≪サラスバティ(瀬織津姫)≫の感想です2

「豊かさの女神トリニティー」の終了とともに、夏が終わろうとしていますね〜。女神達のサポートがなかったら、変化の波に呑まれて自分を見失って いたかもしれません。


この夏は、ほとんど毎日「聖母マリアの剣」のエネルギーを呼び出してました。自分のネガティブマインドに圧倒されそうだった ので、外側へ投影する前に内側で昇華させる強さが育つように祈りをこめて…というか、女神に縋ってというか(笑)。


前回の≪ハトホル≫で、今すぐ流せるものを流し始める、ということで、私は「完全なる信頼」とか言っちゃいましたが、私が今きちんと≪アルテミス ≫的に集中すれば流せるもの(自分の心に維持できるもの)は、「平和な感覚」「あるがままであることの静けさ」かな〜と後で思いました。でもそう 思ったら、エゴが騒ぎ始めました。


「あぁ、何て弱々しく、力がない、情けない人間なんだろう。そんなはずはない。私はもっとできる人間のはずだ」 と惑わすのです。

でもそれに惑わされず、誘惑に負けず、内なる平和の中で愛の癒しを受けとり続け、怪我をした野生動物のようにじっと時が満ちるの を待とうと思いつつ、アップダウンの激しい日々を過ごしていました。≪サラスバティ≫開催告知のシャンティフレア通信で、『太陽のエネルギーで、 わたしたちの感情が変容するための勇気を準備しているそうです。火のエネルギーで。』に、何かがカチリと合わさった気がしました。


変わる「勇 気」。怖い怖いと繰り返していても、私は救われない。幻想に惑わされず、真の聖域に集中する勇気を出そうと思いました。


というわけで、先日は「金星の女神学校」≪サラスバティ(瀬織津姫)≫に参加させていただきまして、ありがとうございました。

エントリーメールを 読んで、サラスバティ、瀬織津姫、弁財天の3女神、どの女神も自分にはとても必要な感じがして、2日間をどう過ごそうか迷った末に、「全てお任 せ」で臨みました。


終わってみると、大まかにいって1日目に瀬織津姫が本質的なもの以外の余計なものを流して清めてくれて、2日目にサラスバティ が問題の本質の癒しを与えてくれた…ような気がします。

1日目のインスピレーション。

☆お金に関しては、いまだによく分かりません。清貧の意識が強いです☆

「苦労してお金を得る必要がある」という考えは、間違った刷り込みだ。「働かざる者食うべからず」地球はそんなこと一言も言わず、豊かな実りをさ しだしている。「与えすぎ」の状態でお金を得ることが普通もしくは正しくて、その感覚から少しズレた形で多めにお金を得ると、「こんなにいただけ ません」と罪悪感を覚える。誰に刷り込まれたのか?何故、お金にそんなにも仕えなければならないのか?
例えば、体を売ってそれなりの金額を得る。しかし、自尊心の値段はそんなもので足りるのか?「代価」という考えが全てを狂わせる。この世に存在す るどんなものにも値段をつけることはできない。正しい値段はない。だから高い低いもない。そういう意味では、全てが間違った価格だといえる。ではどうやってお金に関わっていくか?「自分がその価格をどう感じるか」それしかない。善悪も正邪もない。内側に聞く。そしてその声に従う。迷い があるうちは、探求が足りない。お金に使われず、お金を自分の流儀で使う。それが必要。貨幣経済に呑み込まれたくなければ、貨幣経済をマスターす る。感情と同
じ。溺れず、支配されず、マスターになる。マスターした上で関係を断つのと違い、毛嫌いして逃げ回っているのは、支配されているのと 同じ。地上のサバイバルも同じ。支配されずに遊ぶこと。


奉仕とは、どう生きたか、どんなエネルギーを創造したかという全体的な姿で語られる。
「地上世界(全体)にとって、どんな存在であったか?」
喜びを多く感じた(流した・生じさせた)存在か。
悲しみを多く感じた(流した・生じさせた)存在か。
苦しみを多く感じた(流した・生じさせた)存在か。
愛を多く感じた(流した・生じさせた)存在か。
現実を作っているのはあなたで、どの現実を体験するかによって、様々なエネルギーを周囲に発して(流して)いる。自分を苦しめることは、結果とし て全体を苦しめる。個性化された魂として、地上に生きる機会を得た全ての魂は、だからこそ自分を幸せにする責任を持つ。自分を不幸にするというの は、自分だけの問題ではなく、全体への行為なのだ。


これからの人生、どう生きていくのか、真剣に考えよ。傷を受け、癒しを求め、学びを得た。
そして今、どうするのか?真実を生きるのか、幻想の中に 逃げ続けるのか?


真実を生きると決意したからといって、完璧さを求めて焦る必要はない。コミットし続け、決して歩みをとめないこと。そうすれば、必ず天が助ける。 あてにしていて良い。今は行動の時。思い浮かぶ事、今自分ができる事を1つずつこなしていけば、次のステップが示される。余計な事に気をそがず進 んでいけば、喜びに出会える。信じて進め。立ち止まっていれば、今見ている景色以上のものは見えない。景色を変えたかったら、進み続ける。やるべ きことをやっていれば、必ず変化は起きる。豊かさを受けては流す「高貴な玉」であること、≪アバンダンティア≫であることを決して忘れないこと。 その意識でいれば、現実は後からついてくる。


☆ずっと長いこと苦しみを感じているストレス的状況がありますが、これは何を意味しているのでしょうか?☆


今までの探求でもう解消されている。聖域への集中。惑わされずに集中すること。必ず出来る。幸せなエネルギーとして存在できる。幸せになることが 奉仕。その時その時の自然な感情をねじ伏せたり、無理に整えようとする必要はない。愛せない人を無理に愛そうとする必要はない。相手から意識をそらす。 別のことに集中し、別のエネルギーを生み出す。自分を本気で幸せにする努力を始めることが重要。純化された清いエネルギーを流すか、それとも純化 されないままの感情エネルギー・闇を流し続けるかの選択。


かといって、誤解しないでほしい。自然発生するものは全て尊いのだ。「真実」だから。「真実」を歪めてはいけない。たとえネガティブな感情であっ ても、まずは受けとめて、理由を探り、そして「流していく」ことが重要。執着しない。いつまでも分析する(執着)必要はない。執着している限り、 理由が解消・解放されない。自分を信じて流す。何度浮かんできても何度でも流す。それが愛。それが許すこと。受容すること。許し続けると決めること。そうすれば魂はリラック スする。真の光を発揮しやすくなる。失敗を怖れず挑戦する勇気が生まれる。怒りも怖れも不安も苦しみも、恥じることはない。「真実」を恥じること はない。それはあなたの本質を汚すものではない。大切なのは原因、そして流すこと。


2日目のインスピレーション。

今すぐ幸福になることもできる。努力は必要ない。あるがまま、そのままでどれだけ自分が深く激しく強く愛されているかを感じることができれば、今 すぐ最高に幸せになれる。最高の父のように、最高の母のように、最高の兄のように、最高の姉のように、最高の弟のように、最高の妹のように。最高 の恋人のように、最高の友のように、宇宙はあなたを愛している。それが感じとれるかな?


☆目を閉じて、ほんの少し想像してみました。押し寄せる愛、あふれかえる波のように豊かな愛を感じました。つまり「全てが愛」か…と思いました が、それを打ち消すようにそうは思えない現実生活が浮かんで、反発するように嫌な気持ちになりました☆


事象のヴェールの裏には豊かな愛があふれかえっている。それが事象の中に現れることを許可していない人が多いから、今の現実社会がある。

☆ヴェールの向こうに私の想定内に収まらない世界。私の理解を遙かに超えた世界があるのだとしても、どうすればヴェールの向こうの世界を感じて生 きていけるのだろう?☆

天を信頼し、もっと天を頼る。

☆どう頼ればいいのだろう?☆

力を抜く。一切心配しなくて良い(感情を消すという意味ではなく、不安を感じたら、天への信頼で晴らす)。全てうまくゆくと思っていて良い。それ は自分の想像を超えた結果として現れると思っていて良い。天はその信頼に応える。そして癒されて、流し始めてほしい。


祝福に心を開いてほしい。心を閉じたくなることが起こっても、天の愛へ心を開き続けてほしい。必ず祝福はもたらされる。あなたがそれを感じる準備 ができた時に、現実も変わる。だから感じてほしい。宇宙がどれだけあなたを愛しているか、面倒くさがらずに、疑わずに、斜に構えずに、素直になっ てほしい。バカにしないで、愛を感じ続けてほしい。それが真実だから。幻想の方に焦点を向けず、真実に集中し続けてほしい。愛されていることを常 に片時も忘れずに感じ続けてほしい。何が起こっても愛している。それだけは変わらない。
意識を地上のみに向けずに、宇宙へ。あなたを幸せにする愛は地上のみに存在するものではない。それは思い込みなのだ。多次元に意識を拡張して、常 に生きる。そうすればに愛を感じ続けられる。その愛は、あなたを力づけ励まし成長させる。この愛を拒否するのをもうやめてほしい。愛されている 真実に背を向けないで。いつ、いかなる時も愛されている。今、あなたの目の前で何が起こっても、何をされても、それはあなたを取り巻く世界、あな たの魂が生きている世界のほんの一部に過ぎない。3次元はほんの一部に過ぎない。そのことを思い出すために、愛されていることを感じ続ける勇気を 出してほしい。今あなたは3次元が全てだという認識に基づいて生きている。しかしそれは真実ではない。そのことを心に留めて、探求していってほし い。最初の鍵は「愛されている」という真実を真剣に本当に受け入れること。


3次元の事象は鏡だが、今のままではあなたは絶対に真実を見ることはない。今はまだ真実の1/9999ぐらいしか、あなたは認識していない。あな たの意識が多次元に開いていき、真実へ近づいてゆく時、3次元に現れている多次元の真実を見出すことができるようになる。そうすれば同じ事象を見 ても、全く違うことを読み取るようになる。今はまだ3次元に現れた真実の1/9999しか見ていないということ。このことを謙虚に受けとめ、また 同時にそれゆえに安心してほしい。9998/9999の部分は全て燃えるような愛だから。その事に気づき、その愛に浸り、その愛、9998 /9999の方に認識を移した時、1/9999の今の現実もまた愛だと何のためらいも無理もなく思えるようになっている。「愛されている」という真実が、全ての探求の過程であなたを真実の光へ導く道標、決して狂うことのないコンパスになる。だから決して手放さないで ほしい。


翌朝、私がこれまで考えいた「地上の天国」は全て、私のエゴが作り上げた理想の世界だったのかもしれないと思いました。偽りの聖域です。そうでは なく、あるがまま、今の世界のまま、ここが天国だと目覚める意識。「7次元8次元合同ナディ」の時のマスターマハ・コハンのガイダンスが突如頭に 甦って、グルグルし始めました。「認識」の問題。全てはそこにある…?


私も全ての人もこの世界も、今のままで良い。変える必要はない。全ては完全である。「今ここ」の瞬間、あらゆるものがあるがままで良いのだとした ら、変えるべきは、そうとは思えない「私の意識」の方だということになる。鍵は、私の意識…?


その日の夕方、電車に揺られてボーッとしていたら、急に「あ、そうか」と分かったことがありました。私は今まで行為・行動・体験に、3次元に現れ る事象に、意識の全てを奪われていました。でも違う。問題はそこにはなかったのです。3次元の喜怒哀楽、途切れることなく次々と起こる日々の出来 事。私の人生。私はそこに真実を、自己の価値を見出そうとして、生きてきました。喜と楽を多く体験できるようになることが、苦しみから解放される 道だと信じて。。。少し前、「虫のように生きる」というフレーズを聞きました。虫のように反射で生きて、同じことの繰り返しで生きていることをそ う表現していました。私はまさに3次元の鋳型の中で、喜怒哀楽の単純反応を繰り返し、虫のよう
に生きてきました。もし今の私が、9次元の浄化を受 け、11次元に生きることになったら、同じように11次元の鋳型の中で天国を謳歌し、虫のように生きることでしょう。12次元への上昇など全く思 い浮かべることなく、現状(天国)に溺れ、それを疑問にも思わないでしょう。


つまり現在も過去も未来も、目の前で起こっていることなど、本質的にはどうでもいいのです。どんなにネガティブなことが起こっても、ポジティブな ことが起こっても、それが全てだと思ってしまうと魂の真実から遠ざかってしまう。地上の事象は全てゲームの結果。良い結果が出なかったとしたら、 ただゲームのプレイが下手だっただけ。そんな事象よりも意識の方が先であり本質であり、意識が幸せを感じなければ、幸せになれない。意識が感じる 幸せ…?


月の女神学校で、植物は『大いなる母性の存在に等しく愛されているという意識』にあると語られていました。人間が植物のように意識を真実に共振し 続けて在るためには、地上で様々な感情を感じつつ、同時に大いなる母性に愛されている意識に達する必要があります。注意を向けるべきは、周りで起 こっている事象ではなく、内なる意識の開拓であり、開拓された意識で生きることが、新しいシフトの中を生きることになるのだなと思いつつ、いまい ち踏み込めないでいましたが、週末になって、ふと「今すぐ幸せ(な意識)になって良いんだよな…」と思ったら、インスピレーションが浮かびました。


何をためらっているのか?我慢しているのか?幸せになることをブロックしているもの(3次元的価値観で考えた「幸せ」の条件)は幻想なのだから、 それを飛び越えて、真実の中に生き始めても良いのだ。何が足りないのだ?まだ何が足りないと思っているのだ?今すぐ幸せになっては、何故いけない のだ?愛されているのに、全てはあるがままで完全なのに、まだ何が足りないというのか?幸せになりたいと望むなら、今すぐ幸せになりなさい。あなたの小 宇宙は、あなたがその決定を下すのを待っている。

それで、思ったのです。
私は「完全なる信頼」として、他者の中に何らかの光を見出し、それ故に信頼するという道筋を作っていました。しかしそれでは、うまく見出せない時 には信頼できないし、見出そうという行為自体がジャッジする行為です。そうではなくて、そのままで、いついかなる時でも完全なのだと、ただ受け入 れる。それが「完全なる信頼」なのだなと。他者を通した宇宙への信頼です。そして現時点の私にとって、その信頼が意味するのは、他者の旅に立ち入 る必要がなくなることによる他者からの解放でした(他者への執着というエゴの手放し)。そして自分の旅に集中する。自分の意識を高めることで、全 体に貢献する、ということ。


そして「完全なる信頼」を自分に対して向けてみました。今まで何をしてきたとしても、これから何が起ころうとも、何をしでかしてしまおうとも、そ れは足りない故に起こるのではなく、そのままで完全であることに変わりはない。そしてただ、成長する道を選ぶが、停滞するか、後退するか、の選択 があるのだということ。成長したい気持ちと自己嫌悪を混同しないで切り離すことがやっとできた気がします。「あるがままで完全」ということと、 『自然は、自然のままで良いということではなく、また高い神の意識によって、高められる必要があるということ(11次元ナディ)』がどう共存する のか、どうしても理解できなかったのですが、わかりかけてきました。


今まで3次元で起こった事象が、『それは、わたしたちの不動の豊かさと高貴さと、愛を確認するための、流れに過ぎない。(史衣さんの記事)』であ ることが、わかってきました。まさかこんな気持ちになるなんて!!「豊かさの女神トリニティ」は、私を全く新しい意識に開かせてくれました。まだ まだ入り口であり、この道を進む鍵は宇宙から「愛されている」という真実と、マスター マハ・コハンが語られていたターコイズ(無意識の海)を探 求する『あなたが、あなたを愛する力』ですね。全てはこれからです。

今回も素晴らしい機会をありがとうございました!女神、マスター、史衣さん、ご参加の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。ありがとうございました!



○○○さんも、本当に前進されてきているし、変化されてきていますよね。
素晴らしいと思います☆

それで、ひとつだけ、大切なこと、≪アバンダンティア≫であるためには、奉仕すること流す内容が、今の自分で十分にできることであるというのが重要です。
今の自分から成長したら、出来るようになる奉仕では、「今すぐに」豊かさの循環に入ることができませんから。
今の自分に出来ることでなく、これからの自分に出来ることにどうしても標準をあわせるとそれは、今の自分を否定していることになる、今の自分にできることでいいのです♪
今すぐに≪アバンダンティア≫を誕生させてください、そして成長は、豊かに受け取るからこそ、易く可能になるのです。
ほら、クマラの「立派でなくていいんだよ!」のリコメンドです♪
大切なことなので、補足させていただきました。
(ヒントは、≪ハトホル≫エントリーメールのなかに書かせていただいているので、そちらご覧くださいね♪)


それから、これはみなさんへのお願いなのですが、こちらのはてなダイアリーは、改行を修正する必要があって、毎回修正がちょっと大変なのです。変なところで改行にならないように気をつけて修正しているのですが、長い文章だと少し大変なのです。
ですので、おそらく一度文章としてワープロで下書きされていらっしゃるかたは、出来れば段落ごとに、改行をしないべた打ちで出していただけると大変助かります。
修正の手間がグンと省けますので。
もし、可能なかたは、ご協力お願いいたします☆