金星の女神学校≪パラス・アテナ≫の感想です2

こんにちは。
先日は金星の女神学校、どうもありがとうございました。


今回はブログにもあった、月と火星が重なる当日を前に、女神学校前日から何かわけもなくイライラした感情が浮上していました。
そしてそれに拍車をかけるかのように、ある出来事によって、それは一気に激しい感情の爆発となりました。

個人的なことなのであまり詳細は書けないのですが、私は平常の仕事とは別に、ある事業に関わっており、それに纏わる出来事でした。それは本来ならば先にこちら(私)に何かしらの連絡が入るはずの案件であり、私にしてみれば明らかに筋が違う(順序)が違うその状況に、矛盾する思いと激しい怒りが湧き上がってきました。


翌日に女神学校を控えたその日にこの出来事が起こったことに何か意味があると感じ、そして「私は何に対して怒りを感じているのか」という思いを巡らせながらその日は帰宅しました。



その晩、少し気分が落ち着いたところでその出来事に対して向き合いました。

私の感じた「怒り」は起きた出来事と別の次元の問題から来ていることは薄々感じていたので何に対して怒ったのかを見つめていました。

それは(その時点ではなぜそのような出来事が起きたのか事の詳細を把握できていない(事実確認をしていない)にも関わらず)、私の中では私の立場を無視して(何の連絡もなしに)第三者同士でやりとりがあったことに対して「私はばかにされているのか」 という怒りでした。そしてそれは「自分は軽く見られている」「蔑まれている」という恐れからきたものでした。


この感情は起きた出来事に触発されて出てきたもので、これはこれで癒してあげる必要があることと、起きた出来事についてはどう考えても相手方のミス(手落ち)であってそれはそれできちんとこちらの意見を伝えたほうがいい、ということを自分の中で整理しその日は床につきました。


翌日(女神学校当日)朝、その日ではないにしても、とりあえずその会社へ行って話をした方がいいと思い、自分は何をそこで伝えたいのかを考えました。


その時思ったことは、起きた出来事に対して謝ってほしいのではなく、起きてしまったことは起きてしまった事として、それを見直し、今後私に対してだけでなく他の方の場合であってもそのようなことがないように、今後に活かしていってほしいということでした。
これから長いおつきあいをしていくことになるその相手方の会社と、互いにより良い関係を築いていくためにきちんと話をしたい、と思ったのです。

平常の仕事もあるので、時間のあるときにでも・・とその時は思っていたのですが、出勤前にサラっと目を通したガイダンスの中の

 >3の育みのエネルギーから4の安定と定着のエネルギーへのシフト
 >「地上への顕現」

という言葉が頭の中から離れず、それが何かしら私に今日これを実際に行動した方がいい、という気持ちと 「今日は自分の感じたままに素直に行動しよう」 という気持ちに向かわせました。
どのような話になるかはわからないけれど、自分を生きるために最善の言動が為せるよう祈りながら・・。

感情を交えず自分の思いの内を全て伝えきれたかどうかわからぬまま帰宅し、夜の女神学校に備えました。



9時になり、その日の自分を振り返っていた時、いつもこういうときにはあまり本に意識がいかないのですが、何気なくある本が開きたくなり適当にページを開きました。

そこには

"一つひとつの行動がそれ自体で十分でありえるのです。
 その行動から何かが生まれるか生まれないかとは関係がありません。
 一つひとつの行動がそれだけで完璧になります。
 なぜなら
 一つひとつの行動、それ自体に意味があるからです。"

と書かれていました。


改めてガイダンスに目を通し、朝、頭の中から離れなかった「地上への顕現」という言葉と今そこで目にした本の中の言葉が、その日の自分に温かな拍手を贈ってくれているような、そんな感じに包まれました。


今回のパラス・アテナのテーマ「美」と今回の出来事は関係ないことなのかもしれませんが、「美」 を 「正義」 としてみたとき、「正義」 というものも権力として用いるものではなく、癒しとして提供するものではないか、とこの出来事を通して感じました。

「正義」 というものもそれを権力としてふりかざせば"悪魔"(誤った天国)になるのではないか、と。
そして、自分はおそらく過去にそのような経験をした(正義をふりかざして誤った天国を築こうとした)ことがあった、と何の脈絡もなくそう感じました。


10時になり、ブログの中に書かれた

 >あなたにとって現実化するべき「地上の天国」のギフトとは?

について意識を向けた時、現実化したい「地上の天国」として湧き上がってきた思いは、人と人、人と自然・・もっと広げて言うならば存在するいのちといのちの深い繋がりを取り戻したい、言葉を変えるなら、もう一度互いを愛し合い、認め合いたい、というものでした。
そして、そのためにはまず、自分への信頼を揺るがないものにすること。
それは自分の中の世界樹を育み、しっかりと根をはり立たせることを意味するのかな、と。


アチューンメントではとても強いエネルギーを感じながら寝てしまいました。


翌日、目覚めてから前日出向いた会社の方に「少し言い過ぎたかな」という胸の痛みを感じたので、お話したことに対して失礼があったなら、というお詫びと自分も今後見直す点があるのでお互い気をつけましょうというメールを送りました。


一日経って感じたことは、今回の出来事が、前回のアルテミスで何とか書き上げたレポートの内容を、このワークに携わってくださっている高次の存在、宇宙が 「ほら、やってごらんなさい」 と現実の出来事として提供してくださったような気がした、ということです。

もしあの時、出てきた感情と向き合わずに誤った聖域を守ろうと怒りと共に相手に向かって行ったなら、間違いなく私は悪魔になっていたでしょう。そうならずに気づかせていただけたことに本当に感謝しています。


今回も深い学びの機会を与えてくださった史衣さん、そして高次の存在に心から感謝申し上げます。

どうもありがとうございました。