くもの糸って、光の糸だったんだろうか?


昨日から天王星が、また逆行を始めたせいで、落ち込んだり気持ちが揺らされている人も多いかと思いますが、今はそういうとき、その中から新しい自分のアイデンティティを新たに構築してゆくときだと思ってくださいね!
今は、揺れている自分、自己嫌悪(を感じてしまうこと)なんかも前向きに考えてください。



そして、今日は、七夕ですね〜☆
お誕生日のかたもいらっしゃいますね。おめでとうございます♡



揺らされている中で、「自分は、(本当のところ)どういう自分になりたいのだろう?」
今は、それを掴むときです。揺れているなかで掴んだもの。
それが今後の歩みの基礎になってゆくからです。




今日ウェブニュースで、同級生を傷つけてしまった女子高生のコメントのようなものを読みました。
「(相手の生徒は)友達が多く、自分にないものがあってうらやましかった」
「私は会話がうまく続かない。(相手の生徒は)活発であこがれてもいた」




特に思春期の時代、こういう思いの種が育ちますね。きっと誰でもそうなのだと思います。
活発な子も活発で無い子も、お互いに鏡なのだけれど、この時期は、本当に接点がないような別世界にいるような感覚に陥る時期なのだと思います。
狭い同じ教室のなかに、同じ制服を着ている時間が長いから余計なのでしょう。
(だからといって、それが悪いことというわけではありませんよ、そういう問題に向き合わなければならない、そして乗り越えなければならない年代というのもきっと必要なのです。)
目立っている子だって、何かをきっかけにして周囲の嫉妬心が昂じれば、逆の立場になってしまうし、目立っている子は、そうでない子よりもそれはそれは周囲に気を遣っていたりするのです。

ちゃんと話してみれば、お互いに悩んでいることがわかるのだけれど、そういうことができるには、またそのことを認めるには、まだまだ子供の時期。
そして、この時期の未解決な問題は、心の奥底にしまいこまれたまま、機能しつづける。
これらは、金星の問題です。




夏至の7次元8次元合同のナディでみなさん学ばれたと思いますが、「上昇するためには、自分を、自分という個性を愛すること」というのが、マハ・コハンから語られていましたね〜。
でも、難しい、自分が嫌い。
これも根深いのも事実。



活発で快活な子より、そうでない目立たない自分を発揮できていない子のほうが、自分を受け入れ愛するのが難しい、これもまた事実です。


でも、ここでちょっと考えて欲しいのです。



この事件の女子高生は、そのフラストレーションから自分をコントロール出来なくて、相手を刺してしまいました。けれども、自分のやり場のない怒りを相手を傷つけることに転嫁させても、自分が本当に救われることなんてありません。むしろそれでスッキリしてしまって、相手を傷つけることに解決を求めることに依存が始まるとその行為は残酷にエスカレートしてゆくだけです。
暴力の質とは、そういうものだからです。


この女子高生は、自分を、ありのままの地味な自分をまず受け入れることから始めなければならない、それに加えて、今回の事件の自分の行動を許すということを学んでゆかなければいけません。これは、簡単なことではない。
この女子高生をサポート出来る人がいるとしたら、どんな人でしょう?


それは、この女子高生が憧れている活発な人たちに自分を理解してもらい、配慮と愛をもらうことでは実はないのです。
自分と同じ、活発でないことにコンプレックスを持って苦しんだ人、そしてそれを乗り越えて自分を愛することを学んで幸せになっている人が、この女子高生を真にサポートできるのです。


もし、自分を嫌いなあなたが、この女子高生のような思いを抱えているのなら、自分を好きになって愛して、受け入れて、幸せになることは(上昇する)、たとえ直接係わらなくても、この女子高生をサポートすることになるのです。そういう大人がこの女子高生の周囲にたくさんいたら、この女子高生もきっと立ち直れると思う。
この世にそういう大人がたくさんいたら....。


そう考えれば、愛せないと思う特長を持つ自分の欠点を、なぜ持って生まれ、それを愛することを困難を感じながらも自分がなせそれを選んだか、その答えが少し見えてくるような気がしませんか?
それは、実はワンネスの8次元で、あなたが意図していること。
その次元まで上昇して見えてくること、そんな気がします。






子供のころ、「くもの糸」という芥川龍之介作の絵本を読みました。
ひいおばあちゃんが生きていたころだから、幼稚園だったか、小学校1年生のころだったと思います。
詳細の記憶がもう定かではないのですが、地獄に落ちたカンダダという男が、血の池や、針の山やで苦しんでいる地獄から上を見上げて、ここから出して欲しいと望んでいるのを見た確か観音様が、一本の細いくもの糸をカンダダの上に降ろしてくるという話でした。
けど、所詮くもの糸、それを伝って天国に昇ろうとしても、他の地獄に苦しんでいる人も我も我もとつたってくるうちに、糸が切れてしまうことを恐れたカンダダが、他の人に糸を離せと言い放ったところで、糸は無残にも切れてしまい、みんなまた地獄にまっさかさまという物語で、幼い子供が読むには恐ろしく、そして夢でうなされる内容でした(なんでこんな絵本があるんだ!と思いましたよ、笑)。


わたしも夢に見ちゃうし、じゃあどうすればいいんだろうと、子供ながらに真剣にず〜っと考えました。
そのときにひいおばあちゃんに相談しようかと思ったんですよね。
でも、なぜか、これは相談しても解決しないと思ってやめたのです。


だいたい、この観音様という人(人じゃありませんね)は、本当に助ける気が無いんじゃないかと思って、かなり酷い人だと思いましたね、嫌いだなと思いました。
そのときにすでに高次の存在に対して、幻滅して信頼を失ったのかもしれません。
だって、本当に助ける気があるなら、もっと丈夫な綱を降ろしてくるはずじゃありませんか?と子供のわたしは思ったわけです。
そのわたしが、≪観音≫のエネルギーの金星の女神学校とかやっているのですから、将来というのは、わかりません、笑。
というか、実はわたしの大きなテーマだったのかもしれませんね、苦笑。



今この年齢になって(一体どれだけの年月を経ているのでしょう、笑)、そう、それもそれこそ、この間の金星の女神学校で、≪観音≫と繋がってなのですけど、このくもの糸は、実は、光の糸だったんじゃないかとふと思ったのです。


降りてきた細い光の糸を伝って、自分だけが救われるのではなくて、その細い光の糸を、少しずつ少しづつ太くしていって、しっかりとした光の柱を繋げる。



みんなが、その光の柱を見上げられるようになるまでに。



その光の柱は、目には見えないかもしれない。
けど、確実にそこにあって、みんなもそれを無意識に感じて、慰めと、高次への信頼を受け取ることができる。
再び。



それが、ナディなのかもしれないな〜と判ったんです。


まだ、細いくもの糸のうちは、誰も気づかないかもしれない。自分だって心元ない。
誰かがそれに触れようとするなら、拒絶と嫌悪のほうが強くなってしまう。
まだ、守られないといけないもの。
繊細で切れてしまう可能性もあるから。



でも、だんだん太くしてゆく。
そして、柱にしてゆく。


そのときには、周囲の人も気がつく。無意識に見上げることが出来る。
そして、知らない間に、恵みを受け取る。


そんな光の柱。
それが、次元のエネルギーを繋げるナディのワーク。
わたしたちのささやかな奉仕。


マスターたちが、これを創るために、サポートしようとしてくれるのも納得です。


そして、わたし的には、本当に幼いころからのテーマであった。
あの「くもの糸」の意味。



7次元の奉仕の次元。
8次元のワンネスの次元。


まず、自分のありのままを、自分がこの3次元で引き受けたテーマを愛する。
そして、光の柱を繋げる、高次の世界と、この3次元で。
この3次元のみんなのために、そして自分のために。
この女子高生のために。




ワンネスの愛のために.....。



七夕の日に。