金星の女神学校≪観音 クァン・イン≫の感想です2

先日は金星の女神学校《クアン・イン》に参加させていただきどうもありがとうございました。


前回の《聖母マリア》で深く強く注ぎ込まれたエネルギーが、今回の《クアン・イン》において生身の身体に流れる温かな血となって全身に優しく、柔らかく拡がっていくような感じを覚えました。

それに伴ってわたしの中でもゆっくりとした変容が為されてきているような感じがしています。

前回の《聖母マリア》の時大きな気付きをいただき、それから自分に対する感情、想いをもう一度掘り下げて見つめていました。


辛かった、悲しかった、苦しかった・・・
なぜ(自分も含め)人と人が(肉体的にも精神的にも霊的にも)傷つけあい、奪い合い、憎しみあわなければならないのか・・・
それは分離の苦しみ、そして罪の意識。。。


そうなったのは自分の責任、自分のせい、という傲慢さとその基となった怖れと罪悪感。


そこには
自分は赦されるべきではない、人を愛する資格(価値)も愛される資格(価値)もない、罪深い人間だと感じ、思っている、膝を抱えて小さくなりうずくまっている私のインナーチャイルドがいました。

そして、その子はそう思いながらも本当は 「(全てを)愛している、愛していたい」 し、「愛されたい」 と思っている。。


いつでもどこでも遍く愛が降り注がれているのに
本当は愛したいし愛されたいの
自分に科した「罪」の意識がそれを遮っていたのです。

これまでの私は他人の悲しみや苦しみも
自分のせい、自分が償わなければならないもの、として背負っていた。。
でも本当はそうじゃないはず。
それは愛でしか癒せない。
観音の苦しみや悲しみは全て愛からくるものだ、と。



過去から現在まで、互いに傷ついたことも傷つけたことも
天は何も裁いてはいない。
それをそこ(地上)に存在し、経験したことに最大の恩恵があるのだ、と。
私が深く傷つき、激しく怒り、苦しみ、悲しんだこと。
それは、この存在(私)を通してしかできなかったことだ、と。



これまでのワークでも認識はしていたのだと思いますが
そのことを今までよりも深い部分で納得したような感じがしています。
そして、それによって
ずっとずっと頑なに愛を拒否し続けてきた私のインナーチャイルドに対しても心から、今までのごめんなさい、と 愛してる を言うことができました。


ようやく、本当にようやく、「赦すこと、受け取ること」を自分自身に許すことが出来始めたような気がしています。


これも前回からの《聖母マリア》、《クアン・イン》 の揺るがない愛のエネルギーに触れさせていただけたからだと本当に感謝しています。


今回も深い学びと気付きをありがとうございました。
史衣さん、そして関ってくださった全ての高次の存在に感謝します。