第14回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiii(5次元バージョンアップ)
先日は、「5次元ナディ」に参加させていただきまして、ありがとうございました。「5次元ナディ」において、一貫して送られてきていたメッセージは、「己の全てを愛しなさい」ということだったと思います。そして、そのためのエネルギーを沢山注いでいただいたのだと思います。
あるがままの自分と向き合う時、そこに見えてくるネガティブなものを、私はこれまで矯正すべき間違ったものとしか思えませんでした。
自分の弱さや過ちを理解することは出来ても、どうしても愛する(受容する)ことができないでいました。傷ついた時に感じる痛みは、つらいものです。
だから、傷つきたくないし、人を傷つけたくもない。感情のままに行動し、不快な思いをすることも嫌だから、あらゆる衝突を拒否し、回避することを望むゆえに、人間(自分)の不完全さを「悪」として嫌い、人間関係においては常に距離を置き、いつしか感情が麻痺し、痛みへの恐れだけがいつも内側に響いている。私はそんな状態にありました。
「5次元ナディ」の前に、強く憧れ、尊敬し、絶対的な信頼を抱くに至った女性との関係が破綻しました。
今までは、相手には相手の事情があるのだから(男性性・インナーチャイルドの傷も含めて)、私の視点だけで考えても仕方ないと抑圧してきたネガティブな感情を、その時は抑えることができませんでした。
全ての人に常に変わらず愛を注いでいる天に、つまり彼女を愛し続けている天にまで、怒りを覚えました。
「私がこんなに傷ついているのに、何故彼女を愛するのか!」と泣きました。
↑この部分について、このレポートは3度目の提出なのですが、史衣さんから『なぜ怒りを覚えたのか、彼女のなにに怒りを覚えたのか? そして、本当は、どうあって欲しかったと望んでいたのか? それが、どのように破られてしまったゆえの怒りなのか?そして、その怒りを肯定していいのだというところまで、自分を許して欲しいのです。』とお言葉をいただき、自分の感情に沈潜しようとしたのですが、ざわめくばかりで出来ず、「じっくりやるしかない」と思いつつ、ふと浮かんだフラワーエッセンスがあったので、力を借りることにして、その夜から摂り始めました。
翌朝、またエッセンスを摂り、そのままボーッとしていると、色々な思いが湧いてきました。
彼女には彼女の意見・選択があり、それが私と異なることは仕方ありません。
自由意志の世界です。
でもそういうこととは別に、私は、彼女に一瞬でもいいから、私の受けた痛みに思いを巡らしてほしかったんです。
彼女がそれを一切(多分)しなかったから、私は傷つきました。心ある人間としてのやりとりが、全く生まれなかったことが悲しくて、泣きました。
その後ふと、前日ネットでちょっと読んだ、今回の福島原発についてのあるブログ記事を思い出しました。
『スピリチャルな人の中には、福島原発は、これまでずっと忌み嫌われながら日本のために電力を届けていた存在である、福島原発にも感謝の気持ちを送ろうという動きがあります。』というものでした。
私はこの運動(?)の発信元を知りません。
だから、これを行っている人達がどのような意図・意識なのか分からないので、実際その活動をしている人々とは無関係(現実に事態を収束させるために危険な作業に身を投じている方々とも無関係)の、私の投影として話させていただきますが、この主張は私には「なんてヒドいことをするんだろう」としか思えませんでした。
福島原発を「ずっと忌み嫌われながら日本のために電力を届けていた存在である」と言い、本当にその痛みを感じているのであれば、彼の悲しみや怒りをまず受けとめようとすることが愛じゃないのかと思いました。
それをしないで、彼の怒りをなだめるために感謝の気持ちだけを送るという行為は、私が彼であれば、さらに深く傷つき、抑えたくても抑えられない怒りが湧いてきてしまうと思いました。
そして私は今まで、自分自身がそんな風に、自分に対しても他者に対してもひどく冷たく生きてきたんだなと思いました。
そしてまだワークし始めて数日ですが、臆病で痛みになかなか降りていけない私を助けてくれたフラワーエッセンスについて思ったことを少し。
このエッセンス、オーストラリアブッシュの「スタートデザートピー 」です。ずっと前に何となく買って、そのまましまい込んでいました。
エッセンスの説明には、『とても深い苦痛と悲しみを解消します。その苦痛や悲しみをまっすぐ、本来の姿で表せるようにしてくれます。』とあります。
南オーストラリア州の州花だというこの花。初めて写真を見た時、私は「ギョッ」として「怖い」と思ってしまいました。
とても個性的な姿をしています。花だと言われなければ、花だと思わなかったかもしれません。
色は赤と黒。このエッセンスが、私の悲しみを浮き上がらせてくれました。
この花の姿も色も、怒りを表しているように思えます。
優しい怒り。
傷の痛みへの共感ゆえに、怒ってくれているのです。
それで安心して、私の悲しみは姿を現すことができたのかもしれません。
本当は、私が私に対してやらなくてはいけなかったことを、この花が助けてくれました。
悲しみをハートで受けとめたことで、相手への怒りから感じる波動が何となく変わりました。
相手への攻撃的なエネルギーよりも、痛みへの愛情として振動しているような感じ。
そして、恐れによってハートを閉じてしまっていた臆病な自分に向かって、真実のために勇敢であれと叱咤激励してくれるような、男前な怒り、情熱であるようにも感じました。
史衣さんは以前、『怒りという感情は、本当は悪者ではなく、優しさの叡智の源だ』っておっしゃっていました。「???」だったんですけど、少し分かった気がします。
月の女神やフラワーエッセンスに、今は助けていただいています。
おそらく「自立」というのは、自分の痛みを自分で受けとめられることをいうのでしょう。
そうすると、ハートで受けとめた真実を通して、宇宙の愛が注がれて、愛の循環に入れるのかもしれません。
ハートを閉じてしまうと、何も分からなくなるということがよく分かりました。
自分の痛みを麻痺させてしまうと、他者の痛みを感じることもできなくなってしまう。
感じなければ、いくらでも冷たくなれる。
だから私は、現実の自分を省みることなく、優れた存在でありたいという欲望を向上心と勘違いすることができたのだと思います。
あるがままの自分がこんなに悲鳴をあげているのに、その痛みを無視できてしまったことが、怖いと思います。
これからは少しずつでも、ハートを開いていきたいと思います。『自分に厳しい人は、他者にも厳しい』ですね。その逆を目指して、勇気を出します。
今回も素晴らしい機会をありがとうございました。
史衣さん、連日お忙しい中、ありがとうございました。高次の存在、ご参加の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。ありがとうございました!
レポートありがとうございました。
文中にもありますが、このレポートは、実は3回目の書きなおしなのですよね。
本当にありがとうございます。
けれど、この機会に、『怒りという感情は、本当は悪者ではなく、優しさの叡智の源だ』とお話したことを、ぜひ体感していただきたかったので、ちょっと突っ込ませていただきました、笑。
初めのレポートとエネルギーが、全然違っていることを(ご本人しかわからないかもしれないけど、苦笑)ご理解いただけているかなと思います。
これが、ハートアルケミーです。
トーンサラウンドセラピースクールでお話することなのですが、感情というのは、その丁度の重さで、誰かに受け止めてもらえると、魔法のように消えて愛のエネルギーに変わるのです。
その重さよりも軽く受け止められても、重く受け止められても、苦しみや怒りは増してしまうばかりです。
本当に、丁度同じ重さで受け止めてもらうということが鍵なんです。
人は誰でも、深いところで、それを求めている。
だからこそ、そのために、いろいろな感情的な経験をレパートリーとして、強弱も含め知っている必要がある。
だからこそ、この世にいろいろな苦しみが存在するんです。
愛の癒しの魔法のために。
ハートアルケミーです。
この誰かが、自分であってもいいし、自分であることがベストなのですが、自分以外の誰かに、もし、理解されたとしたら、それは、この世を肯定する強い力になります。
そういう誰かの誰かさんになるために、この世には感情のレッスンがあるのです。
レポート中書かれている、原発についての意見は、誤解される可能性もあるかもしれませんが、怒りはまず怒りとして、ありのままに受け止められることを、そして次のステップで感謝を、ということなのかもしれません。
人との関係やつまずきでも、「ゴメン」の一言が、大きな魔法を起こすことってあると思うのです。
でも、過ちを認めたくないという心が、素直にその一言を発することを留めてしまうことってありますね。
そして、その一言さえ聞ければ、ということもあると思います。
そして、その一言が聞きたいのであるならば、勇気を出して、そのことをちゃんと伝える必要があるのだと思います。
察して欲しい、気付いて欲しいというのではなくて。
それには、結果を受け入れられる、強さも必要なのかもしれませんが。
まだまだ放射能や原発については、もっともっと感じてゆく必要があるのかなと、わたし個人も感じています。
起こっていることに、ちゃんと向き合うことが、前進と改善の鍵だと思うので。
社会を変えようとする前に、自分のなかでちゃんと感じる。
それは、小さな力かもしれませんが、一人一人のなかのそれが集まれば大きな力になるのだと感じています。
ありがとうございました☆