金星の女神学校≪サロメ≫の感想です8

今回の女神学校、ありがとうございました。
最近は特に何って無いのですが、とても疲れているようで女神学校が始まる前は、突然(天に)帰りたい、もう疲れたからあまり長く生きたくないと思ってしまっていました。これからの10年を考えたとき、とてつもないしんどさを思ってしまったのです。
またいつも良い方に考える癖にも疲れたようです。
それは今回の女神学校に関係しているのか分かりませんが、書き加えておきます。
(注:サロメは、頑張ることをやめるように促すエネルギーなので、変化がおきているのだと思います。もう少したてば、頑張らなくていいのだということや無理にポジティブに考えなくてもいいのだということの理解が優しく作用し始めますので、ご安心くださいね♡)



ふみさんが水の流れる音という鍵を下さいましたので、今回は友人が作ってくれた波の音、雨が落ちてくる音、川のせせらぎの音をテーマにした、CDを聞きながら受けさせていただきました。


確かにその音に身をゆだねると自然の情景と共に平和な感覚に浸れます。
流れる水は決して同じではないけれど、絶えず流れる事によって、それはいつも新しくも引き継がれている永遠のものを感じさせてくれる・・だから安心できてゆだねる事が出来るのかなと思いました。2回ほどなんだか分からない熱い感情がこみ上げ涙が出ました。



私自身はかなり男性性に偏ったタイプだと思います。そして自分の女性性に自信がありませんでした。お付き合いしている男性と性急に結びつこうとしたのもセクシャリティにものを言わせコントロールやつなぎとめることに使ったのだなと合点がいきます。当時は男性の要求を満たしてあげる、究極の愛情表現をしていると思っていたのかもしれません。自分のなくなったものを探すように自分を完成させる一体感を得たいと思ったものの、かえって思いは一緒でないという突き放された気持ちになって悲しくなるような事もあったかなと遠い記憶を思い出しました。ある意味自分探しのようだったかもしれません。何か虚しさが残るような抜け殻のような気持ちになってその時はそれは何故か分かりませんでした。


今考えると平和な満たされた気持ちが得られなかったのです。落ち着くとか安心、安定という事は一番欲していた事ですが、それは一番自分自身が平和でなかった・・皮肉なことにだから得られなかったのですね。焦れば焦るほど縁遠くなりました。


友人の夫ぎみになんで彼女を選んだのかと聞きましたら、彼女が一番安心感を与えてくれる人だったんだと答えてくれた事があります。当時は男の人がそういう視点でパートナーを選ぶという事がわからなかったのですが、とっさに自分は失格だと思ったし、だからみんな離れていくんだとへこんだし、しかし私こそそれを男性から得たいと思っていた事に気付いたのですが今はやっと女性自身が安定を得ていないと与えられない事や彼の言った意味がお陰様で理解し始めました。
そして安定を得るためには自分がまずは癒される必要性があることも。こうやって女神学校を受ける機会を与えていただいてその歩みが少しでも進めた事を嬉しく思います。


女神学校の作用は後からじわじわと分かることが多いのですが、次の日の夜は何故か映画で見た様々な売春婦の物語やレイプシーンが思い浮かび、その痛みや悲しみ、怒り、苦しみを自分の事のように感じ、復讐劇が繰り広げられる必然性までがなんだかストンと腑に落ちました。
勿論今までも頭で理解はしていたつもりですが、どちらかというと私は男性側の立場で虐げられていた自分が優位に立ちたくなる悲劇としてみていたように思います。


全女性の性の境界を越えられたその悲しみ、痛み、怒り、憎しみの大きさをサロメが伝えてくれたような感じでした。
時々ニュースになりますが、トイレとかに産み落とされて捨てられた胎児とか、私はよく周囲が分からない程、陣痛は軽かったんだろうかと思っていたのですが、陣痛を感じられないほどの人に知られていはいけないという苦しい重たい思いの方が強かったということも突然理解し、その苦しみはいかほどかととても胸が痛くなりました。このあたりは今回は軽くということでもあったのでまた、何かの機会に浮上してくるかも知れませんね。


感想も少しずつ書いています。最近とても疲れると書きましたが、どうも生活のリズムに自分を押し込もうとしたり人にも強要させようとしてイライラしたり、怒ってみたりすることで余計なエネルギーが奪われているような気がしてきました。また様々な振込みや書類の提出期限、やるべき事が、自分を追い詰めてくるように感じそれもまた負担になっていたのです。
生活の雑多な事は短時間で済ませるには出来上がったリズムに無意識に乗るほうが早いんだという思い込みや提出期間に早めに済ませないと罪の意識を感じるところが私にはありました。


昨日、娘の誕生日だったので、今夜は彼女のために、時間とお金を使うと決めたらなんだかうきうきしました。仕事帰りに彼女と一緒にぶらぶらとお話しながら2軒ほどまわって好きなケーキを選んで帰宅したのですが、時間を気にすることなく、かえっていつも出来ないおしゃべりや選ぶ事を楽しめてとても良かったのです。実際はかなり時間もかかったはずなのに、いつもより、スムーズに事が運び、結局寝る時間はいつもと同じでした。時間も自分で作った秩序に縛られるのでなく、その時を楽しむ意識で使ったほうがエネルギーを取られずに、みんなの気持ちも協力的に働くということを実感できた一日でした。
自然のままというのが人の評価や社会の決まりのためでなく、飾らない自分の気持ちのままにという事が少しだけ分かったきがします。



仕事や学校に行っている、社会の一員として動いている事とは、どれだけ、自分の気持ちを無視している事なのでしょうか。
本来の気持ちを感じないようにした方が今の社会で生きるには楽ではあるのです。
今回のサロメはそうやって生きてきた自分への問いかけであり、それでは自分の平和は得られないよというのが答えなのかもしれません。



自分の気持ちにもっと正直になり、一瞬一瞬を、自分の為に使う事に気を配る事で昨日と同じ事をしているのではなく、その時その時が新しいことという認識が作られ、それは流れている川と同じなんだという事が理解できました。


自分の気持ちに正直になるという事は時に属している団体のルールと違ってしまう事であったり、評価を下げる、人に嫌われることにつながって見えることもあるかもしれません。
しかしそれでも自分の気持ちに正直にいる事というのはやはり強さがなくては難しいですよね。周囲に捕らわれることなく、自分の真実の気持ちを感じる事を大切にする、それを守る事が自分の内側の平和をつくる事なのかなという事、そしてもっと自分の気持ちを楽しい方向に持っていく事ができたら、人にもそれを与えられるのかもしれないと思ったのでした。


サロメによってだいぶそのあたりを教えて頂いたような気がします。そして少しでもその強さが得られますように・・・


だいぶ疲れもお陰様で落ち着いてきました。
私にも少し平和が訪れたかな(笑)
本当にありがとうございました。