金星の女神学校≪アバンダンティア≫の感想です3

先日は金星の女神学校<アバンダンティア>に参加させてただき、どうもありがとうございました。


ちょうど自分の中でも "豊かさ" に対しての認識について考えることが浮上してきていたので、どのようなワークになるのかな・・と思っていましたが、実際はこのところの疲れも重なってか、途中で睡魔に襲われ深く眠ってしまいました(苦笑)。


多分、わたしの中に根付かせてしまった「豊かさ」というものの認識を改めるには眠る事が必要な状態だったのだろうと感じています。


というのも、ここ数ヶ月の間に身の回りで起こった金銭的な出来事を通してその出来事は自分の中に(潜在意識の部分に)
「私は豊かになってはいけない(豊かさに値しない)」 というものがあり、それが引き金になっていることをおぼろげながら気付きはじめていたからです。


学校が始まる時間前後から既にものすごいエネルギーに圧倒されそうでした。


私の感じたそのエネルギーは<クァン・イン>の溢れんばかりの慈愛でした。


「受け取ろう」とか考える余地もないくらい(笑)押し寄せるというよりも自分自身の全てがそのエネルギーになってしまっている感じです。


ガイダンスメールをゆっくり読む隙(余裕)もなく、そのエネルギーと共に眠りに落ちてしまったのですが、その時感じたのは
「いついかなる時も、豊かさはあまねく降り注がれているにも関らず
 私はただそれを受け取ろうとしなかった、受け取る事を拒んでいただけなんだ」
ということでした。


自分が内面ではなく、現実の生活において豊かになることに負い目を感じている、怖れを抱いている事をその中で感じていました。


ここ1ヶ月くらい、暑さと疲れでとても体調が悪いのですが、それで思い起こす事があります。10年以上前に心身共に衰弱し入院していたときのことです(今身体においてはそれに近い体調なので・・)。


その頃はそういう(仕事も何もできない)自分に「こんな状態で生きていて何の意味があるのだろう」 とか 「わたしはこうして苦痛を味わい続けるに値する(心身豊かになってはいけない)人間なんだ」 と毎日思っていました。


今、その頃を思い出すような体調になって感じる事は、そのときに抱いた諸々の怖れを1つずつ感じながら癒す時なのかもしれないということです。


そして先日、久しぶりに虹をみたときに思い出した事もありました。
先日見たときもそうだったのですが、数年前、友人と旅行していたときに見た大きな虹。。


ちょうど昼食か何かをとるためにレストランの中にいたのですが、窓越しの向こうの空に虹を見つけ、はしゃいでいました。

「見て見て、綺麗だね〜」 と皆で喜んでみていると、虹はどんどん濃く、大きな円を描いていきます。
「ほら、濃くなった!」 と見ていると更に美しくなっていきます。
食事が来て、私たちが自分達のおしゃべりや食事に意識を向け始め、ふと窓の向こうを見ると虹は薄くなっています。
「あぁ・・消えてきちゃったね・・」 と、また皆で虹に視線を向け話していると、なんと!
また虹は濃く、大きな円を描き出すのです。


先日見た虹もそうでした。


自然の豊かさを喜んで受け取る時、それは自然にも豊かさとして還っていく・・・。 それを感じた瞬間でした。


そして、私が今の状況を通して見つめる事を促されているのはこのことなんだなぁ、と感じています。
掴んできてしまったものを充分消化して放す。。。それはやはり、宇宙に対して、自分に対しての信頼と愛なのですね。


受け取ろうと欲を出さなくても、今掴んでいるものを放すことで降り注ぐ豊かさに更に気付き、喜びを分かち合うことができることを教えていただいたような気がします。


なかなかレポートが書けなくて遅くなってしまいましたが、今回はこれ以上のことはまだ書けない(消化できていない)ようです。


いつも皆さんの学びのレポートを読ませていただきながら新たに認識することもあり、とても感謝しています。


今回も史衣さんをはじめ、この学びをサポートしてくださった全ての高次の存在、そして皆さんに心から感謝いたします。


どうもありがとうございました。