何となく音読し、女神の愛を感じて同じように泣けてきたことがありました。
発散されることなく感情が溜まってしまった場合、言葉として出るより涙が出てきてしまうそうですが、溜まった感情ブロックの浄化方法を教えてくれたのではないかと思います。読むもの自体の波動と音読することが鍵かなと思います(第5チャクラ的に)。


涙で始まった今回のナディは、「癒される」ことにコミットした後、「癒される」「戻る」ためにどうしたら良いのかを色々伝えてくれていたような気がします。


浄化。エネルギーシステムを再構築していくことが必要。
それがラファエルの癒しを求めること。肉体のメンテナンスも含めて、魂の自由のためには、それに相応しい器が必要。
新たな筋肉(シュタイナーによると、筋肉はカルマの物質的な現れだそうです)を作り始める時。挑戦を始める時。


「癒しを受け取るためのヒントを教えてください〜!」とお願いして、ジェーン・アン・ドウさんの『クリスタル・ジャーニー』のページをオラクルカード的に開いたら出てきたのは、「ピンクカルサイト」のページでした。
ヴィーナスファンデーションのグリッドにも入っていましたね。
『ピンクカルサイトは、より高い愛の理解に到達するために、人生のドラマを大目に見ることの許しを、私たちに与えているようです。ときには問題を収拾したり争いを解決するためには、それをあまり問題視しないだけでいいのです。(略)ピンクカルサイトは、いまだになにも学んでいない日常生活の感情的混乱から自分自身を引き離すことができるなら、私たちに愛することについてさらに多くのことを教えてくれることでしょう。』という部分に、納得。
混乱したエネルギー状態を平和に導かないと、自己実現は無理なんだな〜と感じました。
混乱していると、低次の自己の方に引っ張られてしまうのを実感しています。これからは癒しを受け取るために、能動的に行動していこうと思いました。

今回も素晴らしい機会をありがとうございました。史衣さん、高次の存在、ご参加の方々、支えてくださる全ての存在の感謝します。ありがとうございました!


レポート提出くださり、ありがとうございます♪

抜粋してくださった、シュタイナーの『マタイ福音書講義』の内容、わたしは、この仕事の現場で、よく体験するので、とてもわかります。
特に、「全内的統合ワーク」や「トーンサラウンドセラピースクール」では、誰でもと言ってよいほど、その部分がクローズアップされ、そこから、一歩でも前進できるかが、霊的能力開花許可の鍵になってきます。
だから、誰でも(もちろんわたしも)、そうなのだということなのですが、苦笑。

シンプルに説明すれば、ベクトルがどっちを向いているかということです。
自分なのか、それとも、他者への奉仕なのか?

自分のために、自分を向上させたいという段階は、自分にベクトルを向けている時期
けれど、そこを通過して、他者の奉仕と愛のために、自分を向上させたいという段階に入らなければ、本当の天界からのサポートを実感できる段階には入れません。

でも、他者への愛が真実に自分のなかに育まれるのは、自分が他者から愛されている癒されている、許されていると気づくことが前提で、それによって満たされなければなりません。

だからこそ、自分を許して、天界からの、自然界からの、愛や癒しや許しを受け取っていいとすることでしょうね。

完璧な自分にこだわっていたら、それは難しいということです。
言いかえれば、完璧な完全無欠な自分にこだわり続けることは、自己愛や特別意識なのでしょうね

そして、完全無欠な自分を他人に(敢えて言うなら自分自身にも)認めさせたい。
こういう在り方は、相手から(自分から)力を奪うことにしかならないことに、気付いていない状態です。
そして、その背後には、癒されない深い怒りがあるのでしょうね。

でも、それも気が済むまでやっていいのだと思います。
もう、いい加減不毛だわ!と、自分でわかったときが、変化の時なのでしょうから、笑。

そういうときがやってきたら、ラファエルは、すでに近くいて、(やっと気付いた?)って笑ってくれるのでしょうね☆


芦ノ湖番外編」の続きを書くに当たっても楽しみにしてくださってうれしいです。
頑張って続き書きますね♪