≪サラスバティ(瀬織津姫)≫の感想です8

こんばんは。
遅くなりましたが、サラスバティ/瀬織津姫〜ヴィーナスファンデーションの感想です。

もうあっという間に2週間が経過しておりますが、サラスバティ/瀬織津姫のリリースを受け取らせていただきありがとうございます。
大きく分けると、9月8日は瀬織津姫のエネルギー、9月9日はサラスバティ(音楽の癒し)のエネルギーをそれぞれ強く感じました。


ガイダンスにあった「龍」のエネルギー。。
実はこれに関しては今年の春辺りから少しどう考えたらいいんだろう?
と思っていました。龍というか、動物霊じゃないですが、パワーアニマル的な存在に関してです。

東京国立近代美術館に原田直次郎という人の騎龍観音という絵があるんです。
ドラゴンライダーですね)
昔この絵を観に行ったとき、一緒に行った人になぜか「これあなただね」と言われたこともあって、気になる絵だったのです。

龍というものはエネルギーが強いですが、荒々しいエネルギーでもあるわけで、使おうとして使役できるものではないし、そうやって使おうとすればこちらが痛い目にあうようなものだと思うのです。

しかし、この原田直次郎の絵だと、載っている観音様は平静そのもので、そこだけ静寂に満たされているし、龍の行く先を見ているというわけでもなく、むしろ眼を閉じて自分の内面の中に入っている。

龍のような力につながった場合、そうした力を使役しないことで結果として流れに乗っている状態になることが理想なのではないかと感じたのです。

そして9月8日、丸善を歩いていたら、急に「狐笛のかなた」という小説に惹かれ、リリースの間はそれを読んでいました。
この小説は日本の古代〜中世を舞台にしていて、テーマは、まさに動物霊というか、龍や狐といった霊的な動物と、それを操る霊能者、そして呪者を使ってお互いに「水」をめぐる領土争いをしている2つの国の領主一族の呪いや恨みを巡るお話なのです。
霊狐という<この世>と<あの世>の間にある<あわい>に住んでいる動物霊と、偶然そうした存在と深くかかわる祭祀を行う一族の血を引く小夜という娘が主人公ですが、恨みにみちた人の世界にある意味で疲れてしまった娘は、お話の最後で狐の青年と一緒に<あわい>で生きていくことを選んで、人でも動物でもないものになることを選択するという、ハッピーエンドというには切ない終わり方をするお話です。


この小説を読んだ時、自分なりにある一つの答えが出たという感じがしました。
それは、自分に縁のある動物霊たちと共に生きていくという選択です。
ただし、私は人間として共に生きるという選択肢です。

もののけ姫の最初に出てくるタタリ神になってしまったオッコトヌシの例にあるように、人間によってすみかを奪われたり命を虐待された動物が怒りや恨みを持つということもあります。
そして、怒り狂う動物霊にとってはそうした道理?のようなことは通じないこともあります。

ですが、人が人として生きていくということは、もののけ姫のサンのようになることでもないし、小夜という娘のようになることでもない。動物たちと共生するということは、人間としての責任を持つ(愛を持って導くというか愛情を注ぐ)ということではないかと思ったわけです。それ以外にないというか、排除するのではなく一緒に上昇していくということしかないと。

9月8日はそれを誓うというか、自分にとって縁ある存在に対して宣言するという感じになりました。

9月9日は、それとは一転して、現代の人間界の話。
特に、負の循環、特に児童虐待の話が方々から舞い込んできました。
それまでも何かしたいとは考えていたことですが、はじめてそうした支援のNPO団体につながったり、動きがいくつかありました。

そこで感じたのは、「負のエネルギーを受け取ってしまった者が新たな加害者にならないためにはどうしたらいいか?自分はどうあるか?」ということです。

たとえば、自分がこれまで受け取ってきたものを当然だと思ってそのまま踏襲して下に流すのではなく、一つ一つ考えて吟味してみるということです。

その中には使い古された常識というのも含まれているように思いました。
特に組織の中に入ると、最初は違和感を感じていたことが当たり前になっていったり、自分が嫌だったことを、改善せずにそのまま次の人にも押し付けたりしがちです。自分自身もそういう部分があったなあと反省する点がありました。見て見ぬふりとか、「私も我慢してきたんだから」と正当化していたことなども沢山あるように思います。

でも、自分から新しい流れを創ることもできるわけです。
そのよい例として、実母からの虐待を受けて育ち、その後自立して今は一児の母となった同い年の女性の歌手の方の存在を9月9日に知りました。
とても綺麗な声の人で、歌がyoutubeにアップされていて、虐待を受けて育った人たちに癒しと勇気を与えているようでした。
サラスバティのエネルギーを感じる方でした。

この人のように自分が癒されていくことがそのまままた癒しであるという在り方は、本当に無理のない自然な癒しを周りに提供するのだと思いました。

・・・そして、なぜか、9月9日の日、知人が22日に富士山で中秋の名月の下で踊るという企画をしてくださったことを知り、行きたい!!と思って連絡したら、現地で車を出してくださるという話になり、とんとん拍子に22日・23日と富士山への旅が決まりました。

それで改めて感じたのは、私は旅好きなんだなという自分の性格です。
8月は大きな仕事があったので、ちょっと気を抜けない感じで外に行っていなかったのですが、ようやく旅だ〜〜と嬉しい気持ちになりました。
その嬉しい気持ちを味わいつつ改めて感じたのは、自分なりのアバンダンスがやってこなければ意味がないし、他の人にとってアバンダンスなことも自分にとっては苦しいだけになるかもしれないのです。

たとえば私は時間を拘束されることがあまり好きではないから、今の会社のように休みを自由に取れて残業を強要されない風土はとても合っているなと思います。

また、味道楽ではないのでグルメやパーティーで歓待されてもあまり嬉しくなかったりします。食べ物にはお金はあまりかけなくていいと思っているみたいです。

改めて真の豊かさというのはあれもこれもとオーバーアバンダンスで消化不良になっている状態ではなく、うまく自分なりの豊かさのポイントを把握できている状態のことだなあと感じました。


さて、22日に富士山に着いたら、夕日を受けてピンク色に染まる富士山の右裾野から昇る月がお出迎え!!でした。

さらに宿泊施設も、まだ出来たばかりのきれいなところで、ツインルームを追加料金なしでひとりで悠々使えたり、参加者のひとりが持ってきたおいしいハーブティーが飲み放題だったり、月見団子やお菓子も誰かが買ってきてくれて、いつの間にかとってもアバンダンスな展開になってきました。
さらに21時〜のヴィーナスファンデーションの時間、富士山の見える草原(というほどでもないですが)で、月の光だけを浴びて皆で踊ることができました。

皆で踊っていると月にかかっていた雲がさ〜〜〜っと引き、終わるとまた雲がさ〜〜〜
とかかるという感じで、月の光が味方してくれているというか、自然界が最高のロケーションと最高のセッティングを贈ってくれた感じでした。

その後も夜23時くらいまで皆でお月見をしながら、話をして楽しい時間を過ごせました。
どれだけお金があっても一緒に踊ったりする人を集めることもできないし、天気に恵まれなければこういう楽しい思い出もないのです。そういうわけで、まさにお金では買えない様々な恵みを受け取りました。

さらに・・・この富士山の施設では、主に地元の人がお世話をしているつくり中のハーブガーデンがあるそうで、今回の催しを機にその活動に携わっている人と知り合いになったのですが、「よかったら一緒にハーブガーデン育てませんか?」という勧誘まできました。

そう、私の夢のひとつがハーブガーデンというか自分だけの庭が欲しい!!という野望だったのですが、それが形を変えて突然目の前にぽんと現れたようでびっくりしました。

また、私がそういうハーブガーデンのプロジェクトに携わって地元にお金が還元されることは、地元の人にとってもよいことだそうです。

考えてみると都会にお金が集中しがちなのが日本の実情です。
今後、都会と地方が経済的にも人的にもうまく交流しあっていければいいなと感じていた矢先のことだったので、それに自分もコミットメントするということなんだな〜と思いました。

私がかつて願っていた自分「だけ」の庭ではありませんが、そういう庭に固執していたのは私の思い込みであって、よく考えてみると、今のところ都会暮らしの私には庭をひとりで育てられるはずもなく、これは願ってもないお話だと感じました。

そんなこんなで、今後の展開が楽しみな楽しい仲秋の名月を過ごさせていただきました。


そして23日、朝霧高原の近くに人穴という富士山の溶岩が固まってできた洞窟があるので、知人が車を出してくれてそこに行ってきました。
なんとこの人穴、一説によると江の島につながっていると言うではないですか 笑
あ〜なんかやっぱり来るってことになっていたのかな?と思い現地に向かいました。
23日は雨が降っていましたが、人穴に着いたときは雨がすっと止んでいました。

洞窟って怖い!と思って正直ドキドキしていましたが、人穴の前に立ったら、ふわ〜〜と水の冷気というか霊気というか、悪くない感じのエネルギーが奥の方から吹いてきました。
瀬織津姫?というか、富士山の女神たちのエネルギーが感じられました。江の島から吹いてきた風でしょうか 笑
受け取りました!となぜか感じていました。

その後、富士宮浅間神社で湧玉池のお水を頂いたり、富士山の湧水のスポットをいくつか回ったりして、すっかりお水に癒されてきました。
それと、雨は降っていたのですが、不思議と行こうとしている場所では雨が止んでくれたりしてそれもまたラッキーでした。

この2日間を振り返ってみると、良い循環をつくるということに対するコミットメントと、今既に持っているアバンダンスの確認が求められていたような気がします。

今起業準備中ということもあって高額のお金が動いたり、折衝に関わって気を揉むことも多いのですが、不思議と平常心になってきています。
本当に豊かになる人というのは目先の損失に惑わされずに大局的に物事を見ている人なのだろうと感じます。騎龍観音の平常心です。

どうもありがとうございました!



22日富士山に行ってから、レポート出した方がよさそうなのでとおっしゃっていたように、充実の旅そして、充実のレポートですね♪

江の島との洞窟のくだりは、このときの部分との関連ですね。
http://d.hatena.ne.jp/birth-of-venus/20100916/1284643706
9日の女神学校には、このときの龍脈のエネルギーも加えてもらいましたので、繋げていただいたのですね、感謝です☆
そういえば、○○さんは、以前からもあちこちに精霊に呼ばれて旅行されていましたよね。
そのことは、全内的統合ワークでもフォローさせていただきましたが、あのときよりも一歩進んだ決意をされていて本当に素晴らしいなと感じております。

龍のエネルギーは、こちらの器や欲をよく見ていると感じます。
だからこそ、清き気高き玉であろうとするこちら側の意志が重要になってくると感じます。ドラゴンライダーですね♪ 

起業の準備も頑張ってくださいね!
楽しみにしております☆