第8回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiiii(5次元6次元統合)

5次元・6次元統合のナディではお世話になりました。

人と関わるのが苦手な私でしたが、ナディを受けて以後、仕事の内容がやけに賑やかになってしまって、前の私なら、ただでさえストレスを感じる職場なのに、登場人物が増えたら余計にストレスに感じるはずなのですが、謝りに行く仕事ですら、意外と楽しくやれています(笑)。


私が感想文で書いた「真実とともに生きていなければくぐれない門=女性性の月を通らなければ太陽に辿り着けない」と感じていた「門」というのが、「子宮、産道」だというのはなるほど!!だったのですが(そして産道を通ってこそ誕生するので、再誕生なんですね!)、この門は私にとっては聖書にある「狭い門」のイメージだったのでした。でも今まで意味も分かっていなければ、正確な文句も忘れてしまっていたのですが、今一度探してみると、

狭い門からはいりなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこからはいって行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、
それを見いだす者はまれです。
<新訳聖書 マタイの福音書 7章13節〜14節>

だそうです。まさに「いのちに至る門」とあります。

そして、つい昨日なんですが、仕事で初対面のおじさんが暇つぶしの語りの中で言ってたんですが、アーチというのは西洋建築の一番難しい技術であって、だから建築のことを英語でアーキテクチャーと言うんだそうです。つまりアーチ(産道)という土台になる技術がなければ、建築(塔を建てること)は不可能ということではないですか?凄すぎる一致に唸ってしまいます(笑)。


そしてさらに、感想のところでチラッと尾崎豊の名前を出しましたが、その時は傷ついた男性性のイメージの典型ということで当然のように名前が挙がったわけですが、その時から何故か彼の「シェリー」という歌が頭をグルグル回っていました。

当時は歌詞を丸暗記していましたが、今は全部は思い出せなくて、でも何故か今日も朝からシェリーがグルグル回っているので、今日こそシェリーをyou tubeか何かで聴こう!とパソコンを開けましたら、いつも読んでいるお気に入りのスピリチュアル系のブログで、書いているのはプロのヒーラー男性の方なのですが、今日に限って普段とまったく違ったトーンで若い頃の男性性の傷について吐露しているような内容で、さらに、若い頃歌も歌っていたという経緯から、「今歌いたいのはシェリーかな」、と歌まで貼り付けられていました。←おそらく火星の動きとシンクロして男性性のインナーチャイルドが出てきたということのようでもあります。

そして実際聴いてみますと、この歌、傷ついた男性性がシェリーという「女神」に対して歌っている歌なんですね。


真実を求めて(俺は真実へと歩いていく)、孤高の覚悟で(涙なんか見せちゃいけないよね 孤独すら恐れやしないよね 
俺は歌う 愛すべきものすべてに)、傷つきながら(俺は決して間違っていないか 俺に愛される資格はあるか)、女神を信じ追い求める(優しく俺を叱ってくれ そして強く抱きしめておくれ お前の愛がすべてを包むから)。

と冷静に分析してしまいましたが、実際自分の中の男性性が大泣き状態でした(笑)。なぜ、彼の数ある歌の中でも「シェリー」だったのか(高次の導きでしょうね)、すごく納得しました。

そして、他の歌もちょっと聴きたいな〜と検索してみたんですが、気になったのが、全盛期以降の歌で私も聞いたことのなかった「ロザーナ」という歌。同じく女性の名前がタイトルだけど、どうなんだろう、と。

するとこちらは、傷ついた男性性が傷ついた女性性(お前は弱さを憎むようになり 優しさの意味も忘れた)との統合に失敗した(触れ合うことのできなかった 優しさの意味 これから別々に探すのか)という内容の歌で、でも女性の中にある女神を信じる気持ちは消えない(まだ俺の知らぬお前の優しさの中へ いつか同じ過ちから解き放たれよう)、という彼らしい純粋さを感じさせる歌なのでした。


で、映像のコメント欄に「シェリーは母で、ロザーナは妻?」とあったのですが、まさにまさに!聖母マリアと(純化される以前の)マグダラのマリア、それぞれの女神に捧げた歌なのでありますね。やはり、尾崎豊は男性性の苦しみを救い上げ、その苦しみに命を捧げた人なんですね。だから余計に直視できない面も多いのでありますが。

星の流れに沿って、自分の中の傷ついた男性性が癒されていけばなぁと願っております。

プライベートでは、まだまだ癒されない女性性を演じてもおります(苦笑)。

お聞きいただきありがとうございました♪