金星の女神学校≪ハトホル≫の感想です8

本当に遅くなりましたがレポートを送ります。ほとんどまとめてあったのに、提出できなかったのは、未熟な自分をさらすのに恐れがあるからなのか、レポートの内容が踏み込みが足りないからなのか?ギリギリまで分かりませんでしたが、後者だったようです。書き上げる寸前までブレていました(汗)。いや、やっぱり、両方かな?

それとやっぱり、今になってやっと書き上げられたのは、月の女神学校のおかげでした♪月の女神学校、素晴らしいです♪

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大変遅くなりましたが(前代未聞?)、金星の女神学校ハトホルの感想をお送りします。後に続く学校やナディ等も受けた後なので、内容が入り混じっているのと話が前後する部分がありますが、よろしくお願いします。

海が大好きでハトホルとサラスバティをすごく楽しみにしていた私が、なぜここまでレポートが遅れたのか・・・それらの課題がずっと続いていたともいえるし、12次元ナディと月の女神学校を終えて、またこちらの課題(豊かさのトリニティ)にリターンしてきているような感じでもあります。何度もまとめようとして、色んな理由をつけて逃げてきたようにも思います。

ハトホルはエントリーの記事を読んだ時は本当に楽しみにしていました。私の大好きな海が、倍音の海であること。守られているからこそ、本当に深いところまで感情を見つめていって大丈夫なのだということ。原初の宇宙の意図、昔なくした宝物が眠る場所。今まで追求してきた海のイメージに関するパズルのピースがぴったりはまった感じで、改めて恵みとしての海、豊かさとしての海を想像すると、魂が喜んでいるのが分かりました。アバンダンスのテーマ、欲のテーマ、失くした宝物のテーマ、かけてしまったプログラム(封印)のテーマ、自己価値のテーマ・・・深いですよね。

アバンダンティアの時には、自然からの贈られているから身体的に生きて行くことが可能とは気づいたのですが、ハトホルになって初めて、才能も、機会も、使命も、私たちの自我をもってして得られるものは何もなく、すべては天からの贈り物なのだと、気づきました。天から与えられるもので喜びを持って奉仕していくための「情熱」でさえ、自我の力だけで呼び起こすことはできません。なぜ、アバンダンティアで気づかなかったのか、不思議でしたが、おそらく、まだ傲慢さがあったのでしょう、そんな私にも、ずっと惜しみなく与え続けられてきたものがあり、感謝するとともに、これからもずっとそれを流していきたいと思いました。遅れて気づくことで、逆に繊細に受け止めるよう促されているのだとも思います。

しかし、なぜかハトホル以来ずっとのような気がしますが(不動であるための学び?)、前日から慌ただしい感じで、当日も心を鎮める余裕がなく、そういう時に限ってという感じで家族も寝ないんですよね(苦笑)。この時は、だんだんイライラしてきて、私が先に寝たフリを決め込みました。

その日は昼に会った友人が、姉妹にキツイ助言をされて落ち込んでいるという話だったので、励ましたのですが、私も同じような体験があったことを、まったく忘れてしまっていたのに、その時急に思い出し、当時の体験以上に怒りと哀しみが噴出してしまって、自分でもビックリしました。さらに過去の色々な傷とリンクして、感情が大爆発してしまったのです。それも当然ですね、ハトホルの癒しが待っているんですから。

で、寝たフリしながらもパニックになった頭で、辛うじてエントリーガイダンスを思い出し、私が求めているものを吐き出しました。正直、よく覚えていないのですが、自分の部屋がほしい、から始まって(苦笑)、色々物質的なものから、最終的には、「私の真実を返して!」でした。真実を求める道は辛かったですから。フミさんに出会う前も出会ってからも。でも、こんなに求め続けてもまだ得られないの??と、怒りさえ覚えていたのです(フミさんに、ではないですよ!)。

でも、求めてよいのは、感謝の気持ちを元にして、なのでした。怒りでぐちゃぐちゃになりつつ、感謝したいことも、同じぐらい、いやそれ以上に強く思い出し、愛であるもののすべてを求めます、と強く願いました。本当に、ハトホルに預けてしまう以外に何の手立てもなく、何しろ倍音の海ですから、どんな痛みであろうと癒されないはずはないのだ、というよりなく(それくらい、私にとって海という存在は大きいのです)、苦しみの中にありながら不安や絶望感を抱く気力すら湧いてきませんでした。

実際、豊かさの循環のためのハトホルの叡智が真実であるなら、不安を抱く余地がないのです。今まで、色々スピリチュアルな知識を追って自分なりに豊かさを求めてきましたが、ハトホルの叡智だけが、豊かさというものの愛と真実について、他にどんな真実がありえようかというくらい、私にとっての真実だという確信があったからです。

そして、不意にしんしんと降り注ぐエネルギーを感じて時計を見ると、ちょうど11時でした。本当に深い深い癒しを受け取ったと思います。

それから数日後に、友人たちと集まったら、話の中で一人の子がトラウマが刺激されてパニックに陥ってしまうということがありました。慌てて色々ケアして何とか落ち着きましたが、もともと話題を出したのは私たちだったので、申し訳なく思っていると、後で「話す前よりスッキリした」とお礼のメールが来て、弱さや辛さを隠さず素直な彼女に心を打たれました。

翌日、母と話していて、たまたま自分の辛い感情に触れてしまい、つい泣いてしまったのですが、いつもなら、泣いたこと自体が悔しくて余計自分がイヤになってしまうのですが、この時は、「泣いたっていいじゃん」と素直になれ、そうしてみると、ひとから慰められるということもできるのだな〜、と。今までは、弱いのに弱さをみせたくないと思っていたので、弱いと思われる屈辱の方が大きくて、誰かに慰められても慰めにならない、ということだったみたいです。よくよく考えてみると、自然に対してもそうで、自然から心地よさを受け取る度に、心地よいと感じる一方、それでも癒されない苦しみをも意識させられもするので、それが苦痛でもあり、私は自然にそぐわない存在だと決め付けていました。

そして、以後、自分が自分として生きられそうな道が、急に展開し始めているのですが(何の努力もいらず)、以前の私なら、ある程度努力もしてきたし、代償も払ったから当然、あるいは、自分の力で引き寄せた、と思ってしまうところだったでしょう。今まで豊かになれないはずです(苦笑)。さすがの高次の計らいで、今のタイミングで豊かさの流れがやってきたということなのでしょうが、自分にできるのだろうか?と怖気づく自分もやはりいます。努力してきたと言っても、そう長年でもないですから、自信が持てないという、ごく普通の意識だと思うのですが、努力しないこと!が大事なのですし、高次からきちんと受け取っているなら、きちんと奉仕できるはずなのですよね。魂が真実望んでいることなら、必ず顕現されるはずのこと。この流れに乗るには、このままでいいのか、まだ何か足りないのか?

そんなことを考えつつ、書類の整理をしていると、昔別の方から受けた個人セッションワークのメモが出てきました。「魂の望む通りに生きるために必要なのは責任を持つこと」とありました。「責任」。この言葉が私はとても苦手でした。今まで自己犠牲ばかりで生きてきた私は、自分を犠牲にすることで他者に責任を転嫁し続けていたのですから。

しかし、依存から自立しようとする時、必ずついて来るのが「責任」です。いわゆる「自業自得」とか、責任回避のために便宜的に使われる「自己責任」という言葉にはある種の冷酷さが感じられますが、本当の意味で魂が責任を引き受けるなら、それは宇宙を信頼しているからこそで(逆にそれ以上に信用できるものがあるでしょうか?)、責任をとる態度から生まれるものは、必要な恵みと必要な学びしかないはずなのです。その時、「責任」という言葉はもういらないのかもしれません。魂がただ本質に生きる時、「意志」や「自由」という言葉もいらないように。実際には、そこまでいったらマスターそのものですけど(笑)。

そうであるなら、責任を持とうとすることで、怖気づくのではなく、自信を持つことができる(自分の能力や努力でではなく、信頼の中で必要な奉仕をやり遂げられるということに)はずなのですね。だから、そこそこの人生、無難な人生でいいとか、つい最近まで頭を過ぎることがありましたが、やっぱりありえないです(笑)。自分がやり遂げられる奉仕と乗り越えられる学びとを続けていく中で、リラックスして目線を低くして、繊細に気付きながら、伝えていこう、と思います。

それから、ハトホルをきっかけに封印について改めて考えていたのですが、私は自分の封印の部分について自覚はあったのですが、どう向き合っていいのか、ずっと分からずにいました。封印した理由、された理由、そのことについての暗い感情を理解すべきなのか?思い出せないので手のつけようもなかったんです。でも、本当に必要なのは、高次に愛されていることを信頼し、ここ地上が安全で、自分が守られていると信頼すること、それなしに、封印してきたものの理解や実際の解除は不可能だし、可能な場合でも、危険なことなのではないか、と。だから、恐れのない、まったき信頼の中にあれるように、現実的な心の闇と向き合っていくことがやはり大事だなぁ、と。

そして、このタイミングで、アトランティスの崩壊について、ただ絶望だけがあったのではなく、今この時代(未来)に再び目覚めることを当時から知っていて、平安な心を保ちながら崩壊を迎えた人たちもいたということ。そこではやはり能力は権力ではなく、愛として認識されていた、という記事を偶然読みました。だから、多くの叡智を宝物として、海の底に沈めた、来るべき日のために、とありました。それが封印にかかわる深い理由であるのかもしれません。ということは・・・やはり、海の底にはたくさんの宝物が?

けれど、その当時の絶望感に対して配慮することなしに、宝物だけを拾いに行こうとした私は、失敗して、今この時代にも傷を重ねてしまったのです。遠い過去生での封印を解きたいと思って色々ワークを受けたことで、解いたはずの封印についてまったく自覚できず苦しかったり、他人と能力を較べて傷ついたり、スピリチュアルな世界での奪い合いを目の当たりにしたり、お金もけっこう費やしたし、癒されるどころか、負の経験を重ねてしまいました。この部分の苦しみの感情のために、今まで感想が書き上げられずにいたのですが、月の女神学校を受けた後、それらの怒りに対して女神学校のワークをしてみました。

それらの怒り(現代の傷)を深く受け止めて見ると、自分を縛っている意外な意識に気がつきました。能力を権力として使わないように、自分で自分を封印していたのです。これまで、卑屈であり傲慢でもあったから、その恐れが多いにあったのです。能力を愛のためだけに使います、と宣言できない自分がいたのです。「穢れのない高貴な玉」になれないというより、実は、なりたいと思っていなかったのです。(怒りのために、ひとから奪い返そうとしていた。)だから、そのことを覆い隠すために、スピリチュアルの世界で自ら負の経験を選び、被害者であることで、自分の責任を回避しようとしていたのですね(真実を得られない苦しみまでも)。自分でもびっくりしたのですが、それが自分の本当の思いでした。自分の未熟さに向き合い、謙虚に学ぶのがいやだったのです。

でも、それも、まさに怒りに苦しんでいたからこそ、なのです。だから、そんな自分を責めるよりも、許して労わって、愛を受け取ろうと思います。それでこそ、この先、より多くの豊かさを流していけるでしょうから。だから、宝物というのも、過去の能力の数々ではなく、それらもろとも沈めてしまった真実の愛のことなのであり、それらもろともすべてを受容する母性の愛であるとも言えるし、恐れの中に深く潜ってその愛を拾い上げてくることが、本当の意味でのディセンションとの和解なのだろうと思います。

このような気づきを得て、実際封印がどうなるのかは分かりませんが、豊かさのトリニティで、他者から奪う欲望が抜き取られたのは確かで、でも怒りのために、清らかであることがどうしてもできなかったけれども、月の女神学校を経て、怒りの浄化の仕方を学んだら、清らかでありたい、というか、あろうという意思が湧いてきました。そして、清らかであろうとすることでこそ、陰の部分の受容が可能なのだな〜、とやっと理解しつつあります。(穢れのない玉になりたくなかったのは、陰の部分を自分自身として受け入れるのがイヤだったのもあるのです)。そうであれば、ハトホルへ願うことも、もっと素直な気持ちでできるし、豊かさを得るにふさわしい自分であると信じられる気がします。

そして私が流していけることも、穢れのない玉であろうという意思のもと取り組むのであれば、その結果どれだけひとに満足してもらえたかということにこだわりすぎずとも、結果は結果としてその責任を引き受け(自分の未熟さを知り謙虚に学ぶこと)、そうであれば、常に清らかであることに集中していけるのかな、と思います。

で、私は、自分のやっていること(スピリチュアル系)でシンクロが起きたり「当たる」ことを、これまでは「すごい」と思っていましたが、フミさんのところで学び始めて学びが深まるにつれて、たとえば未来をかいま見せてくれて、それが当たってすごいと思えることに一体何の意味があるのか?疑問に思うようになっていました。一種の能力の誇示みたいな気がしてしまって。ひねくれていますが(苦笑)。

でも、最近になって、未来の予想というより、すごくサプライズなやり方で、クライアントさん本人が自分で答えに辿り着けるように導いてくれたのです。高次のチームワークにビックリで、ここまで来ると、もう能力の誇示とかでは説明できなくて、どう受け取ればよいのか・・・最初は分からなかったのですが、後で、「あ、これは祝福なんだ!祝福として受け取ればいいんだ。」と思いました。

それは、ご本人が気づいてくれたことがすごいなと思ったし(私は何もしていないので)、その方の本質や高次の愛にやはり感動させられ、誰もが特別で愛されていると感じられました。そして何より、私は、様々な叡智を、高次や自己探求からだけでなく、他者からも受け取ることができる、受け取っていいのだ、ということに気づかされました。

その日、夕方の空を見上げたら、帯のような形をした雲がピンクに染まっていて、リボンみたいだな〜と思いました。それで、そうだ、地球という星や、私たち一人ひとりが宇宙にとって宝物なんだ!だから、大事にリボンをかけられているんだ♪と思いました。

そして、その日、一本の訃報が知人の方より届いたのですが、何か感じ入るところがあり、その空の美しさを思い出して、文の終わりに「秋空が美しいけど切ないですね。」と付け足して返信しました。すると、その返事にその日の朝焼けの画像が送られてきました。哀しくて眠れなくて空を見上げたらとても美しかったので、撮影したのだそうです。その後、他の友人たちとも同じようなシンクロのようなことが起きたり、他者の心の痛みをそのまま自分の感情として経験することが度々起こるようになりました。ちょっと不思議な感覚なので説明しにくいのですが。8次元のワンネスをかいま見せてもらっているような??アチューメント時に、私ができる奉仕は何だろう?と思った時に、ひとつは「痛みへの共感」かな?と思いつつ、今ひとつ自信がなかったのですが、こういう感覚なのかな?と思いました。

が、その後、12次元ナディでは、同情と共感の違いについて考えさせらたわけで。(このような形での「痛みの共感」を否定されたように受け取ってしまったのでした。)今、言えるのは、痛みに共感し、配慮するのは本当に大切なことなのだけれども、それを同情に終わらせず、乗り越えるための愛の力がまだ足りないときには、聖域を侵す危険がまだあるということ。また、さらなる犠牲を生む恐れもあるということ。だから、無理をせず、自分の聖域を熟知していくことがまずは大切なのだと思います。それと、何かの能力を獲得することで、それを誇ってしまう傲慢さを牽制されたというのもあると思います。別に誇りたくて誇ってしまうわけではないのですが(苦笑)、男性性の怒りが、無意識にそうさせるように思うので、これからも月の女神学校のワークを続けていこうと思います。

自分の欲求については、今でもよくハトホルに願っています。つい節約し過ぎてしまいそうになる時、ハトホルを思い出して、本当に楽しいと思えることにお金を使えることに、ハトホルに感謝するようにしています♪罪悪感、喪失感なしでお金を使えるようになったら、とてもありがたいです♪(今まですごくあったので)

今回も、長文失礼いたしました。今回も、たくさんの高次からの愛を(そして、フミさんの多大なご配慮も)ありがとうございました。



レポートを出すのに時間がかかったことは、全然悪いことではないですよ。
提出してくださり、ありがとうございます。

時間をかけたことで、とてもよく消化されていらっしゃるし、努力しない極意も理解されて本当に良かったです♪

これからも、たくさんの豊かさと恵みの循環のなかで幸せを甘受していってください。
たくさん月の女神にも癒されてくださいね。ワークを行えば行うほど、その効果を実感されると思います。
応援しています♪