金星の女神学校≪アルテミス≫の感想です1

先日は、「金星の女神学校」≪アルテミス≫に参加させていただきまして、ありがとうございました。

前夜のエントリーメールを読んでから、今までで最大級のコップの中の嵐が吹き荒れました。モデルケースとして提供できるくらい、私は自分が「悪魔」の道を歩いてきたと気づいたからです。でもそれを認める(受け入れる)のが辛くて、自己愛と自己嫌悪と怒りと無力感の攻防が続きました。いざ学校が始まったら、不思議なことに気持ちがスッと落ち着きました。が、学校翌日の朝にはまた攻防が復活し、翌々日の朝の内省で、多分一区切りできました。それで、このレポートを書いています。


☆学校前、「悪魔」な自分にばかり意識がいって、この事実から逃げてしまいたくて、もがいて大騒ぎしている自分がいましたが、「悪魔」の原因・背景について思考を向けるよう促された気がしました。☆

バウンダリーの問題にうまく対処できなかったから、アルテミスをサロメの内に癒された少女として存在させられなかったから、偽りの聖域という悪魔に魅入られ、孤独な悪魔になった。
悪魔になった事を責めていても、悪魔を責めても、悪魔は消えない。悪魔に魅了された、悪魔になることでしか守ることができなかった、「自分」という聖域を今度は他者と調和して守っていかなければならない。


☆他者と調和して守るとは?☆

ワンネス意識。宇宙の真実と常に共振して、在ること。境界を守ろうとする自己防衛意識ではなく、あるがままであろうと真実を求め続ける心と、常に深い愛と歓びに繋がっていることを自分に許可する自己愛が貴方を守る。何者にもそれを侵害することはできない。


☆人の悪口を言うなど、ネガティブなエネルギーを発している人と一緒にいる時、聖域を守るというのは、どういう態度であることなのか?☆

悪口を言う人を責めるのではなく、迎合する必要もなく、反論する必要もなく、受け入れる必要もなく、ただ通り過ぎさせる。その人のエネルギーはその人にしか、どうこうすることはできない。他者がその人の闇(痛み)を光に変えることはできない。自らを愛で満たし、癒していくことで、ホログラフィック的に全ての人を癒すことができる。それがまず最初にやるべき奉仕だ。
「他者を変えることができる」という幻想から目覚めること。この幻想は、奉仕の精神と共存することはできない。他者を変える英雄的な行為が奉仕なのではない。自由意志の世界で、奉仕は常に自らの真実を通して全ての真実へと繋がっていくことでなされる。
他者の痛みへの共感。この世に存在する全ての痛みは、自分の中にある痛みが具現したものだ。だから他者ではなく、自らの痛みを癒すことで、他者の痛みを癒すことができる。どこまで共感できるかは、どこまで自分の真実すなわち宇宙の真実を掘り下げて感じることができるかにかかっている。


「奉仕」とはどういうことか、それをまだ誤解している。
今必要なのは、自己愛。自分に向ける感情、常にそこに愛が在るのかを感じてみる。何かを強いたり、責めたりしても、自分の足を引っ張るだけ。自分に向ける感情の根元に、常に愛(許し)があるように。


翌朝、すぐに思ったのは、境界の問題。よかれと思って、他者のやる事に口を出したり、世話してしまったりしますが、他者の庭(聖域)への執着を捨て、自分の庭を豊かにすることに焦点を合わせること。他者の強さと内面の光を信頼すること。そう思った時に、少し寂しい気持ちになりました。でも自分への集中は、自分に閉じこもることではなく、自分を掘り下げていけば、やがて全てと繋がっている世界、他者との一体感に出会うのだろうと思いました。


その日、関わりあいになりたくないぐらい嫌っている人に会ってしまいました。「あ〜あ」と心の中でため息をつきながら、他者は自分の鏡でもあるわけですから、私は何故彼をこんなに嫌っているのだろうと考えていて、「彼はまさに私の悪魔の投影だった〜!!」と気づいてしまいました(笑)。独善的で、利己主義で・・・(汗)


その上、何故かその後の他の人達との世間話で、「どうしてあの人って、あんな性格なの?」という話(皆、彼を嫌っています)から、彼と両親との関係を聞かされて知ってしまうという流れがありました。聞けば、彼はいくつの時かは知りませんが両親が離婚し、弟は母親に、彼は父親に引き取られ、その父親が彼に逃げられてしまうこと(母親の元に)を怖れて、ものすごく彼に干渉して囲い込んだそうで、そのいくつかの出来事を聞いたら驚いてしまうほどの干渉ぶりで、聖域を侵害された彼が偽りの聖域に囚われてしまったのも無理がないなと思いまし
た。


それからしばらくして初めて、「私が偽りの聖域に囚われた理由は?」と思いました。考えるまでもなく、母親との関係が大きな原因の一つです。女神学校の最中に促されつつも向き合えず、その後も悪魔な自分への自己嫌悪に逃げたりしていました。何故なら、私は母親に依存していたいからです。侵害されるのは苦痛だけれども、母親を失うことの方が苦痛だと思っているのに気づきました。

依存の傷に気づいたのは、≪ヴィーナス≫の時でした。どちらかというと、顕在意識では嫌悪の方が自覚にあったので、そんな強い依存心が隠れていたのかと本当に驚きました。史衣さんが嫌悪と怒りの関係についての記事で『自分が依存している、もしくはしたいと思っている場合にも実は、「嫌悪」を感じているのです。けれども、自分が依存したいという場合には、より深くその感情を抑圧しているだけなのです。それは、出来るなら依存していたいからです。』と語られていましたが、まさに私がそうだったのです。


この依存心は多分、「母のいない少年」という沢山の過去生由来のものだと思います。この無意識の支配は強く、≪ヴィーナス≫の時に気づいていながら、今まで向き合うことができませんでした。向き合うための準備をする(宇宙から助けられて)必要があったということでもあると思いますが。


翌朝(学校の翌々日)、自分にレイキを流しながら、改めて落ち着いて内省することにしました。昨年の「ラブ&アバンダンス 許可と怖れの手放し」のエントリーメールで、マスターは『怖れを手放すことは、大切なことだ。けれども怖れを嫌う必要はない。それは、今まで、あなたを守ってきたことも、また真実なのだ』と語られていましたが、それと同様に、悪魔はこれまでの私にとって、とても重要な役割を果たしてくれたのだと、この世界で真に生き始めるまでの準備期間を与えてくれた鎧でもあったのだと、やっと受け入れることができました。善悪ではなく、ただそうであったのだと。そして今、大いなる宇宙の愛によって、私は悪魔の鎧から出て、真の聖域へ向かい始めた。悪魔の鎧を感謝と共に光へかえし、後は進み続ければいいと思えました。


依存の傷については、自分を無条件に愛してくれる母性愛を求める気持ちが、「母なるもの」への依存を生み、かつての生で少年達は自分のそばにいない母親を想って苦しみ、今生においては完璧な依存の条件を整えて生まれてきて、逆に依存ゆえの嫌悪を母親に抱くような苦しい状況に陥りました。私の魂がこの経験によって学んだのは、愛は外側に求めても見つからないという事。内側に、内側の愛を通して宇宙全てを満たしている愛へと繋がることでしか、愛には出会えないのだという事にやっと気づくことができました。外側へフラフラしていきそう
になる意識を、内側の自分の中心に据えて、宇宙の真実と共振し続けることで、私はどんどん変わっていくだろうと思いました。


春分の特別リリース(ありがとうございました!)で私が起こすと決めた奇跡は、「依存し続けたいという願いを手放し、不完全な自分をありのまま愛し、自立します。そして、今ここに生まれてきた私が、真に望む光を地上に具現します」でした(日記に書きました:笑)。この時はおぼろげにしか分かっていなかったことへの理解がさらに進んでいることを感じた今日です。

今回も素晴らしい機会をありがとうございました。女神、マスター、参加者の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。

史衣さん、今回も大変お世話になりました!次回もとっても楽しみです♪ありがとうございました!


先ほどの感想に追記させてください。
以前から感じていたことの一つに、世界が宇宙の真実(愛)に近づいてほしいという思いと同時に、例えば前述の彼のように、私が嫌悪を感じている人物が好人物に変わることに抵抗を感じる自分がいました。簡単に言うと、「嫌い続けたい」という気持ちです。その混乱に首を傾げつつ、深くは考えたことがありませんでした。先ほどそれが、「偽りの聖域」の正当性を維持するためだったと気づきました。口では愛を述べながら、一方で皆が愛に溢れた素晴らしい人物になってしまったら、困ってしまうのです。「偽りの聖域」に意味が無くなってしまうから。

そんな混乱からも解放され始めました。良かった・・・。アルテミスは素晴らしいエネルギーです。女神アルテミス、史衣さん、そして金星の魔法に感謝します。ありがとうございました!