第11回ナディマスタートランスミッションスタディシェアi(秋分の日12次元再開催)

先日は、「12次元ナディ」に参加させていただきまして、ありがとうございました。


今までのトランスミッションを通して、沢山の愛と叡智をいただいているにもかかわらず、何故私は変われないのか?豊かさや快適さを享受できないのか?度々疑問に思いながらも、自分では変わるために真剣に内観し学んでいるつもりだったので、癒しにはそれ相応の時間がかかるのだろうと、それまでは忍耐と信頼を育てていくしかないかと思っていました。でも本当は、ただ単に「受け取っていない」だけだったことに、「豊かさの女神トリニティー」後の音叉セラピースクールで、史衣さんの導きで気づかせていただきました。エントリーメールにあったように、「受け取っていながら、まだ足りないと求め続ける」形で、私は受け取っていませんでした。


受け取らないのは、受け取りたくないから。幸せを望みながらも受け取り拒否をするのは、「自力で」幸せになりたいと思っているからだと気づかせていただきました。何故「他力」ではダメなのか?それは、今の不完全な自分が天から愛を受け取って幸せになってしまったら、今のままの自分で良いということになってしまうからです。私は、あるがままの自分の不完全さが心底嫌だったので、受け取るわけにはいかなかったのです。しかし受け取らずに幸せになるというのは、「奪って」幸せになることを意味します。≪アルテミス≫の「悪魔」再びです。


スクールから帰宅後、でも「自力で」幸せになろうと努力するのって、ひとを当てにするよりいい事だと思うんだけど?みたいな気持ちがまだ燻っていて、エゴがしぶとく抵抗を試みていました。それで、「自力で何かを成す」という感覚に浸ってみたのです。そうしたら、獲物を探して狩りをしているようなワクワク感が胸に広がりました。征服欲、支配欲に繋がるような高揚感でした。「うわぁ、本当にこれは、奪おうとするエネルギーなんだ」と分かりました。自分が、他者より抜きんでて自力で上昇しようとするルシファーであることを認めないわけにはいかず、脱力しながら納得しました。


それで悪魔のメッキが剥がれまして、そうしたら徐々に自分の傲慢さがクッキリハッキリ見えてきまして、考えてみれば、生きているということだけでも肉体を与えられ、大地と空気と食物がなければ生きていられないのに、沢山の存在と沢山の人々に支えられて生きているのに、私は本当に自分を何だと思っていたのでしょうか。これまで当たり前だと感じていた思考回路の端々にルシファーを感じて、かなりカオスな状態になり、行きすぎる前に「月の女神学校」の『許せないという信念、感覚に対処する』で自分を許すことを助けてもらったりしました。


「12次元ナディ」に申し込む時は、恥ずかしかったです。自分があれだけ沢山与えられていたのに拒否してきたことを知ったから、ばつが悪いといいますか…(これも自分本位な感情なのですけど)。でも自分のルシファーぶりを知るにつけ、同時に分かったのは、それでも愛を注がれ続けたという事実。そのことに喜びを感じたり感謝するには、心の動揺が激しすぎたのですが、宇宙の愛のはかりしれない深さを自分がルシファーであったからこそ知り、その天への信頼が、恥ずかしいけれども再び「12次元ナディ」での学びに申し込む力をくれました。


前日夜に特別リリースを受けさせていただき(ありがとうございました!)、その後、エントリーメールを読ませていただきましたが、前回の分をちょっと読み始めて耐えられなくなって、PCを離れて「あぁ!」とこれまでの自分への嫌悪と恥ずかしさで頭を抱えました。でもそんなことをしていても仕方ないので、「自分への愛を常に持ち続けられるように、導いてください」と天使にお願いして、意を決して再びPCの前へ。


今回は、『「血」のなかにある、獣性の昇華』という言葉が実感として納得できました。激しい自己嫌悪と恥ずかしさは、私の中で「優れた自分でいたい」という獣性の欲がまだまだ健在であることを示しているわけですし。受け取れないということの人間性の理解についても、『かつてのあなた』というか「今のわたし」でして… 。


当日は、12次元の愛の深さを静けさとともに感じました。全ての存在を包む無条件の愛。どこまでもどこまでも降りてきてくれる愛。その愛を受け取った時、まず湧き起こってきたのは、自由の喜びでした。「何をしても許され、愛され続ける」ことの安心感。それゆえに初めて、自分を信頼する気持ちが生まれました。これが愛を受け取っている状態なのかな?と思いました。天から受けた無条件の愛を自分に送っているような。私は色々天と取り引きをしようと苦闘してきたけど、取り引きの必要なくいつだって愛されていることが深く感じられました。


翌日からは、ありのままの自分を愛することを本当に始めることにしました。エントリーの『行動の無い愛は、本当の愛ではありません。』を天から受け取った愛によって、まず自分に。それで凄く、私が習慣的にあるがままの自分・真実の感情を無視して、取り繕ったり、正論を自分に押しつけているのが分かりました。あるがままの自分はネガティブだし、弱いし、ズルいところもあるし、嫉妬もするし、短気だし…etc.かなりどうしようもないのですが、取り繕いたくなる衝動を抑えて、1つ1つただそれが自分だと受けとめていきました。そうしていると、自分の中に宇宙の混沌を感じ始めました。3次元の二元性、陰陽、ワンネスと分離、11次元の真実、12次元の燃える愛、全てが自分の中にあり、天使の顔も悪魔の顔もひょんなことで顔を出します。そして、ふと浮かんだインスピレーション。


自分を掘り下げていく。それがポーズではない時、必ず闇と光、双方向に進んでいる。闇と対峙する時、同時に光も目覚める。闇と対峙するのは光だから、闇を見ているつもりで、その時あなた自身は光になっている。闇を見る時苦しいのは、闇を見るのが苦しいんじゃなくて、光を受け入れることへの抵抗なんだ。暗闇に急に光が差したら、眩しくて、光が痛くて目を開けられないように、光は最初苦しく感じられるんだよ。だから、愛がなくてはだめなんだ。光だけでは拒否されてしまう。それがどんなに正しくて、真実でもね。光を受けとめるためには、闇への愛が必要なんだ。それが緩衝剤になる。一方的に押しつけられる光なんて、暴力みたいなもんだ。愛のない光は、傲慢なだけ。闇の傲慢さと光の傲慢さ、どっちもどっちだね。だから、己の闇を愛しなさい。そうすればどんどん光を受け入れられるから。


「そうか〜」と思いました。私は今までもあるがままの自分を見ようと試みていたつもりだったけど、あまり癒されなかったのは、愛がなかったからなんですね。光(叡智というか正論)で闇(あるがままの自分)を殴っていたようなものだったのです。嫌悪して、追いつめていただけでした。だから苦しくて、挫折してきました。でも今回、欲望の浄化が始まったおかげで、愛を少しずつ受け取ることができるようになり、あるがままであることの安心感が出てきています。ダメな自分にどんどん気づいていくのに、何やら自分を好きになっていっているような、不思議な現象が起こっています。まだ入り口って感じですが。


エゴが全ての苦しみの元なんだな〜と本当に分かりました。そして地上の天国とは、自分の内側に見出すものなのだということも分かりました。静けさと平和は、私があるがままの私を愛で受けとめるたびに、私の心の中に生まれていくもの。愛さえあれば、他には何もいらないし、愛さえあれば、全てを得られるのですね。愛を受け取って、愛を流して、地上で自由に思いっきり遊びたいです。少しずつ自分の自然なペースで、ですけど。


まだ私は自分の中に閉じこもりがちですが、自然界の豊かな愛に気づき始めています。もっと感じていきたいなと思ってます。そして、受け取りながらも受け取っていなかったので、今までのトランスミッションでの学びももう一度少しずつ復習してみようと思っています。

今回は本当に総まとめ的な学びでした。12次元に触れたことで(私は実は3回目です:汗)、天への怒りと地上への嫌悪の根本的な部分が解消されました。史衣さん、高次の存在、ご参加の方々、関わってくださった全ての方に助けられているのを感じました。本当にありがとうございました。


書いてくださったように「豊かさの女神トリニティ」によって、清き玉、高貴な玉となるということは、みなさんのエネルギーシステムから「(他者から)奪う」というエネルギーが抜かれるということでした。これが欲の浄化です。
本当に大切なことを書いてくださいました。ありがとうございます。

そして、欲の浄化ゆえに、「12次元ナディ」で愛の泉が付加される可能性が見出され、それがオーラのなかには、パールピンクのエネルギーとして輝きます。
苦しみを知らない純粋な愛ではなく、苦しみを知る故の純正な愛です。
この愛の在り方を知れば、「犠牲」と感じるものは、もはや自分のなかに見出すことができなくなります。


『「血」のなかにある、獣性の昇華』に触れられていたのは、今回大天使カマエルのチャネルだったからですね。
人間が、動物(霊)を、愛し導くことが可能になるのは、人間が、動物の長として、この『「血」のなかにある、獣性の昇華』を行うことによるのです。それによって動物たちの獣性も聖化するからです。
前回のときには、今はわからないと思うが、こころに止めておくように、と語られていたこの「血の浄化」の部分について、今回は、カマエルが、シンプルな語り口ながら深い内容を語ってくれたと思います。
これは、「豊かさのトリニティ」が、欲を浄化してくれたから、可能になった次のステップだったわけです。
獣性の浄化は、深く愛されていると実感することによって可能になります。
わたしたちは、その愛が当たり前ではなく、与えれているということが尊いものなのだと実感するために、苦しみを選ぶのかもしれません。



中ほどの、光と闇のくだりは、そのままサナト・クマラの言葉をチャネルしていただいたような感じですね。
いつもわたしが感じる、そして言われている言葉のクマラのエネルギーを感じます。
特別な光であると、ゆえに人よりも優れている存在であるという主張のエネルギーを発信することは、他者からエネルギーを奪う在り方なのです。自分で気付かなくても、常に周囲に賞賛を求めているからです。
ルシファーにとっては、愛よりも、賞賛が栄養なのですね、苦笑。


今回プライベートスクールで、少し深くお話させていただいて、それは衝撃だったし苦しかったと思います。
けれど、スクールでは、音を通して、他人のエネルギーシステムに関わるということを学びます。そのためには、しっかりと自分のエネルギーの在り方を確認しておかなければ、それはリスクを生みます。ゆえにどうしても必要なことなのです。
直後にいただいたメールにすぐにお返事できなかったのは、クマラが、「これはとてもセンシティブなことだから、励ますということを通しても、あなたのエネルギーを入れてはならない、彼女が自分で自分の力で出した答えを静かに祝福しよう」と言ったからでした。
12次元ナディで愛の泉のエネルギーを受け取ってくださり、乗り越えてくださったと感じて喜んでいるのは、わたしよりも、マスターサナト・クマラです。
ありがとうございました☆