去年の「芦ノ湖番外編」の続きを書くに当たって☆2

Komalaは、続けて、
「これは、かなり非常事態よ、あなたのエネルギーは、ボロボロよ!、消耗しすぎている。
少なくとも、3月いっぱいまで(このときは、1月半ばくらい)は、セッションをお休みしなければいけないわ!」


それに対して、わたし、
「それじゃ、生活できません!」


苦笑。


そうだったのです、苦笑。
この仕事を始めて、すぐはオーラソーマのコンサルテーションしかセッションメニューにありませんでした。
そして、料金も3000円。
たくさんの料金をいただくのにまだまだ遠慮がありました。
それでも、来て下さったかたがご紹介してくださったり、本当にたくさんの人が来てくださったのです。
それでも、当時は生活できるという感じではありませんでした。

そのころのわたしは、この仕事は、ある種わたしのカルマのようなものとして、絶対にやらなければならないものと受け入れていたので、このような仕事は、しなければならないが、これで生活できるわけではない、と結論していたので、時間的に融通がきくアルバイトも、間もなく始めることにしました。


正直にいえばこのときには、わたしはこのような仕事を、ずう〜っとやらなくてはいけないとは考えていなくて、自分のカルマ?のようなものが満たす期間が終われば、それで終わりになるのかもしれないとも考えていました。


それから、いろいろな導きのなかで、抵抗していたリーディングや、アチューメントも行うようになり、そして、これも導きのなかで、このお仕事一本でやる段階がやってきて、このKomalaのセッションを受けた2006年の年初めは、まさにこの仕事一本で、生活を始めて、まだ間もないころだったと思います。


実は、アルバイトのほうの仕事を辞めたのも、この仕事との両立が難しくなってきていたからでした。
この仕事をこれからもやるのか、やらないのか、選択を迫られることになり、わたしは、通常の社会の仕事にもうそれほどに興味を持てなくなっていたのもあって、思い切って、この仕事一本でやってゆきますとコミットしたのでした。


だから、Komalaの言うことに従って、もしセッションを止めれば、わたしは生活ができな状況だったのです。


続く