第10回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiiiiii(日蝕新月9次元11次元特別合同)

遅くなりましたが、9次元11次元合同ナディ感想です。


当日の夕方はとても風が強く、梅雨明け直前ということもあって何か色んなものが空を動いているという感じでした。
美しい夕日だったので、ゆっくりと空を見上げながら帰宅する途中、空一面に広がる天使の羽を見ました。
ピンク色の大きな羽で、それを見たとき、なんだかとても安心し、楽しいリラックスした気分になりました。


そして、深いレベルで落ち着いたような感覚がありました。


ナディ開始のときには、相当リラックスしていたのか、始まって早々に寝てしまったのですが、そのとき、ここ数カ月間の色々な体験を振り返ってみました。


「どうせ失敗する」「もうすべて投げ捨てたい」という思いにとらわれ、勝手に最悪シミュレーションを頭の中で繰り広げていたこと=地獄体験でした。
それは、各方面(周りの人や、高次元)への信頼のまったくないない状態でひとりで悲壮感たっぷりに孤軍奮闘していると思っていたときのことでした。


今ここ(三次元)にいながらにして天国にいるかのように在ることは可能。
そのため(地獄体験という悪夢から目覚める)に必要なこととして、ウリエルが語ってくれた3つのキーポイントを改めて読み直したところ・・・、
・真剣さ
・決意
・自分を信頼すること
すべての要素が、最悪シミュレーションを繰り広げている最中には欠けていました 笑



そこで改めて気づいたのは、私の中にある根深いパターンです。
天国に還る=地球を捨てる
という図式。
つまり、天国と地球は相反するものととらえているわけです。
だから、いつも地球で地獄を体験してきたともいえるのでした。
私にとって、「地上の天国」という言葉は、それ自体がもうすでにオキシモロンであったようです。


それと、天界の音楽ってなんだろう〜?と思っていたのですが、その日を挟んで数回、「ライアー」という竪琴のような楽器のことが気になってきました。


この楽器は、誰かに演奏して聞かせるためというよりは、自分だけが聞くためにで抱っこして抱えるようにして弾くもので、音もそれほど遠くまで響くものではないのです。ちょうど、心臓の辺りに抱えて弾くそうです。


天界の音楽は、外側からは聞こえてこない。
自分の内側に響いてくるもの。
人はだれもが心の中に音を持っている。
「琴線」というのは、その人がハートの中に持っている音。
それが聞こえるときが、真にリラックスしている状態。


なにか特殊な周波数とか、特別に高価な楽器とか、そういうものがあるから、こういう状態になれるわけではないようです。


それと、11次元を受けたときに気になって買った須賀敦子さんの「こうちゃん」の中に、地獄を天国にかえてしまう幼子マジックを思わせる描写が載っていました。


「いつものように、仕事に行こうとして 私はバスにのりました。朝のそんな時間、しかも きょうのように 何日も降りやまない雨の朝のバスの中の空気は、だれでもよくしっているとおもいます。そんな日はたしかに、じぶんのことが とてつもなく大せつにおもえてきたりして、つらいような とんがったような気もちになり くだらぬことが しゃくにさわったりしてしまうものです。


けさも、全くそのとおりでした。ぬれたボルゲーゼ公園の、早春のみどりにつつまれた停留所から、まわりの雑木や芝草とおなじくらいずぶぬれの 真赤な雨合羽をきたこうちゃんが ひとりっぽつんと乗ってくるまでは―。


とたんに みんな なんとなく 安心したような ほっとしたようなきもちになりました。けれど、ゆれてはしってゆくバスのまんなかに ただ 赤い花びらのように だまって乗っていた こうちゃんは、ほんの小さな こどもなのです。」


こうちゃんという幼子のエネルギーが、地獄になりかけていた狭いバスの中を天国に変えてしまうのです。


でも、地獄を味わいつくして、その後でもう一度子どものように、幼子のように在ることと、地獄を知らないままで子どもであることは、全然違うものなのだなと思います。


目覚めた子ども時代は至福です。


という大好きな言葉があるのですが、その意味が改めて分かったように思います。


目覚めるためには、眠りこみ、悪夢を見る体験が必要でした。
そして、そこから目覚めた後は、夢を見る前とはまったく違う次元で物事を見ているということです。

ここ三次元を天国にするのも地獄にするのも自分次第なのだと改めて感じられるようになりました。

ありがとうございました!