クリスマスリース&好かれるとか愛されるということについて☆


じゃ〜ん、今年のリースです☆
あまり上手く写せていないのですが、こんな感じです。
「IDEE」で買いました!


さてさて、昨日クライアントさんと、好かれるとか愛されるということについてお話ししていて感じたことをちょこっと書いてみます。

わたしは、自分のことを好かれるタイプであるとか愛されるタイプであるとか考えると、わりと楽観的に好かれるタイプだろうと現在考えていることに気付きました、苦笑。

けれども、もちろんたくさん嫌われてきた経験もあります。

社会人で働いていたとき、ある社内の仕事をやってみたいと申し出て、人事にそれが通ったときがあります。
まだ、経験や年齢的には、早かったのですが、まあいろいろあってやらせてみようということになって希望が叶ったわけです。

それで、部署移動したのですが、まあ簡単に言えば、そこで歓迎されなかったのです。
それもさらに詳しく言えば、女子社員のかたに....。
まあ、男性社員のかたには、「お前怖いもの知らずだな」みたいな感じで、面白がられたのですが、同性は、すべての面でシビアに判断しますからね!

で、嫌われてる.....。
と当然落ち込んだわけなのですが、そのときに、よく面倒を見てくれる友達先輩社員(男性)に「わたしは、みんなに嫌われてる」と泣きごとをいったときに、
「じゃあ、お前は、一緒に昼飯を食う相手もいないわけ?」と聞かれて、
「それは、いるよ〜!」って答えたら、「じゃあ、みんなじゃないじゃん!」って言われたのですね、苦笑。

そのときに思ったのは、わたしは、みんなに好かれて(歓迎されて)当然だと思っていたというか、誰か一人にでも嫌われることが嫌だと思っていたんだなと気が付いたのですね。
そういう態度が、嫌われるんだなと気が付いたというか、苦笑。

それでも、いろいろ努力しても結局ダメで、落ち武者のように、その仕事を降ろされて、前にいた部署に戻されたんです、泣。

それで、わたしはダメだ、もっと性格が良ければ、社交的だったら、きっと好かれて挽回出来たはずなのにって、もう落ち込んで落ち込んだのですが、今考えれば、やっぱりどうにか出来ると思っていたところが、まさに何様?って感じで、嫌われるのも無理もないと感じます。
あの頃のわたしは、自信がなくて、何かをやり遂げて認めて貰いたくて、躍起になっていたのですね。
そんなわたしが、その職場で、長い年月の積み重ねで、実績と信頼を積んできたみなさんに受け入れられるわけがないわけです。
そうだよな〜と深く納得できるまで、やっと成長して、あれは、仕方ない、その通りと反省して、その結果、「わたしは嫌われる」っていう感覚が消えたような気がするのです。


それで、その後好かれる経験とかがあると、まあ普通に好かれるよね?みたいに自分で自分に下す評価が知らぬうちに上がっていたと(これまた何様ですけど、苦笑)。


でも、好かれると思っていると、嫌われても、まあそれもありだよねと考えて、あんまりめげない部分があります。
嫌われても、「まあ、そういうこともあるよね。」で済ませられるというか。


そういう耐久性が、嫌われた経験が癒されることによって、浮上したということでしょうか?


で、結論。
誰もが、愛されるし、好かれるタイプなのだと思います。
もちろん、嫌われることもあるけれども♪

たぶん、そう考えられることが幸せだし、ある意味自己完結なのだと思います。

だから、嫌われることが怖いとか、辛いというときには、そういう過去の経験を癒す努力がお薦めかもしれません。

過去の思い込みが消えないと、どんなに好いてくれる人がいても、その好意に気付くことさえできなかったりして、好かれるという意識にシフトすることも出来ないかもしれないから。


まあ、余計なことなのですが、もしかしたら案外大切なことかもしれないので、自分の経験を、現時点でまとめてみました☆


追記☆まあ結論から言って、好かれる嫌われるも思い込みのレベルなのでしょう、笑。
だったら、自分にとって耐久性があって、平穏でいられる、そして幸せでいられる思い込みでいいのでは?という感じでしょうかね。
自分で思っているだけだったら、害がありませんし♪