去年の「芦ノ湖番外編」の続きを書くに当たって☆3

蓄えがたくさんあれば、2〜3ヶ月くらいは、休めるのかもしれません。
また、実家で暮らしているとか、結婚しているとか、そういうサポートをしてくれる人がいれば休むことも出来るのかもしれません。

けれど、わたしには、そのとき全くそのような余裕もサポートもありませんでした。


以前に少し触れたこともありますが、10年間お勤めして会社を辞めた時点では、実は、わりとかなり?貯蓄があったのです。
その後、離婚して、病気をして、療養生活を送ることになって、わたしの貯金は激減しました。
約4年間無収入で独りで暮らさねばならなかったし、わたしのなかに実家に戻るとか、頼るという選択肢はなかったのです。
実家も、そのとき大変な状態でしたから。



で、この仕事を開始した時点では、ゼロというよりマイナス状態で始めることになったわけです。



ときどき、まだまだこの仕事を続けることに気持ちが安定していないときには、もしあれだけの貯蓄が今ここにある状態でこのようなヒーリングのお仕事を始めていたら、どうだっただろうか?とよく考えました。
もっと違うスタート、もっといろいろ投資した状態でスタートしただろうな?と。
そして、こういう状態になったときにも、休むことが出来るんだろうなと。


そして、当時、他の恵まれた状態で、こういうお仕事をしているような雰囲気の人が、本当にうらやましかったです。
資金的な余裕があったり、サポートがあったり、ご家族がバックアップしてくれていたり。


わたしは、本当に、わたしの細腕?一本に全生活がかかっている。


でも、一方で、わたしは、このようなスタートでなければ、ならなかったのだろうと感じてもいました。
あの頃貯めていたお金は、わたしが喜んで働いて貯めたお金ではなかった。
だから、あのお金は、この仕事をするに当たって、失う必要があった。
そして、誰かの助けをもって、この仕事をするわけではなくて、わたしはゼロから、自分で始めなければならなかったのだろうと。


そして、ゼロからひとつひとつ、もし積み上げてゆくことができたら、そのときは、きっと誰かの参考になることも出来るのだろうと。
そう思っていました。

だから、Komalaに出会ったこのときは、本当にセッションをしなければ、来月のお家賃も払えないという状態で、だからこそ、このとき、こんなふうにKomalaに言われてしまうほど、わたしはたくさんのセッションを、それこそ、休む暇なく入れて、働いていたのでした。


(続く)