金星の女神学校≪聖母マリア 観音クァン・イン≫の感想です6

先日は、8次元ナディと金星の女神学校《観音》の特別設定(注:グループワークの日程が合わないときには、近日で特別のトランスミッション設定もできます)をどうもありがとうございました。
レポートが遅くなりすみません。



聖母マリア》と8次元ナディと《観音》の感想をまとめてお送りします。


まず、《聖母マリア》の感想です。
聖母マリア》を受けた当時、私は《アルテミス》、《パラス・アテナ》の過程で強い女性に鍛えられていたのか、常に大きな失敗に直面し、そして周囲に許されるというサイクルを繰り返していました。
これにより、許される経験をいっぱいして私も人を許せるようになりました。
また、周囲の人を信頼することや、失敗は失敗した人を責めるのではなく失敗が起きた背景を客観的に見ることが大切だとよく学びました。



そして、失敗しないことこそ失敗であると学んだのです。



私はいろいろと許されましたが、それは周囲の人たちがこれまでに様々な経験を通して、失敗した人の立場や、失敗に対する理解が深かったからです。


あらためて、「共感と理解」が愛にとって大切だと思いました。
母性に「共感と理解」は欠かせません。


そんな中、《聖母マリア》を受けたのですが、今まで失敗について傷ついていたのに、
急に穏やかな気持ちになりました。やはり、「聖母マリアの剣」が恐怖を切り離してくれたのだとうれしくなりました。
しばらく、《聖母マリア》の母性に存分に癒されている日々を送りました。
こうしてみると、健全な子育てには、自分の感情が浄化されていることが必須であるとつくづく思います。


その後、8次元ナディを受けて、心にまた辛い感情が復活してきました。
私が抱えていた分離の痛みとは「わかってもらえない」という悲しみだったのです。
私がうまくいっていない事は、いつもこの「わかってもらえない」という感情によってもたらされていたといっても過言ではないと感じました。
仕事でも、人間関係でも、家族ともこの気持ちを抱えていて、そのせいで自分のことを人に伝えられず、結果辛いことも我慢して背負い込んで一人で解決することが多々ありました。


そのために、私はこれまでにたくさんの感情を身体や心に溜めこみ、身体はガチガチに凝り固まって、心も麻痺した状態になっていました。
時に、爆発してやけになって行動し、後から後悔することもありました。


「共感と理解」こそが宇宙の良心であり、私は「わかってもらえるんだ」ということを、学ばなければなりません。
そして、みんながつながっていて、みんな一緒・同じというわけではなく、私には私らしさという個性があって、私が私自身を生きることが「真実を生きること」なんだとわかりました。



このことは、そのまま《観音》のテーマとなっていました。
《観音》では、なんといっても「深い愛の伴った共感」です。
苦しみでさえ共感し理解するという果てしなく深い愛です。
それによって他者が癒されるということは、私自身が「わかってもらえる」ということで癒されていただけに、よくわかります。
だからこそ、共感・理解を私も深めないといけないと思います。


そして、意外にも、「わたしたちの本質の理解と魂の目的に繋がるための和解の成就」というテーマにはびっくりしました。


8次元ナディからの流れからか、私はこのテーマに関連するものをウエサクに日にいろいろ遭遇しました。


まずは、何気なく見た新聞に載っていた、「アンパンマンのマーチ」です。
この歌詞を真面目に見たことはなかったのですが、「深イイ話」というテレビ番組で取り上げられていて、大人向けの歌としても有名なのだそうです。
歌詞の内容は、

「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのためにうまれて なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで

(中略) 

なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を こぼさないで 涙
 だから 君は とぶんだ どこまでも」



という歌で、まさに、「本当の自分を生きたい」と歌っている歌なのです。
そうでないと人は幸せではない!と強く思いました。
でも、それは大人にとって難しいことでもあります。
だからこそ、子どものうちからこのことを歌詞で伝えているんだ思うと、やなせたかしさんは素晴らしい方だと思いました。
アンパンマンは、どこかキリスト教の「犠牲」を感じます。
自分の頭を食べさせてあげるからです。
キリスト教のシンクロから、この歌はアチューメントに関するメッセージだと思っています。


では、私は何のために生まれて何をして喜ぶのか…まだまだ探し中です。
そもそも、私って何なのか。そんなことを考えてしまいました。


そして、その日の夜は会社の懇親会だったのですが、集団になじめない自分や役に立たない自分を実感し、またまた辛くなってしまいました。
私ってみんなに好かれてないし合わないんだろうな。空気が読めない人なんだ。
そんなことを思って、何でウエサクの日にこんなことを思わなきゃいけないんだと半分怒りを感じて家に帰りました。


そして、次の日思ったのは、私はみんなと違うんだ、少し変わった人間でそれが本当の私なのかもしれないということでした。


今までも、ラブ&アバンダンスを受けているときにこのインスピレーションはありましたが、みんなと合わせようとすること自体、私は無理しているのかもしれません。
「私はごく普通の一般的な人間」という決めつけは実は違っていたのでしょうか。
そうだとしたら、多少変わってても、それをよく知って理解することが「真実を生きる」ことになるのですね。私は今、「アンパンマンのマーチ」みたいに、自分を生きることに奮起している段階なんですね。


今は、浄化中なのか、精神的にしんどい毎日です。
なんだか力が入らないのです。
再び試練の中という状況ですが、少しずつ本来の自分になろうと思います。


白沢さんや、あらゆる女神たちやマスターたちのおかげで、人生のとって重要な学びに満ちた5月となりました。
本当にありがとうございました。