ポルトベーロの魔女(アテナ)と、風の谷のナウシカと、「1Q84」BOOK2

実は、次回の金星の女神学校の準備のために書こうかな〜と思っていたテーマを多大に含む≪パラス・アテナ≫の感想をいただいたので、書いてみますね、これもご参考になれば、幸いです。


まず、「ポルトベーロの魔女」という小説があります。
アルケミスト」のパウロ・コエーリョさんが書かれたものです。


[私自身が地上の天国を顕現しようとすることで、家族(子供)の「命」を犠牲にしてしまうのではないか?という恐れです。]と感想に書かれていた答えを掴む参考になるのでは?と思いました。

裏表紙の副題は、「どうしたら本当の自分でいる勇気を持てるのだろう」となっています。
主人公の魔女の名前が、アテナさんなのですね、そういうところからも≪パラス・アテナ≫のエネルギーに関連していることを窺わせていると思います。

少し書いてしまうと、このアテナは、離婚し、独りで、一人息子を育てているのです、笑。
このアテナが語っています。



「憎悪が人を成長させるとき、憎悪は数ある愛の形の一つになる。」



この主人公のアテナを一言で表現すると、「戦い続ける女性」かな?と思います。
常に現状を壊して、先に先に進む。 他人からみて無謀なほどに。
見る人によって評価が分かれる、女神なのか魔女なのか。
けれども、彼女にとって、一番大切なのは、一人息子(いのち)なのです。その愛を十分に幼い息子も理解し、母親の背中を見て育っている、そんな女性の物語です。




さてさて、あと「風の谷のナウシカ」ですが、そうなんですよね〜、アニメでは、そこまで描かれていないのですが、原作の主題は、まさにナウシカのなかの「闇(悪魔)」なのです。
宮崎駿さんは、原作では、ナウシカを「破壊と慈悲の混沌」として描いているのです。
ナウシカも「清浄と汚濁こそ生命だ!」と語っています。




そして「王蟲のいたわりと友愛は、虚無の深淵から生まれたのだと。」


「苦しみや悲劇やおろかさは人間の一部であり、だからこそ苦界にあっても、喜びや輝きがあるのだと」。
そして、「いのちは、闇のなかのまたたく光だ!!」と叫んでいます。戦いのさなかに。
ナウシカは、いのちそのものが、善であるとしているような気がします。
存在していること、生きて経験していること、それが、すなわち愛なのだと。




そして、これは結構重要なことだと思うのですが、テクノロジーによって人間を浄化し、地球を保護しようとする神の代理人を名乗るものに対して、ナウシカは、



「それは、この星(地球)が決めること。」  としているのです。




それに対して神の代理人を名乗るものは、
「お前は、危険な闇(悪魔)だ、虚無だ。生命は、光だ。」と答えています。

地球の環境破壊に対して警鐘を鳴らしたといわれるこの宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」は、実はこんな終わりかたをしている。
けれどもそれは、あまり世間一般には知られていない。これには深く重要な意味が隠されているような気がします。

良かったら、ナウシカの原作もぜひご覧になってくださいね♪
本当にわたしにこの本をくださったクライアントさんには、感謝しています。わたしはいつもみなさんに助けられてやっとこの仕事が出来ているのだと感じております。




そして、「1Q84」BOOK2。
宗教的偏見、および偏狭、怒り、ジェンダーによる暴力、そして無力感が描かれているBOOK1に続いて、BOOK2で描かれているのは、闇と光の均衡について書かれています。おそらくは、村上春樹さんの主張であると思われるのは、光と闇の均衡こそが「善」だなのだということです。
ここで、いろんなことが、ひっくりかえりを見せてくるのです。
一般的な言い方をすれば、善も悪も超越した何かが存在するということかもしれません。
そんなわけのわからないこの世界を、どうやって生き抜いてゆけばいいのか?という問いを、それぞれ抜き差しならぬ状況に追い込まれている登場人物たちによって、語らせてゆく。そして、少しネタばれになるのですが、善も悪も超越した何かに対面したあとに、青豆は、その身体に新しいいのち(命)を宿すのです。(BOOK3)


とまあ、これが、金星の女神学校「聖母マリア」の準備だと考えると、結構深い内容になる想像ができますね。


楽しみ?にしていてくださると、うれしいです☆