第9回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiii(夏至7次元8次元特別合同)

先日は、「7次元8次元特別合同ナディ」に参加させていただきまして、ありがとうございました。


光が強くなるという夏至までの間、私は逆に自分の中の闇ばかり見ていました。
ネガティブの嵐の中で静かに座って瞑想したりレイキを流したりしていると、ハートから10cmぐらい上を横一文字にざっくり走る傷を何度も感じました。それが痛くてたまらないのです。傷の原因は分かりませんが、その痛みから逃れるためにあらゆるネガティブな衝動が出てくるのが分かりました。



まず大きな恐怖がありました。天国が「平和」「安らぎ」「解放」「自由」「許し」「信頼」「慈悲」であるなら(@9次元のナディ)、地上はまさに地獄です。分離の幻想の中で地獄を作り続ける人間が怖くてどうしようもありませんでした。かく言う私も、「信頼」できずに地獄に加担する側です。あらゆる出来事にその都度不安・怒り・悲しみ・恐怖を駆り立てられ、それが他者へのコントロール欲求へ結びつく手前で、「変化を起こしたければ、他者ではなく、自分を変えなければならない」と立ち止まる。それを何度も繰り返し、しかし自分をどう変えればいいのか分からず、消耗するばかりでした。



あるがままの「自分」を受け入れた次の段階、あるがままの「世界」を受け入れることにずっと抵抗していたのだと思います。やめたと思っていたのに、また苦闘していたんですね(笑)。抵抗すれば摩擦(苦しみ)が起きる。でもどうしても、地獄をあるがまま受け入れることなんて出来ませんでした。史衣さんのブログで紹介されていたドラクロアの絵「天使とヤコブの闘い」の物語。「天使の祝福カード」には、ヤコブは自分を殺そうとするエサウから身を守るために、これまで何度もしてきた通り思考をめぐらせて解決法を見つけることと、その苦闘を諦めて神に降伏することとの間の葛藤で、天使と一晩中闘ったと書いてありましたが、ヤコブの葛藤が今さらながらよく分かる気がしました。しかし、命を脅かされながらも神への信頼を宣言したヤコブの心境には、どうしてもなれなかったのです。



神(宇宙)を信頼することが道であることは分かっているのです。それが真実であることも。感情が穏やかで平和な時は、宇宙を信頼することも容易いのですが、ちょっとでも心が動揺し始めると、砂上の楼閣のように宇宙への信頼は崩れ去り、分離の幻想への強固な信頼が顔を出します。史衣さんの記事『大切なことは、自分で闇をなんとかしようと思わないこと、自分でできることは「それは、もう手放す」と宇宙に宣言することです』をリマインドしても、怖れに囚われると気持ちがガタガタ震えだし、「これから逃れられる道は何とかないものか」と苦闘への強い衝動が溢れ出します。ナディまでの毎日そんなことを繰り返していました。ナディの数日前にまたそんな状態になった時、真実(宇宙への信頼)を守ろうと、サイトで≪アルテミス≫の説明を読み、グリッドの写真を見ながら、必死で宇宙に祈りました。途中、こみ上げるように泣きたい衝動にかられ、涙が出てきました。と言っても、両目から一粒ずつですが(笑)。その時は、何故泣きたくなったのか分からなかったのです。



謙虚さが高次の祝福を受け取れている時の心であり、与えられることを拒否するのは傲慢さ、エゴです。しかし傲慢でいることの苦しさに向き合った時、その奥にある傷に気づきます。私にとってその傷は、天への不信・分離への信頼を生みました。与えられたいのに拒否してしまう苦しさ。傷ゆえに。だから、自分を許しました。これからも許します。傷は、痛い、苦しい、辛い。だから他者の傷ゆえの闇も許します(犠牲を甘受するという意味ではありません)。あの時、私が泣いたのは、宇宙を信じたいのに信じられない苦しさ・辛さ・悲しさでした。あの時囚われていたネガティブな感情のさらに奥から、こみ上げてきた涙を多分忘れません。あれはきっと、多くの人の内にある傷ついた光が流す涙だと思います。



それからは、宇宙への信頼と自我の葛藤の中、夏至が来るのをただ待っていました。自力で分離の幻想から抜け出すことは不可能だと、自分の無力さに打ちのめされながら・・・。



ナディの最中、エントリーメールの『個性化しながらも、ひとつであるという認識に完全に全レベルに於いて至ること』とはどういう状態なのかな〜?と考えていました。



それを肉体に例えるなら、私は1つの細胞です。私には限定された視点しかないので、目に見える自分の周囲が全てです。当然、肉体の全体像など想像もつきません。そういうものがあることにも気づいていません。ただ生きているだけで、自分が肉体の中でどんな性質・役割を果たす細胞なのかも知りません。ただ私は私であるだけです。



隣り合った細胞と性格が合わない、生きている環境が酷だと感じて、最近は憂鬱だし、不安です。どうにかしたいけれど、この限られた環境の中に、どうにか解決できる可能性も感じられず閉塞感・無力感が強まるばかり。少し前は、ちょっと遠くで生き生き活動しているように見える細胞に憧れて、何とかそうなれないものかと夢みて現実逃避していたけれど、自分は自分以外の何ものにもなれないと思い知らされただけでした。自分の生活を楽しみたいし、自分を幸せにしたい。この閉ざされた細胞が幸せになるにはどうしたら良いのか・・・?



まず、自分が肉体の中の一部だという認識を得なければならない。そのためには、今自分が世界だと思っている世界への執着を手放さなければならない。愛着を感じるもの、嫌悪を感じるもの、全てへの執着を捨てなければ、意識は飛び立てない。今の自分への執着も捨てる。そして幻想を超えた真実への旅に出る。


執着を捨てた時、自由になる。相手を自由にし、自分も相手から自由になる。全ての人に対して、そう在る。執着する・愛着を感じて抵抗する自分への執着も捨てる。真実を見つけた時、また新たなレベルで自分を、周囲の人々を愛し始めることになる。


そこで、自分という意識の枠を捨ててターコイズの海へ、全てであるマハ・コハンの中に溶けていく気持ちで、自分の意識を拡大させてみました。まず自分の部屋にあるあらゆる物が自分になり、家族も自分になり、庭の植物も自分になり、隣近所の人々も自分になり、地中へ入っていき、蠢く昆虫達も自分になり、地球全てが自分になり、やがて空へ向かい、星々も宇宙の全てが自分になり、そして最後に1つの疑問が浮かびました。全てが1つ、全てが私である。では、「私とは、何か?」・・これは真我探求的意味合いでは無く、個性化された私という人間への素朴な疑問です。全てが1つである認識を受けて、改めて浮かび上がってきたのです。「私は何のためにここにいるのだろう?」と。



全ての執着を捨てて、問いなさい。「私とは、何か?」と。
私は「私」であるけれども、同時に「さらに大きな私」の一部である。さらに大きな私…ハイヤーセルフ・オーヴァーソウル・ソウルファミリー・・・。認識、意識の置き所の問題。ハイヤーセルフの声を聞く。真剣に、全身全霊を込めて求める。必ず聞こえる。何故なら、ハイヤーセルフとはあなた自身なのだから。
オーヴァーソウルとの繋がりだって、感じ取れる。感じようとターコイズの海に入っていけば、見つけられる。新たな繋がりが出来ることもある。今まで交流のなかった、パート同士がターコイズの海で出会い、新たな創造が始まる。



今、1つであることを感じるために感覚を拡大させる方向は、地上世界の他者ではなく、自分の魂の系譜つまり3次元以上の自分との繋がりを認識する方向だ。
自分の意識を拡大することによって、今行き詰まりを感じている地上の出来事への新たな方策が見えてくる。真剣に、自分への最大限の愛をもって、真実を探求する。その探求の過程で、あなたは多くのことを学ぶだろう。豊かな実りを得るだろう。楽しんで探求してほしい。宇宙は想像を超えた豊かさを備えている。それに触れることは素晴らしい体験であり、喜びを呼ぶだろう。



この現実生活全てへの執着を捨てる。ただあるがままに流れてゆかせる。抵抗しない。3次元の苦しみを超越したいのであれば、3次元的喜びへの執着も手放さなければならない。苦しみと喜びは表裏一体だから、それを超えないと見えてこないものがある。内なる真実の探求に集中する。今の自分を脱ぎ捨てる。今の自分への執着を捨てることで、ハイヤーセルフやオーヴァーソウルの意識が入り込んでくる。物事に際して、表面的な感情ではなく、自分が真にどう感じているかを感じ取ろうとすること。



ナディが終わってからの日々も、分離に囚われたまま、苦しいままでした。1週間たった28日に、私は他者に対して、強烈にネガティブな欲望を抱きました。
それが実現しても、全く後悔しないんじゃないかと思いました。この私の全てを狂わせる「怖れ」は、自分を超えた宇宙への信頼の欠如。「宇宙を信頼します。
私を助けてください」と必死で繰り返しても、自分の視点に執着している限りはダメでした。混乱の中、事態へのコントロール欲求=事態がこうなって欲しい。
こうあるべきだという考えを白紙に戻しました。私が抱く望みが実現されることがどんなに正しく、愛と調和に満ちているように感じられても、そして目の前の事態がどれほど愛がなく、不調和の極みであるように感じられても、今ここで起こっていることを全て信頼する、宇宙の愛の現れだと信じる気持ちに必死で焦点を合わせ、頭を空っぽにしました。ポジな望みを抱いているつもりでも、事態への執着を手放さないでいる限り、私の中の怖れが現実を作ります。しかし事態への執着を手放せば、自由を取り戻したスペースに宇宙の愛が姿を現す。自分が宇宙の愛の出現を許可したところまでしか受け取ることができないという真実を体験しました。私が執着を手放して、宇宙に委ねてほんのちょっとして、絶望的に感じられた事態が嘘のように調和を取り戻したのです。



その時は感激して、この宇宙の愛を忘れない、全てを信頼する。愛を共同創造する、と心に刻んだつもりなのですが、やはりまだ幻想に胸をかき乱されることもあります。でもナディを経て、宇宙への信頼という土台が強固なものになったおかげで、幻想に惑わされる自分を「旅の途中にあるから」とそのまま受けとめることができるようになりました。「ああ、怖い。でも大丈夫、全ては完璧にうまくいっているから。今は、怖がっていてもいいんだ。それが今の私なんだから」と。怖れが作り出してしまう現実が嫌だからつい自分をコントロールしたくなりますが、あるがままの自分を全て受けとめて、至高の真実「全ては愛」から生まれる安心感に焦点を合わせ、怖れを自分でどうにかしようとしてエネルギーを消耗せずに、別のことへエネルギーを向けることができるようになってきました。
きっとこの幻想を打ち砕いたら、もう何もいらなくなるのだろうなと思います。
ヒーリングも何もかも。愛で満たされ、何も必要じゃなくなる。。。そして、幻想から目覚めるともう「決めた」のだから、私にとって完璧なタイミングで宇宙が必ずそれを実現してくれますよね。それを信じます。


私の家の隣に小学生の男の子がいます。静かな住宅街にあって、その静寂を乱す賑やかな子です。ナディの翌朝、一人で騒いでいるその子を見て、ふと「高次から見た私って、この子みたいなものかも」と思いました。子供ゆえに悪気があるわけではありません。子供(私)の無邪気で無知ゆえの身勝手さを、周囲(宇宙)は不快に思いながらも受け入れますが、限界が来つつあります。エゴ(分からないからと、自分の責任を負わない)が宇宙に及ぼす苦痛に目覚める時なのです。
善悪ではなく、単なる事実。自分という小さな殻を破って、私は自分を取り巻く全体を知らなければならない。全体によって生かされている自分の姿を知らなければならない。そして、全体と調和しなければならない、と強く思いました。全体における自分を知って初めて、「今ここ」の私の役割に喜びをもって全力投球できるようになるのだと思います。思い出すこと。幻想から目覚めること。そして真実に至ること。そのために、現実生活において色づけられている自分という人間の全てに対しての執着を手放しているところです。自分自身が自分に対して抱いている幻想からも自分を解放すること。難しいですが、どこかわくわくもしています。これが真の自由への道なのかもしれません。



話はかわりますが、8次元のワンネスの学びを受けた機会に、共に学んでいるご学友(笑)の皆さまに感謝を表したいと思います。
私は去年の「太陽のナディ」から全てのグループトランスミッションに参加させていただいていますが、今年の春分の日から1週間くらいして、やっとグループで学びを受け取る恩恵(の一部)に気づきました。
学びへの意思を宇宙に表明した存在が集まって1つのテーマへ向かう時には、大きく現実に変化が起きるようなエネルギーを生むのだと思います。
1人では起こせないような変化。また、1人では一歩一歩自分の歩幅でしか進めないところを、高い意識の共振作用に助けられて、グンと一気に進むことが出来る。
早く楽になりたいから、自分では遅々とした歩みだと感じてしまいますが、実は自分の能力を超えたハイペースで光の叡智を受け取らせていただいているのだと思います。
それを可能にしているのは、グループのエネルギーのおかげです。本当にありがとうございます。
そして、グループで学ぶという場を設定してくださった高次の存在と史衣さんの愛に感謝いたします。ありがとうございます。
参加者の方々と物理的にお会いすることは、今後もないかもしれません。でもトランスミッションの度のエネルギー的邂逅によって、顕在意識を超えたところでは、すでにものすごい知り合いになっていると思います(笑)。


ではでは、今回も素晴らしい機会をありがとうございました。マスター、史衣さん、ご参加の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。ありがとうございました!