苦しみは、癒されてこそ、他者の癒しになるのですね☆



「苦しみは、癒されてこそ、他者の癒しになる」


これが、聖母マリアおよび観音から教えてもらって、それを助けてくれる存在こそ、これらの女神の恵みだと感じています。


あとは、自分を本当に理解することが出来るようになると、人に自分(の経験)を理解してもらうこと、感情的に共感してもらうことを求めなくなるようです。
(今、わたしにこのような変容が起こっているようです。)


≪アルテミス≫は、≪聖母マリア≫の準備エネルギーだと説明していましたが、これが「聖域(ユグドラシル)」の形成の意味なのかなと感じています。


人は、それぞれの「聖域」を持っている。同じではない。だからこそというかそれを理解するからこそ、自分の「聖域」と他人の「聖域」を共に尊重することが出来る。


そうすると、新たなレベルでの共感と受容が生まれてくるようです☆


自分の苦しみは、本当には自分しかわからない、だからこそ、自分の苦しみの種を≪観音≫のエネルギーに変換するための「個人的な聖域」が必要で、その聖域が豊かであればあるほど、他者の苦しみに対しても、必要な距離感を持ちながら(これは、他人の聖域を荒らさないという意味もあります)受容できるのでは?と思うのです。


苦しみが癒されるということは、本当に大切なことですね。


そうなれば、わたしたちは、もっと軽やかにしなやかに存在できますね。