第11回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiii(秋分の日12次元再開催)

こんにちは。
お世話になっております。12次元ナディの感想です。

前回のサラスバティで不動の自分を目指したいといったことを書いたのですが、今回のワークでも不動である自分を築きましょう、ということをより深く、だったような気がします。


前日にはヴィーナスファンデーションも受けさせていただきましたし。常に与えていける人であるには、ガイダンスにありましたが、なにがあっても(与えたから喜んで受け取ってくれるとは限らないのですよね)平静でいられるようでないと無理なのでしょうね。そして、この12次元に限らず、私にとっては、不動であることは人生全般の大きな課題であるとも思っています。


不動あるためには、私の場合、あまり深刻になり過ぎないように、余裕を持つために遊び心やユーモアも必要である、というのを感じました。起こる出来事は、確かに全て意味があるけれど、ひとつひとつに「う〜む、これは一体どんな意味があるのであろうか。」と考え込むのはかがなものかと。
深刻になりすぎるとその出来事や感情にとらわれてしまうんですね。身動きがとれなくなってしまいますから、日々の些細な事に気づく大事さもあるけど、さくっと流していいこともあるんですよね。その辺のバランスをうまく取れるとよいのかと思います。
0か100、極端から極端へ、ではなく、細部に気を配りつつも、やりすぎないようバランスをとっていくことを学ばないといけないなと思いました。バランス、中庸であるって難しいけど大事ですよね。いいことにも嫌な事にもとらわれ過ぎずに流していく、そこに余裕が生まれ、不動でいられる、そんなことを考えました。

そして、このワークの次の日から、がっつり寝込みました(笑)只今もって浄化中です。もうたくさん、欲とかエゴとかあるんですよね。うんうんうなされながらも自分のどろどろした欲なんかが出てくるのを感じていました。

私の中に、ある日突然幸せな人生が開けたり、すごい能力が目覚めちゃったり、何か大きなものを期待している、そういう自分は嫌だったので、そんなのくだらないよね、と自分に言い聞かせてきていましたが、やっぱり目に見えるわかりやすさや、パッと見の華やかさでたくさんの人に称賛されたい気持ちがありました。
これはありのままの自分に自信が持てていない、ともいえると思います。
自分をちゃんと信じられている人は、わざわざみんなに褒め称えてもらったり、外に力を示したりする必要がないんですよね。
もうこれまでのワークで何回信頼と書いたかわかりませんが、100%安心して信頼するって難しいです…
たとえば真実って目に見える形ではもちろんないので、その時自分がこれ!と感じたことを信じるしかないわけで、時にはあれ?違っちゃった?ということもありながら、一歩ずつ自分を洗練させていくしかないんだと思います。
サラスバティの時に、これからはコツコツと日々を積み重ねていきたいです、みたいなことを書きましたがここにも繋がっていたな…と思いました。この辺のことは深いところではわかっていたような気がしますが、今回はっきり自覚し、手放しということになったようです。


こう書いているとネガティブな気持ちになっているように思われるかもしれませんが、そうでもないです。気づくことができて、手放すことができるのはやはり幸せな事だと思うからです。今回でまた一皮むけた私になれたでしょうか(笑)こうした機会を与えていただいていることは本当にうれしく幸せだなと感じていますし、心から感謝しております。いつもたくさんの愛をありがとうございます。


レポートありがとうございます!
ご自分で、0か100かではなく、と書かれてらっしゃいますが、たぶん深い信念のなかに「完璧主義」があるとご自覚されていらっしゃると思うのですが、「100%の信頼」は、難しいというか、不可能だと思います、笑。

もし「100%の信頼」が出来ていたら、山をも動かす奇跡を起こすレベルになってしまうと思いますし、笑、辛子種の信頼でもいいのだと思います。
それを大切に少しづつ育ててゆくこと、それが、この二元性のなかで、一見不確かな3次元に存在して、行ってゆく、尊いことなのだと思います。

たぶん、わかっていらっしゃるのだと思いますけど、念のため♪

称賛されたいという気持ちというか欲も抑圧しなくてもいいのだと思うのです。パラドックスですけど、十分に称賛されつくせば、その欲は消えてしまうと思うので、ハトホルに「称賛されるわたしにしてください!」とその欲を任せてしまってもいいのではないでしょうか?
ハトホルは、なんでも叶えてくれるゴッドマザーなので、(ガイダンスもう一度お読みくださいね♪)お願いして、そして、手放してしまえば、おのずと正当な形で叶ってゆくと思います。

寝込んでしまうのは、寝込めることが許される状況下であるなら、わたしは、それも天からの祝福だと思っています。
世の中には、寝込めない状況の人のほうが断然多いので。
わたしも、ときどき浄化やエネルギー的準備のために寝込むことがありますが、昔会社勤めのころは、寝込むことは許されないことでしたら。今は幸せって、思っております♪
○○さんも、寝込める幸せを甘受していただければと思ったりして、笑。

力(それは愛でしょうけど)が、蓄えられれば動けるようになります。
だから焦らずに、少しづつ。
シュタイナーによると眠っているときに、わたしたちは、天使と交流して愛を受け取っているそうですから♪

客観的に見て、以前より、全然「不動」になっていると思いますよ♪すごい進歩なさっています。
これからです〜!!!