金星の女神学校≪聖母マリア 観音クァン・イン≫の感想です1

遅くなりました、聖母マリアと観音のワークの感想です。
聖母マリアのワークを受けて私は次の日とても落ち込んだ状態になっていました。

それが何故なのかよくわからないのですが、たぶんこんな私が聖母マリアに愛されていいのだろうか?という罪悪感からの落ち込みであったように思います。

落ち込む程に自分を許せないでいる自分がまだいる事に気付いて正直驚きました。
ワークを続けていくうちにどんどん自分を許せていくのを感じていたのに、まだなの?と根深いものを感じました。


しかし、その落ち込みを感じながらもそれ以上の至福感を感じている自分がいました。
そうです、どんなに自分を責めたとしても母なる女神は愛する事をやめないという事を私ははっきりと感じました。

今回の聖母マリアのワークはこの感情以上のものをまだ受け取りきっていません。
もう少し落ち着いて受け取ってみようと思います。



観音のワークの感想ですが、満月という事もあってか「かぐや姫」が浮かんで来ました。
かぐや姫は多くの寵愛や貢物を受け取れたのに敢えて受け取らず天へと帰って行きました。
かぐや姫にとっては三次元の宝物よりも高次の世界へ帰る事の方が豊かで幸せだったのでしょう。
他人との比較より、自分自身の幸せの確立を見せてもらったように思います。



そしてこのワークの日、物凄くタイムリー?な出来事がありました。
私の職場で正直はめられた(笑)としか思えない事で上司に呼び出され怒られました。
私ともう一人が呼び出され怒られたのですが、私は正直ちっとも動揺しなかったのです。
どこかとても客観的で「このままじゃクビだなぁ、ちょっと困るなぁ」と思っている自分がおかしく思えたり。
もう一人の子は感情に巻き込まれたようで泣きじゃくり、罵倒され、困惑していました。
上司も自分の言葉で興奮し怒鳴っていました。
私だけが冷静だったように思います(笑)
結局いつもの「みんなで頑張ろう」に落ち着いたのですが、上司の大切にしている事と私が大切にしている事の違いがわかり、今後の事をどうするかに迷いがなくなったように思います。
これも高次の計らいだと思えました、ありがとうございます。


このワークをする数日前に急に永観堂のみかえり阿弥陀の事が浮かびました。
この時私はみかえり観音だと勘違いしていましたが(笑)
このみかえり阿弥陀の由来を説明しておきます。
一心不乱に行をしている永観律師の目の前に阿弥陀様が姿を現し一緒に行をし始めたのです。
まさか阿弥陀様が姿を現してくれるなんて、と驚き唖然として行を中断してしまった永観律師に向かって阿弥陀様が振り返り
「永観、おそし」と一言言ったとの伝説があります。
そのお姿をとどめたのがみかえり阿弥陀です。
このお姿について説明しているHPから抜粋しました。以下の文章です。

自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。
自分自身の位置をかえりみる姿勢。
愛や情けをかける姿勢。
思いやり深く周囲をみつめる姿勢。
衆生とともに正しく前へ進むためのリーダーの把握のふりむき。
真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心。

これは観音にも通じる、いや、高次の存在全てに通じる心なのではないでしょうか?
私は小さい頃から仏教に親しんで来たのでこのような話にからっきし弱いのです(笑)
私はまだ正面にまわれていないと思いますが、このみかえり阿弥陀様のようにいつも心を配って下さる存在がいる事を知っているだけでとても励まされます。
小さき者である自分を受け入れて、そして守られているという感覚を忘れなければ大変な状況にいても冷静でいられる事を体験として勉強させてもらった珍しいケースだったと思います(笑)
観音のワークも受け取りきれていない部分があると思うので再度ゆっくり味わってみたいと思っています。
ありがとうございました。