海に行ってきたこと2☆



宿でテレビを見ていると、それぞれに被災地の悲惨さを伝えるニュース等を流していました。
(相変わらず、家にはまだテレビを購入していなかったので、家ではテレビを見ていなかったのです。)


もちろん、必要で流している内容もあったけれど、不必要に不安を煽るだけなんじゃないのかというエネルギーも同時に感じました。
本当に難しいことだけれど、どこにでも二元性はあって、どのエネルギーに繋がるかは、個人個人の選択によるということは、どこまでもわたしたちは、自由意思を尊重されているということでもあるのだなと思いました。

震度5以上の余震の確率が70%を超えるということをニュースで聞いて、これはかなり高い確率だよなと感じたり、震源地が少しづつ南下していることを確認したりすると、今、ここで、地震が発生して、同じような津波が起きたら、わたしも危ないよねと、改めて感じました。


海の近くに住むということは、そういう津波の危険性を、いつもどこかに持っているということなのでしょうね。
それでも、海の近くに住むということを選んでいるということは、もしかしたら、すでにそれだけ海の魂そのものと深く繋がっているということなのかもしれないな〜とも感じていました。

≪サラスバティ≫のエネルギーで教えられたこと、水の自然の、海の「心安らかに、損も得も受け入れる、そして流してゆく、変化してゆく、変化を受け入れる、心安らかに。」という意識を、海の近くに住むという選択をしている人たちは、強く、すでに持っている人たちなのでは?と感じました。
だからこそ、その負の役割りも、受け入れている。
そういう人たちだからこそ、今回のことが起こることを許した。
全体の学びのために。


高次の意識では、そう選んでいたとしても、必ずしも、一人一人のなかで高次の意識と低次の意識が繋がっているとは限らない、けれども繋がれば、通常よりも祝福された次元的な移行が可能でもあるはずだと、更に認識しました。

だからこそ、被災して、命を落とされたかたには、特別な祝福された移行が用意されているはず。


夜になってくると、わたしも、不安になってきました。
早々にテレビを消して寝ようと思い、クリスタルを握って、意識を海に同調させながら、設定しながら眠ろうとするのですが、眠れません。

部屋を暗くして、意識を研ぎ澄ますと、部屋が屋鳴りして、そのたびに、地震では?と心臓がどきどきします。
ここで津波が来たら?とか、怖いなと思うんです。

でも、こういう気持ち感情になることこそが、そういう混乱した魂の意識に繋がる設定を行うのに必要なんだとも思いました。


だから、怖くなるたびに、ヴィーナスファンデーションのエネルギーを呼び出して、繋がって、ハトホルのエネルギーに繋がって、聖母マリアのエネルギーに繋がって、観音のエネルギーに繋がって、アバンダンティアのエネルギーに繋がって、ハトホルのエネルギーに繋がって、サラスバティのエネルギーに繋がって、レディナダのエネルギーに繋がって、ターラのエネルギーに繋がって、暗い部屋の中、潮騒の音を微かに聴きながら、更に12次元ナディのエネルギーを確認し、11次元ナディのエネルギーを確認し、10次元、9次元ナディのエネルギーを確認し、8次元ナディでワンネスのディーバたちのエネルギーを確認し、7次元ナディでマスターたちの支えを確認し、6次元ナディの太陽のエネルギーを確認し、5次元ナディの月のエネルギーを確認し、4次元ナディで5次元への通過を意図して、3次元、今の自分を確認して、2次元ナディ、四大元素霊たちや暗闇のエネルギーを確認して、1次元から11次元と、9次元に繋がる光の通り道、光の循環の柱を確認して、魂がそこを通ることが出来るように意図して、を不安な気持ちが押し寄せるたびに、繰り返しました。

繰り返しながら、本当に今までのワークのすべてのエネルギーが今、今夜、ここで必要とされているな〜と感じていました。

まだ、屋鳴りが続いています。
怖くなる。

で、また繰り返す。
安心する。

怖くなる....。

その繰り返し。

で、なかなか眠れない。

眠れなければ、意味がないので、朝まで眠れないという状況になっちゃだめだと思って、よ〜し今度こそ、と思って繰り返す。

そのたびに、今、全部は想起できないほどのいろいろな情報や感覚に繋がっていました。



そして、どうしよう朝になっちゃったらと焦って、窓を見たら、大きな窓のブラインドの隙間から、星たちが美しく輝いていて、去年、ペルセウス流星群を見たあのときの至福感が全身を包んだんです。


そして、ターラだ!と思って、その星がなんとも強く、美しく、優しく輝いていて、励まされたというか、たぶん移行中の魂たちも、そして被災して今救助を暗闇の中で待っている人たちの上にもあの星の輝きがあるんだ〜と思って、深く安堵した瞬間に眠りに落ちたようでした。


朝、5時55分に目が覚めて、まず無事に眠れたことに感謝しました。

たぶん3時過ぎまで眠れなかったので、眠っていた時間は短かったかもしれないけれど、十分だ、役目は果たせたと感じました。

続く☆