義援金、現実の豊かさの循環の難しさ。
義援金が、まだ被災者の手元に届いていないということが、ニュースで知らされています。
このことから感じてみたことを書いてみます。
豊かさ(義援金)は、もう準備されているのに、受け取るための準備(整備)がなされていないということで、現実的に受け取れない(流れない)ということの、典型を、わたしたちは見させられているのかもしれません。
豊かさは、準備されている。
多くの人から、阪神大震災のときよりも、早く金額も多く義援金が贈られている。
多くの人の善意と愛は届けられている。
けれど、それが被災者の人たちに渡されていない。
これは、高次の豊かさ、そして、それは現実面での豊かさにも当てはまると思うのですが、を受け取れないというパターンの典型であるような気がします。
要は、受け取り手の準備が出来てないということ。
(義援金のばあいは、地方自治体の準備なのでしょう。)
わたしたち一人一人は、東北関東大震災の被災のみなさんの状況を直接的には、変えることはできない。
けれど、わたしたち一人一人が、豊かさを循環させるエネルギーを定着させるということが、間接的に、被災者の方々に義援金が届くサポートになる、そんなフィーリングを感じています。
そして、このタイミングでの6次元ヴァージョンアップ、そしてメイポールで≪豊かさの女神トリニティ≫をキャンペーンしていることは、意味が深いんだろうな〜と感じています。
わたしたちに受け取らせる準備を促しているから。
豊かさは、もうすでにそこに来ているような気がします。
義援金に象徴されるように、あとは、しっかりと受け取る。
そして、循環させる。
それを、一人一人が真剣に取り組むことが、今、すごくフォーカスされているタイミングなのだなと感じています☆